朝起きると真っ先に思い浮かぶ、君のこと。
≪とっとと起きなさい、このバカイトっ!≫
何しろこうやって毎朝、耳元で怒鳴り散らされるのだから、思い浮かばない方がどうかしている。
僕は蒲団にくるまったまま手を伸ばして、ベッドわきの携帯電話を掴んだ。
≪とっとと、起きなさい、この――≫
「はいはい、起きたよ~」
彼女の声で怒鳴り続ける携帯電話のアラームを停める。
以前、彼女に頼みこんで無理やり吹き込んでもらったものだ。本当はもっと優しくて甘い感じでお願いしたんだけど、顔を真っ赤にして拒否された挙句、こんな調子の台詞ばかり吹き込まれてしまった。
でもあの時の赤くなった彼女が可愛かったから後悔はしていない。だから、どんなにひどい罵声でもこれは僕の宝物だ。
と、言ったら弟妹たちからドン引きされた。
「でも良いのさ~ これが僕とめーちゃんの関係なんだから~♪」
口ずさみながらベッドを出て、その足で台所に向かう。
まだ寝静まった朝の家の中、お気に入りの蒼のエプロンを付け、弟妹たちの分も含めた朝食とお弁当の準備をしながら、ラジオの天気予報に耳をすませた。
≪本日は一日、気持ちのいい青空が拡がるでしょう≫
「よしっ」
思わず小さくガッツポーズ。
最近、不安定な天候が続いていただけに、今日が晴れるかどうかずっと心配していた。
だって、何しろ今日は大事な日。
彼女とのデートなんだから。
とりあえず幸先良さそうな一日の始まりに機嫌が良くなって、今朝は奮発して朝ごはんにデザートをつけた。
「だからって、朝からアイスかよ。朝のデザートって言ったらバナナだろ。常識で考えて」
「私はミカン、もしくはブリオッシュを要望する!」
「デザートなんてどうでも良いからネギだよ、ネギ。味噌汁にも納豆にもネギ入って無いなんてどういうこと!?」
ええい、朝から五月蠅い弟妹たちめ。
お兄ちゃんはそれどころじゃないのだ。
今日はデートなのだぞ。ネギ臭いまま出かけられるかっ!!
「大丈夫、みんなのお弁当にバナナもミカンもネギも入れておいたから」
「「「わ~い」」」
優しいお兄ちゃんはアフターケアも万全なのである。
弟妹たちを学校に送り出した後、朝食の片付けと部屋の掃除をして、そしてそろそろお昼前。
いよいよ僕自身の出かける準備に取り掛かる。
シャワーを浴びた後、寝ぐせでぼさぼさの髪を整える。今日は思い切って髪形を変えてみようかな。
どうしたの。って、きっと聞いてくるだろう。
印象変わったね、すごくカッコいいよ……惚れなおしたわ。
「なんて、言っちゃくれないだろうなぁ」
苦笑しながらいつもの髪形に整える。
彼女が素直じゃないのは分かってる。でも、そこを可愛いと思ってしまうんだから仕方ない。
グレーのジャケットにジーンズ、指には髑髏のシルバーリングでチョイワル風味を演出。
そして首にはお気に入りのマフラー。
最近は気温も上がって温かくなってきたけれど、付けられるものなら付けて行きたい。だって、これは彼女からの初めてのプレゼントだったのだから。
身支度を整え、玄関の姿見の前に立って気合を入れる。
「よし」
今日の僕は恰好いいぞ。
彼女とは子供のころからの付き合いだ。
家がお隣同士の幼馴染。よく一緒に遊んだ。
わんぱくで、活発で、近所のガキ大将とその子分とはよく言われてたものだった。
まぁ子分は僕以外にもいっぱいいたけどね。でも一の子分はこの僕だ。
僕たちはいつも一緒にいた。
小学校のときも、中学校のときも。
高校だって同じだった。
家から近いという理由だけで彼女がものすごいハイレベルな学校を選んで、当たり前の様な顔で「これで私たちの通学も楽になるわね」と告げてきた時は色んな意味で泣きそうなった。
あの時ほど死ぬ気で勉強したことは無い。
大人になった今でも、僕たちの関係は変わらずに続いている。
そう、変わらずに。
僕にとって彼女はいつだって特別な存在だった。
特別な幼馴染で、特別な親友で、そして…
いつのまにか特別な女性になった。
でも、彼女にとって僕はどんな存在なんだろう。
いまでもきっと幼馴染のままなんだろうか。
それとも……子分のままかもしれない。
恋に恋する乙女ちっくな様子なんて微塵も見た記憶は無い。お酒の味を覚えてからは特にそうだ。
バーでしんみり飲むよりも、居酒屋で年輩のおっさんに交じって呑んでいる時の方が活き活きと輝いている。
でも、酒豪の女傑と化したくらいで僕の千年の恋は醒めやしないんだ。
例えこの想いが千年経っても届かない片思いの独奏歌だったとしたって、歌い続けてやるさ。
好きだよ、ってね。
そんな殊勝な覚悟で
「めーちゃん、好きだぁ」とか
「愛してるよ、めーちゃん」とか
「MMM(めーちゃんマジ女神)」とか言ってたら、
「ひ、人前でやめてよ、このバカイトぉ」ってぶん殴られた。
そのとき顔が赤かったのは酒のせいだけじゃ無いと思いたい。
でもこれってつまり、人前じゃなきゃ言ってもいいってことだよね。
だったら二人きりの時に思う存分言ってやるさ。
と、思ってたんだけど、なかなか二人きりになる暇が無かった。
家には弟妹どもが居るし(しかも彼女とは隣同士の長い付き合いだから、実の兄弟姉妹同然になついて離れやしない)、仕事場じゃ人望高い彼女の周りには、いつも仲間たちが居て離れてくれない。
ええい、どけどけ。一の子分はこの僕なんだぞ。
……僕自身がこんな調子だから、彼女との関係が進展しないんだろうなぁ。
だから、一念発起して、ぶん殴られるのも覚悟の上で、仕事場の人が大勢いる前で僕はこう言った。
「メイコ。明日平日だけど仕事は休みだろう。だから、僕とデートしてくれ!」
「だから人前で言うなっての!」
いつものを頂きました、ありがとうございます。
家に帰って、引っ叩かれた頬をさすりながらボンヤリと彼女の掌の感触を反芻していたら、当の本人から携帯電話にメールが届いた。
『なんでいつも人前でああいうこと言うのよ。出かける約束ぐらい、メールで済む話じゃない』
『デート、誘って良いの?』
『二人で出掛けるぐらいなら、いつものことでしょ。で、どこに飲みに行くの?』
これはつまり、デートしてくれるって事だろうか。
そうだ、そうに違いない。飲みに行く云々はあえて無視するとして、よっしゃぁぁ!!
『それじゃ動物園行って水族館行って遊園地行って映画見てライブ見に行ってカラオケ行ってYAMAHAのショップ行こう!!』
『一日で行けるかぁっ! 取りあえず二つぐらいに絞りなさいよ』
『じゃ、水族館とライブで!』
「やったぁぁ、めーちゃんとデートだぁぁぁっ!!」
嬉しくてその場で思わずガッツポーズ決めて叫んだら、
「うるさい、バカイト! 夜中にそんなこと叫ぶな!!」
隣りから窓越しに彼女から怒られた。
っていうか、隣り同士なんだから、メールすらいらないんじゃないかなぁ。
窓を開け、外に半身を乗り出す。
「めーちゃん。明日、どこで待ち合わせようか」
「え、いつもみたいに玄関で待ち合わせればいいじゃない?」
「いつもと違うデートだからだよ」
デートの部分を強調する。
あの憧れの、
ゴメン待ったぁ~?
いいや、今来たところさ。
でも手に持ってるアイスがすっかり溶けているのを見られて本当は三十分ぐらい待っていた僕の気遣いを彼女が気がつく、っていう。
そんなシチュエーションをやってみたいのだ。
「という訳で、駅前でよろしくお願いします」
「え~、面倒くさいなぁ、もう。……まぁ、良いけど」
「わ~い。ありがと、めーちゃん」
大好きだよ、って付け加える。
「とっとと寝なさいっ!」
彼女の部屋の窓が閉まってカーテンが勢い良く引かれた。
「おやすみ、めーちゃん」
その2へ続く
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