33.緑の思惑、黄の進軍 ~緑編~
「ミクさま!」
この日も緑の国の女王、ミクは、ハクとともに刺繍にいそしんでいた。そのミクのもとに、金色の髪の若い女が飛び込んできた。ハクとともに和やかな時を過ごしていたミクの緑色の目が、一瞬で緊張をはらんで輝く。
「ネル! 待ちかねたわ!」
ミクが玉座から立ち上がらんばかりに勢い込む。ネルは緑の国の密使だ。特にその金色の髪を生かして、同じ容姿の者の多い黄の国に潜り込み、情報を集める。ミクの気が向いたときだけ情報集めに遣らされるハクとは違って、ネルは荒事を何度も乗り越えた本職である。
その情報の集め方も独特だ。ネルの後を追って、なんと鷹が風を切って飛び込んできた。
鳥が部屋に飛び込んできたというのに、女王のミクは何も言わない。それもそのはず、その鷹こそ、ネルの情報集めの相棒なのだ。
ネルは、飼いならしたこの鷹を使って情報を『狩る』。彼女らの獲物は、貴族や商人が放つ伝書鳩だ。鳩は、人が越えづらい海や山を楽々と飛び越える。貴族や商人の館から館へ、町から町へと渡る伝書バトを、ある通り道で待ち伏せ、飼い慣らした鷹を使って捕らえるのだ。
ばさりと一度の羽ばたきで、狙い過たずにネルの分厚い皮手袋をはめた左手にとまる。
ネルは二つにわけた金色の髪を揺らし、ミクに一礼した。
「まずは、報告を」
ネルが小さな金属片を服の内側から取り出した。
それは、鳩の足輪だった。船から港へ、そして山脈を挟んだ町から町へ。緑の国や黄の国の商人や貴族はだいたい伝書鳩の巣箱を構えている。 陸路の厳しい黄の国と緑の国の大陸は、鳩による情報伝達手段が発達していた。先日ミクが受けた、青の国から使者が発ったという情報も、青の国が船の上から飛ばした伝書鳩から受け取った情報である。
もちろん、事故にあうことや、ネルのような情報を狙うものに取られてしまうこともある。だから重要情報を持つ鳩は必ず複数飛ばされ、持っている文書は暗号で書かれていることが多い。
「読めたかしら? ネル」
「ええ。謎解きは得意ですわ、ミクさま」
ネルが得意げにほほ笑んだ。しかしその笑みもすぐにかき消えた。
「ミク様。悪い知らせです。重大なものを二つほど。まず黄の王が崩御なされ、王女リンが女王として即位しました」
思わずミクは奥歯を噛みしめる。ハクはそのとなりで驚きを隠せずに、ぽかんと間抜けな表情をさらしてしまう。
「次に、黄の国が軍隊を編成し、緑の国へと侵攻中の事」
ミクの口が笑みの形に引かれた。ぐっ、と、握りしめた拳を、豪奢な技巧をちりばめたスカートにたたきつけ、立ち上がる。
「やはり来たわね。あの子……やってくれるじゃない」
黄の国の状況は、ミクもよく知っている。ネルや他の密使をつかわし、情報を集めたのだ。
リンが諸侯らに邪魔者にされて、あわよくば青の国へ嫁がせてしまおうとされたことも知っていた。その黄の王女リンが、青の皇子の成人祝いに招かれ国を離れた一か月間、有力な諸侯がその国政を握っていたことも知っている。
旱魃が日に日に人々を圧迫する中、黄の国の有力諸侯のひとりが井戸の使用に税を課したことも知っている。兵士になることで生活を優遇する制度が出来たことも、知っている。黄の国より早く帰国し、黄の情報を得て、ミクは勝負に出たのだ。
リンはいずれ王になる。ミクが、青の国で会ったリンを見るかぎりでは、きっと、黄の国のリンは、人々の心を集める、賢く強い、有能な王になる。
それは、緑の国への脅威だ。
しかも、青の皇子カイトは一生懸命王女として役目を果たそうとしているリンに好感をもったようだ。リンは、カイト皇子との婚約は成らなかったものの、青の国との関係を良好な状態に向けた。青と黄が結ぶこと。資源国同士が慣れ合っては、工芸の国の緑は、非常に困るのだ。
「青と黄は、競争してくれないと困るの。そして安い材料を提供してくれなくては」
そしてミクは、女王の座を保ったまま青の皇子と婚儀を結ぶという決断を下したのだ。
「青と黄は競争していてほしい。さらに、どうせ味方につくのなら、安定した青につきたいもの、ね」
「ミク様」
ハクが不安気にミクを見やる。
「まさか、あのリンさまが、こんなに早く女王になられるなんて」
「……あらハク。真面目で行動力のある子はね、いざとなったら怖いわよ。
私が婚儀を決めた直後に、そうそう都合よく王と王妃が亡くなるものかしらね……?」
ミクがハクにうなずくように二コリと笑う。ぞくり、と泡立った肌が、ハクの言葉を封じた。
ミクが勢いよく一歩前に踏み出した。
「ネル。伝令。まずこれ以降の緑の国の国境は封鎖。次に急いで使いを各市長の元に使わして、今報告した内容をすべて知らせて。そして警備を厳重に固めさせて」
「市長会議は開きますか?」
「城に人を集める時間が惜しいわ。王城にある国軍も団に分けて、国境の近い街を優先して振り分けます。伝令はその軍団に持たせるわ。それぞれの市に、判断を任せます」
「御意」
ネルはあっという間に部屋を出て行った。そして、数分もしないうちに人の走る音があわただしくあふれだした。
「ハク」
「はい……」
あまりの事態に、視点を床のあたりで揺らしているハクに、ミクはそっと触れた。
「ハク。あなたは、私と一緒にいてもらうわ」
そして、ミクは、ふところからそっと短剣を取り出した。
「これを、あなたに預けるわ。あなたのことだから、針より重いものは持ったことなどないのでしょうけど、少しは、心強いでしょう? 」
「ミクさま……」
ハクは、震える手でそれを受け取った。護身用に作られたそれは、思いのほか質素だった。そっと鞘をぬくと、ヒィン、と刃が鳴った。その鋭い光に、実用的な刀なのだと、ハクは理解した。じっとりと汗ばみ始めた手のひらを意識しながら、そっと刃を鞘に戻す。
「貴族の女の小手だましでは無いわ。それは、暗殺者の刀。実用品よ。……ハク」
ハクはうなずいた。
「それは、私の刀よ。あなた、私も守るのよ?」
ミクの瞳に射抜かれ、ハクはうなずいた。
「はい、ミクさま」
ハクの目が定まった。ミクは、よろしい、とうなずいた。
ハクの返事を聞いて、ミクは満足してうなずいた。
荒事に慣れていないハクが、黄の国の侵攻と聞いておびえたことに気づき、ミクは自身の短剣を託した。
「これで、私も守るのよ?」
きっと、そう言っておくことで、ハクは気を強く持っていられる。気を強く持つことが、有事にはハクの心と命を守るだろうとミクは予想した。
「はい、ミクさま」
「よろしい!」
ミクは頷き、刺繍を片付け、机に向かった。
紙とペンを取り出し、文書を綴っていく。
宛先は、黄の国の女王、リン。
* *
やがて伝令を終えたネルが戻ってきた。
ミクは何度か紙を振って書き終えた文書を乾かし、封筒に入れて溶かした蝋で封をした。
そこに緑の女王の型印をつける。
「ネル。こちらも打てる手はすべて打つわ。これをリン女王に、直接届けて」
直接、とネルの唇が動く。おそらく進軍する軍の中央にいるか、それとも王都から見守るか。それはとても難しいことのように思えた。
「……リン様に、密会を持ちかける文書よ。私が、直々に会って話をするわ。緑の町に、黄の軍が入ってくる前に。黄の軍に町が荒らされることだけは、なんとしても阻止したいの。 ……頼むわね」
それは、無理な願いだが、やるしかないとネルにも解った。
「わかりましたわ。ミク様。かならずリン女王様を、お連れして参ります」
封書を薄い木箱に入れたミクは、さらに封書と同じように蝋で封をし、印を押し、ネルに渡した。
「密会場所は、この城よ。ネル。うまくリンを引き込んで頂戴。待っているわね」
「御意。……先ほど、青の国の鳩が来ました。港に着くまで、あと十日だそうです。
黄の国の到達までは予想であと三日。どうか、持ちこたえくださいませ」
ネルは真剣な面持ちで力強く頷くと、くるりと背を向けた。部屋の戸をくぐるその前に、ネルは再び振り返った。
「ミク様。かならずリン様をお連れしますから、しっかりとハクを、お守りくださいね!」
驚いたのはハクである。
「な、なんで私が」
思わず素の声を発したハク。するとネルも、まるで町の娘のように笑った。
「あたしもね、緑の国の女だから! 技術工芸の国、緑の女だから、スゴ腕の刺繍の技を持つハクが怪我でもしたら寂しいのよ! ね、ミク様!」
ハクはその物言いにぽかんと口を開けてしまう。思わずミクを見やると、ミクは涼しい顔をしてネルに返した。
「……雇われ密使のくせに、生意気な口をきくわね?」
ネルもにっと笑う。
「……信用していただいて、ありがとうございました」
ハクの鼓動がどきりと鳴った。このネルも、緑の髪を持たない緑の民だ。
「あの、ネル」
「いってまいりますわ! 」
鮮やかに、金の髪の残像を残してネルが走り去っていった。軽い足音が遠ざかって消えた。
「ハク。……あと三日で、私たちとこの国のすべてが決まるわよ。私は、『打てる手はすべて打つ』わ」
「はい、ミクさま」
「あなたには、話しておくわ。あなたも、リン様と知り合ってしまったものね。
……ハク。私、密会でリン様を殺すつもりよ」
ハクの頭の中が真白に染まる。ミクは、静かに言葉をつづけた。
「青の国で、あんなにあっさりと人の心をつかみ、青の皇子と結婚できないと知るや否やすぐさま別の目的を見つけ、そして今回、自国の不利を知ったとたん女王の座を取りこちらに進軍する行動力……。 いずれ脅威になるのなら、相手が侵略してきたという理由のある今、やるべきと思うわ。
緑の国の、繁栄のために」
ハクは、まるで異国の言葉のように、ミクの言葉を聞いていた。
「王位を取るためにリンさまは、父上と母上を殺し……ミクさまは国を守るために、ご自分を慕ってらっしゃるリンさまを殺す……」
いつか、刃を向けられてもひるまなかったハクは、この時初めてミクを恐いと思った。
そして。ミクが殺すと言ったリンのことも、ハクの頭から離れない。青の町で、レンに出会った。その一召使いが怪我をしたときの、リンの行動を思い出した。
町に呼びかけ、医者を呼んだ、その迅速で的確だった、若い王女の行動を。
「本当に、王位を取るために、御自分の父上と母上を……?」
乾いた風が、山から吹き下ろしてきた。緑の王宮に、黄の国の砂の匂いが届いた。
続く!
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