第一章 ミルドガルド2010 パート14

 長い歴史を積み重ねて来たグリーンシティの街並みは、息の詰まる様な近代化が進んだ他の街で育った人間達にとっては溜息をつきたくなるような安らぎを与える様子であった。幾何学的に並べられた建築物はそれがたとえたった一つの民家であっても周囲の環境と調和しており、全体として統一のとれた街並みを構築することに成功している。その落ち着いた、年季を重ねた大人しい配色を持つ建築物が夕日に赤く染め上げられる頃、リーンとハクリはメイとカイルの二人と別れて帰宅への道を歩いていた。不思議と急ぐ気分にならないのは、或いはあたし達もこの街の持つ温かな雰囲気に調和して溶け込み始めているせいなのかも知れない、とリーンは考え、そしてハクリに向かってこう言った。
 「本当に良かったの?」
 「何が?」
 リーンの言葉に反応してハクリがリーンの瞳を見つめた時、ハクリの髪が夕日に照らされてまるでメイの髪の様に赤く輝いた。
 「歴史研究会に入って。」
 リーンが少し不安そうにそう訊ねると、ハクリは僅かに瞳を細めてから、こう言った。
 「どうして?」
 「他に、やりたいことがあったかな、と思って。」
 ハクリは高校生の時は文学部に所属していた。古典から現代作品までを網羅するハクリにとってはまさに天職とも言うべき部活動であったのである。それに、ハクリは空いている時間を見つけて小説を書いていた。今の所リーン以外にその事実を知る者はいないが、お世辞抜きにリーンが上手いと感じるハクリはもっと上の文章家として活躍出来るという確信めいたものをリーンは抱いていたのである。その為には、単純な思考だとは思うが、大学でも文学関連のサークルに入部した方が良いのではないかと考えたのだ。だが、そのリーンの不安をよそに、ハクリは優しげな瞳を一つ瞬きさせると、リーンに向かってこう答えた。
 「あたしも、興味があるし。」
 「興味?」
 一体何のことか分からず、首をかしげながらそう訊ねたリーンの脇を、幼い子供の手を引いた母親が少し急ぐように歩いて行った。右手に掴んだスーパーマーケットの袋の中には今日の夕食の為の材料が込められているのだろうか。
 「あたしの、ご先祖様。」
 ハクリは一言そう言って、悪戯っぽい笑顔を見せると、続けてこう言った。
 「あたしの家に、不思議なナイフがあるの。」
 「ナイフ?」
 「ご先祖様が持っていたというナイフ。話したこと、なかったかしら。」
 補足するように、ハクリはそう言った。そのナイフならリーンも何度か目にしたことがある。軍用らしい、古い時代の形状をしたナイフである。そのナイフを最後に見たのはいつだっただろうか、と思い起こしながら、リーンはハクリに向かってこう言った。
 「そのナイフが、どうしたの?」
 その問いに対して、ハクリは一つ頷くとこう答える。
 「ナイフに、不思議な紋章が刻まれていたの。」
 「紋章?」
 リーンはそう答えながら、道の狭間に設置された地下鉄ホームへと向かう、下向きの階段に足を下ろした。リーンのヒールが階段に触れて、乾いた音が小さく響く。
 「緑の国の紋章。」
 リーンに続いて地下へと向かう階段に足を踏みいれたハクリが、地底からの風圧で浮かびかかったスカートの裾を軽い手つきで抑えながらそう答えた。それよりも緑の国の紋章とはどのような意味だろうか、と考えながら、リーンは背後を歩くハクリを振り返った。日光がまるで後光のように差し込んで、ハクリの表情が強い光度の為に見えにくくなる。
 「オリーブを象った様な紋章。どうしてあたしの家に、緑の国のシンボルマークが刻まれたナイフがあるのか、まるで分からないの。」
 地下への階段を進むにつれて、太陽光が弱まり、ハクリの表情が再びリーンの瞼に投影された。いつもと同じ、優しげな、しかし今日ばかりはその優しい笑顔の奥に好奇心を現す色が混じっている。先程直に見てしまった残光が未だに網膜に映っていて、何度かリーンは瞳を瞬きした。
 「あたしたち、どこから来たんだろう。」
 階段から地下通路へと降り立ったリーンは、ハクリに向かってそう言った。あたしは黄の国の王族で、ハクリは緑の国の関係者で。そう考えて、リーンは妙な心の高ぶりを覚えたのである。


 ようやく、目的地に着いたのね。
 あたしは、木漏れ日から溢れる光に僅かに瞳を細めながら、その様なことを考えた。ずっと騎乗を続けていたせいか、腰が軽く痛む。隣にはあたしと同じように騎乗を続けているレンの姿があった。馬に乗るなんて初めてだけど、とあたしは考えながら、あたしはその白馬の首筋を優しく撫でた。
 『ジョセフィーヌ、後少しよ。』
 あたしは今まで知らなかったその馬の名前を呼び、まるで長年連れ添った夫婦の様な愛情を込めてジョセフィーヌと言う名を持つらしい白馬の首筋をもう一度、丁寧な手つきで撫でた。一応嬉しいのか、ジョセフィーヌはあたしの手つきに合わせて満足そうに一つ嘶く。どうやらここは森に囲まれた街道らしい。所謂マイナスイオンと呼ばれる物質がたっぷりと放出されているのだろう、爽やかな空気があたしの肺を十分に満たして行くことを実感する。やがて、その森が切り開かれた奥に現れたのは木造の白い建物。高原の別荘地帯みたい、とあたしは考えながらあたしの唇はこんな言葉を吐きだした。
 『わぁ、素敵な別荘ね。』
 あたしがそう答えながら背後を振り返ると、あたしの後ろをまるで従者の様に付き添っていた男たちが一同に笑顔を返してきた。その笑顔はしかし、二人の例外を除くとまるで仮面の様に感情が込められていないものではあったけれど。二人のうち、一人はレン、もう一人は体格の良い、凛々しい顔立ちを持つ四十代に見える男性だった。この男性は誰だったろうかと考え、そう言えば軍務大臣も連れて来ていたのだった、と思い出す。
 『リン女王、ミク女王がお待ちでございます。』
 その直後に、軍務大臣は前方を指し示しながらそう言った。
 『ありがとう、ロックバード。』
 ロックバード、そうだ、軍務大臣の名前はロックバードと言うのだった、と考えながらあたしはそう答えて前方に視線を戻した。あたし達が目的としている白亜の別荘の手前に控えていた、姿勢の良い、見事な緑色の髪を持つ女性の姿を視界に収めた。だが、それよりも。
 ハクリ?
 あたしはミク女王の隣に控える、長い白髪を持つ少女の姿に視界を奪われた。その少女は、あたしに対して深い一礼を行ったミク女王に合わせて、見事としか表現できない最敬礼をあたしに向かって行って見せた。ハクリ、どうしてここにいるの、と訊ねようとしたあたしの声帯はしかし、あたしの意志とは異なる言葉をミク女王に向かって放った。
 『お久しぶりね、ミク女王。』
 『本日は長旅、お疲れ様でございました。』
 どうやら立場はあたしの方が上らしい、とミク女王の言葉づかいを聴覚に収めながらそう考えたあたしは続けてミク女王に向かってこう告げる。
 『カイト王はもうご到着されているのかしら。』
 『カイト王でしたら先程ご到着なさいました。既に宿舎で休まれていらっしゃいます。』
 カイト王とは誰だっただろうか、とあたしは考えながら、なんとなくミク女王の胸元を飾る、陽光に反射して輝くクリスタル状の首飾りを眺めた。あのクリスタル、どこかで見た様な記憶があるわ、とあたしは考えながら、少し距離の離れた白亜の別荘に向けてジョセフィーヌを歩かせることにした。ミク女王は徒歩だったから、スピードは極力抑えた状態で、ゆったりと歩ませてゆく。どうやら一際巨大な三層立ての建物があたしの宿舎となっているらしい、とリーンは考えた。
 『こちらの二階がリン女王の宿舎となりますわ。』
 あたしの推測通り、三層立ての木造建築の手前で歩みを止めたミク女王は細めで美しい指先をその建物に向けながらあたしにそう言った。
 『案内ありがとう。』
 あたしはそう言って、慣れた様子で馬から降りた。記憶する限り、馬に乗った経験は初めてのはずだが、幾度も乗馬した経験があるかのように軽快なステップであたしは地上へと降り立った。久しぶりに感じる土の感触がなんとなく心地がいい。
 『レン、ジョセフィーヌをお願い。』
 あたしが続けてそう言うと、レンは恭しい一礼をしてから、こう告げた。
 『畏まりました、リン女王。』
 レンはそう言うと、ジョセフィーヌの手綱を手に取った。その直後に、絶妙なタイミングでハクリに良く似た白髪の少女がレンに向かって声をかける。
 『それではレン殿、厩舎へとご案内しますわ。』
 その言葉に、待って、と言おうとしたあたしの声は何故か音に変化しない。そのまま、白髪の少女はレンを連れてあたしたちとはまるで別の方角へと歩いて行った。
 『では、屋敷にご案内しますわ、リン女王。』
 そのあたしの様子にはまるで気付かなかった様子で、リン女王は表情に微笑みを湛えたままでそう言った。その言葉にあたしは素直に頷き、白い塗料に染められた木造の玄関口を潜る。日光に照らされて軽く汗ばんでいたあたしの肌が、日陰に入った途端に少しだけ冷やされることを感じながら、あたしは玄関ロビーに待ち構えていた人物の姿を視界に収めて驚いたようにこう叫んだ。
 『カイト王!』
 まるで恋する少女の様に期待に満ちた声であたしはそう言ったが、それ以上にあたしが驚いたのはその容姿であった。まるでカイル先輩にそっくりだったのである。ただ、その髪はカイル先輩が持つ月光の様な銀髪とは異なる、その瞳と同じような青みがかった黒髪であったけれど。良く似た別人ね、とあたしは考えながら、視界をカイト王からカイト王の隣に控える少女に移した。こちらの女性は、髪だけはカイル先輩の様な見事な銀髪、だが瞳は薄い紫色で、何も感情がない様な静かな瞳をしていた。
 『お久しぶりです、リン女王。最近は手紙を書く時間もなく、ご無沙汰しておりました。』
 演技がかった仕草ですまなそうにそう告げたカイトに対して、あたしは今どき手紙、と思わず考えた。何か様があるのなら携帯メールで良いじゃない、と考え、事実カイトに対してそう告げようとしたのだが、またしてもあたしの口腔から零れた言葉は全く違う意味合いを持つ言葉だった。
 『本当に、寂しい想いをしていたのです。まさかカイト王がお忘れに慣れたのではないかと、いつも不安に感じておりました。』
 その声色に、違和感がある程度に安心感が込められていることをあたしは感じて、あたしは一体この男に何を求めているのだろうか、と考えた。


 「おはよう、リーン。」
 いつの間にかリーン専用の主婦としての立場を固めつつあるハクリは、今日も朝の弱いリーンの代わりに自主的に朝食の調理を担当してくれた様子だった。先程まで確か三度目になるおかしな夢を見たばかりで、どうにも調子が狂う。今日の朝ご飯はなんだろう、と考えながらリーンはハクリに向かってこう言った。
 「おはよう。」
 途端に、欠伸が漏れる。口を開いた瞬間に残っていた眠気が飛び出してきたようだった。
 「もう、リーン。今日から本格的に授業が始まるわ。」
 「ん、大丈夫。」
 寝起きのおっとりとした声のままで、リーンはハクリに向かってそう言った。そのまま、いつの間にか指定席となっている座席に腰掛ける。メイとカイルと出会ってから、既に一週間の日々が流れていた。その間は大学生活に関するガイダンスを受けたり、入る気もないサークルの新歓コンパに顔を出したりして過ごしていたのである。勿論、ちょくちょく歴史研究会には顔を出しているのだが。
 「濃いめのコーヒーを入れたから、目を覚ましてね。」
 ぼんやりと椅子に腰かけたままのリーンに向かって、ハクリはそう言った。コーヒー豆の良い香りがリーンを包み、少しだけ頭に血の気が戻って来るような感覚を味わいながら、リーンは一口、ハクリが淹れた極上のコーヒーを口につけた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 South North Story ⑮

みのり「第十五弾です☆」
満「暑いな。夏だな。」
みのり「本当だよね。」
満「俺達ももうすぐ夏休みだな。」
みのり「うん。でも社会人には夏休みが事実上ないです^^;」
満「フランスみたいに皆で一カ月くらい休めばいいのに。」
みのり「そうよね。ということで、全く作品に関係の無いコメントでしたが、次回もお楽しみ☆」

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閲覧数:292

投稿日:2010/07/18 10:27:58

文字数:4,938文字

カテゴリ:小説

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  • lilum

    lilum

    ご意見・ご感想

    どうも。朝から執筆お疲れ様です(^_^)

    リーンちゃんが見ている夢は過去の話(本人は知らないけど)なんですが、そこに“リーン視点”というのが加わるとまた以前とは違った面がみられて新鮮です。この夢がどういう意味を持っているのかが、前からとっても気になってます♪

    …それにしてもリーンちゃんが羨ましい。
    いいなぁー。私もハクリさんに朝食作ってもらって、優しく起こされたいっ!

    次回も楽しみにしてます☆ それでは(^-^)/

    2010/07/18 11:29:31

    • レイジ

      レイジ

      早速ありがとう☆
      寝落ちの危機を乗り越えてようやくうp出来たぜ・・(^^ゞ

      一応全部話は繋がるので、ん、まあ楽しみにしていてください☆
      でもこのペースだともう少し時間がかかりそうです^^;

      俺もハクリみたいな嫁が欲しい・・。

      ではでは、次回も宜しくお願いします☆

      2010/07/18 11:50:53

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