──侍女長が死んだ──
私は、家に来たアネさんに、そのことを聞いた。革命軍の会議で、マーロン国王カイルから、告げられたらしい。
「じ、侍女長が……」
声が、体が、震える。
心臓の音がうるさい。
「死因は、ナイフの刺し傷だったそうよ」
だから、私のせいではない……とでも言うように、アネさんは私の背中をポンポンと叩いた。
私は、王宮に仕えていた。王女付きのメイドだった。私の主君だったリリアンヌは、正に“悪ノ娘”である。自分さえよければそれでいい。『王宮のものは全て私のためのもの』。そんな人。
だから、私は……。私は、王宮に仕える身でありながら、レジスタンスに協力した。王宮の情報を流し、戦闘にも参加した。
『シャルテット!』
声が聞こえる。……幻聴、だ。
侍女長の、声。既に死んだ、侍女長の声だ。
そう、侍女長は既に死んだ。声など、するはずがない。
侍女長は、私の上司だった。厳しくも優しい人だった。
大雑把で、そそっかしくて、細かい作業が苦手で、頻繁に物を壊す私に、呆れることなく接してくださった。
『少しずつ慣れていけばいいわ』
根気強く、仕事を教えてくださった。
『シャルテットー!』
王女の声。
これも、幻聴だ。耳を塞ぐ。幻聴だから、耳を塞いだところで、何の意味もないのだけれども。
王女は捕らえられた。革命軍に捕らえられたのだ。今、王女がいるのは、王宮の牢獄。
彼女の声がここで、私の家で、聞こえるはずなどないのだ。
王女付きのメイドは気の抜けない仕事だった。王女──悪ノ娘──と直に接するのだ。いつ、首が飛んでもおかしくない仕事だったのだから。
……幸い、なのだろう。私は王女に気に入られていた。彼女が人を遠ざけた時も、世話をすることを許されたほどに。王女に気に入られていたことは、私に、安心と恐怖を同時にもたらした。気に入られているが故に、首が飛ばない安心と、気に入られているが故に、彼女と接する機会が多い恐怖を。
『お前が、王宮仕え? そんなの無茶だろ!』
『絶対、物壊して、すぐに解雇だって!』
王宮に仕える前、周りの人には笑われた。
私も、自分の大雑把さは分かっていたので、何も言い返せなかった。
『シャルテット、あなたのその口調は……』
ああ、そうだ。初めは、侍女長も眉を顰めたのだった。その荒々しい口調は王宮仕えに相応しくない、と。
『ん? あなたは……新しいメイド? おもしろい喋り方をするのね。気に入ったわ!』
けれど、リリアンヌ様は、そんな私を気に入ってくださった。
『あなたのような人は、初めてよ!』
とても無邪気な笑顔を、向けてくださった。
私が失敗した時も、笑顔を向けてくださった。
『何じゃ、シャルテット。お主、また怒られたのか。わらわも昔はよくお母様からお叱りを受けての……お揃いじゃな。……あっ、このことは、誰にも言うでないぞ? 2人だけの秘密じゃ』
リリアンヌ様はそうおっしゃると、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
『へえ、シャルテットって言うのね? よろしく!』
リリアンヌ様の笑顔は、とても無邪気だった。
『シャルテット!』
あの時も。
『シャルテット』
あの時も。
リリアンヌ様は、とても──。
──っ、どうして。どうして、こんなに、楽しい思い出ばかり。こんなに楽かった思い出ばかり、思い浮かぶんだ。こんな時に。
『でもたぶんこのままじゃ国もみんなも不幸になるッス!』
あの時言った言葉は、本音だ。そう、紛れもない、私の本音だ。私は、選んだ。王宮を裏切る道を。王宮を滅ぼす道を。王女を罰する道を。
この国のために。みんなのために。
なのに、なんでこんなことばかり思い出すんだ。
『何? また噴水でも壊した?』
これは、アレンの声だ。あれは、去年のリリアンヌ様の誕生日だった。
アレンは、今どうしているだろう? 無事だろうか。巻き込まれては、いないだろうか? アネさんも、アレンの安否は分からないと言っていた……。
『……でもそれは、王女だけが悪いのでしょうか??』
アレンは、リリアンヌ様のことをそう言った。
アレンは、王女付きの使用人の中で、多分最もリリアンヌ様に気に入られていた。アレンも、リリアンヌ様にただならぬ思いを抱いていたように見えた。だから、アレンに革命のことを話しはしなかった。アネさんは、事前に話して、アレンを連れ出したかったのでようだけれど。私は、アレンは王女と通じている節がある、と言って──。
『王女が幼いというのならば、それを支えることこそが臣下の役目ではないですか?』
リリアンヌ様は、14歳。じきに15の誕生日を迎えるとはいえ、まだ少女。国を背負うには、あまりに幼い。
だから、王女を捕まえる時に、あんなことを言ってしまった。
『あまりいじめないで、優しく扱ってあげてほしいッス……』
そう思ってしまった。
アレンの言う通り、王女だけでなく、本当は──。
──ハッ‼︎
私は、何を考えている。
シャルテット‼︎ お前が、選んだんだろう‼︎ これが、正しいのだと‼︎
自分に言い聞かせる。
ダメだ。後悔してしまいそうだ。こんなことばかり思い出すと。
『私は、今から王女に会いに行くわ。言ってやりたいことが山ほどあるもの』
アネさんは、そう言って、私の家を出て行った。
アネさんと王女は、どんな会話を交わすのだろう? 革命軍を指揮したアネさんに対し、王女はどんな態度をとるのだろう? 何と言うのだろう?
アネさんから、王女の様子を聞けば、私の迷いは拭われる……だろうか?
家でうずくまっていても仕方がないので、街に出てブラブラと歩く。
街は、王女を倒したことによって、王宮の倉庫に蓄えられていた食料が配られたことによって、歓喜と活気にあふれている。
やはり、私の選択は正しかった。
だって、みんな、こんなに幸せそうじゃないか。
「あ、アネさん!」
しばらく歩くと、王宮の方から、アネさんが歩いてくるのが見える。
あれ? どうやら元気がなさそう……?
「アネさん! 王女は、どうだったっッスか?」
────スッ
アネさんは、私に気づいていないかのように、私の真横を通り過ぎていく。
「アネさん!」
声を張り上げる。
アネさんは、フラフラと頼りない足取りで、彼女の家の方へ向かっていく。
「アネさん⁉︎」
声が、震える。視界が、滲む。
「アネさん、何があったんスか⁉︎」
どうして、無視するんッスか⁉︎
アネさんの様子が、おかしかった。
王女に、何かショックなことを言われたのだろうか?
王女が、アネさんを傷つけたのだろうか?
なら、やはり、この革命は正しかったのだ。
アネさんを傷つけるような王女など、許されてはいけない。
王女の処刑当日だというのに、アネさんは茫然自失のままだ。
みんな、喜んでいるのに。
余程、王女に辛いことを言われたのだろうか。
一体、何があったのだろう。
とても気になるが、何も言えなかった。
王女が、断頭台に上がる。
私にとっては、見慣れた姿だ。みんなにとっては、初めて見る姿なのだろうが。
……あれ?
見慣れた姿のはずなのに、見慣れた姿のはずだから、違和感を感じる。
この違和感は、何?
言葉にならない、僅かな違和感。
あれは、あの断頭台に立っている人は、王女じゃない‼︎
根拠なんて、ない。姿だって、そっくりだ。
王女でない訳がないほどに。
でも、あれは、王女じゃない‼︎ リリアンヌ様じゃない‼︎
なら、だとすれば、あれは、誰だ? 王女とそっくりなあれは、王女の代わりに断頭台に立っているのは、誰だ?
決まってる。
王女とそっくりな人間を、私は知っている。
アレンだ。
私と同じ、王女付きの使用人だった、アレンだ。
私の幼馴染の、アレンだ。
アネさんの義弟の、アレンだ。
ああ、そうか。そうか。
アネさんが、茫然自失なのは。牢獄にいたのが、王女に会いに行った先にいたのが、アレンだったからだ。
アレンは、アネさんの義弟。事情を話し、逃がそうとするほど、大切な。
そのアレンが、今日、断頭台で散ることを知ってしまったから……みんながそれを望んでいるから、アネさんは……。
ああ、なんと、残酷なのだろう。
鐘が鳴る。
教会の鐘。
3時の鐘。
王女の処刑を告げる鐘。
「あら、おやつの時間だわ」
“悪ノ娘”の声が、広場に響く。
鳴り響く断頭台の音に、目を閉じた。
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