「一皮剥けて大きくなる」
 人はよくそう言う。
 でもそれってどういうこと?




 ぴり、と走る痛みに少しだけ顔を顰める。
 痛い。
 でも確かどこかで「成長は痛みを伴うものだ」って聞いたことがあるから、多分これで合ってるのかな。うん、大丈夫のはず。
 手首から滲み出る赤いものを見ながら、ぼんやりした頭で考える。
 でもなかなか「一皮剥ける」のって難しいなあ。こうして切れ込みを作ってみたところで、そこから一気に剥けるわけじゃないんだもん。
 頑張って動き回ってみても振り回してみてもびくともしない。
 どうにかならないものか、と何度か切り刻んだ痕のある手首を見ると、自然に腕が目に入る。

―――汚いなぁ。

 あちこちに青痣があって、とても綺麗だとは言えない。
 下地が比較的白いから、青黒くなった痣は割と目立つ。私はこの汚れがちょっと不満だ。
 だから全部新しいものにしたくて…だから脱ぎ捨ててしまおうと思ったんだけど。ううん。
 しかも、どうも話を聞く限り「一皮剥け」れば、精神的にも大きくなれるらしい。それって一挙両得じゃない?って思ったけど、やっぱり美味しい話には裏があるものだね。こんなに大変なことだったなんて。

 カーテンの閉まっていない窓からは、朝の世界が見える。曇り空で朝日は見えないけど、無駄に強い光がない分大体みんな薄暗く見えて嬉しい。高層マンションの上層階だから見晴らしは良くて、世界の全部が灰色なのを見ると安心する。
 そういえば私達の家はマンションの縦に(二階分ある)長いけど、これは最近では普通なのかな。
 ああ、勿論一階分に占める面積は広くないし…同じ階に私たちと同じような構造の家が五つくらいある、とか言ってたよね。流行のスタイルなのかもしれない。

 がたん。

 不意に扉が開く音がして、私はそっちを見た。
 無表情でそこに立っているのは、レンだ。

「あーレン、おはよー」
「おはよ。…何、また切ってんの?」
「うん。すぐくっついちゃうからさ」
「無駄だからやめろって言ってんじゃん」
「無駄かどうかなんて分かんないでしょ?」

 はあー、と一つ大きな溜息をついて、レンがソファに鞄を置く。これから朝練なのか、それともただ早く準備を始めただけかは分からない。
 でも良く考えたらご飯も何も出来てないし、ただ準備を早くしているだけなのかな、と思う。私は皆が活動する時間帯には部屋に篭ってるから良くわかんないけど。

「せめて自分の部屋でやれよ。リビングとか、皆が見たらびっくりするだろ」
「最初に起きてくるのはいつもレンでしょ?」
「はいはいそーですね…いやだからやめろって言いたいんだよ、俺は」

 面倒そうな顔でレンが近寄ってくる。
 どれどれ、と切ったばかりの手首を持ち上げられて、またぴりりとした痛みが走る。同時にぼたぼたと赤い色がフローリングの床を染めた。
 ぱっくりと開いた傷口を見て、レンは痛そうな顔をする。…自分の事じゃないのにね。

「うっわ…またこれはすっぱりと…」
「うん、今回は結構しっかり傷つけたんだけど」
「血、止まんないじゃん。お前死ぬぞ」
「?」

 死ぬ?なんで?

 いまいち話の繋がりが分からなくて私は首をかしげる。
 だって私は「一皮剥け」ようと思っただけだよ?なのになんで死ぬなんて話になるんだろう。
 ずきずき、ずきずき。手首が痛む。
 でも痛むだけで、一向に変化が起きる様子は無い。

「やっぱり駄目かぁ…」

 しゅんとして項垂れる私に、レンが不気味なものを見る目を向けてくる。
 何でそんな目で見るんだろう。ちょっと腹立たしい。

「お前、痛くないの?」
「そりゃ、ちょっとは痛いけど」
「ちょっとって…それ痛覚麻痺してないか…?」
「失礼な」

 唇を尖らせながら反論しつつ、考える。
 何で私は今のままなんだろう。何で新しくなれないんだろう。何で、何で、何で?
 もう一度はじめから考えてみる。一体何処に問題点があるのか洗い出すために。
 一皮剥けるものを自然界の中で考えるなら、例えば蛇。海老、カニ、ザリガニ。あと虫の幼虫とかもそうだったっけ?ぱっと思いつくのはこのくらいかな。
 ……なんかあんまり……
 ま、まあいいか。虫なら蝶とか綺麗なやつもいるわけだし。

 と、私はそこで重大な事に気づいた。

「どうしよう、レン」
「あ?」
「脱皮の前と後で、形ってそんなに変わらないんだね」
「…うん、まあ、皮脱ぐだけだからな」
「ああああああっ、盲点だったあああああ」
「とりあえず気付くのが遅いって言っておこう」
「気付いてたなら言ってよ」
「何回言えば分かるんだ、俺はお前のリスカを止めさせたいんだよ。しかも最近は怒りも笑いもしないで、能面みたいな無表情で…なんか怖いんだよ。ちょっと前まであんだけお転婆で五月蝿い奴だったくせに」
「つまり、もしかしたら脱皮自体は成功してたかもしれないって事だよね、私が気付いてなかっただけで」
「もしもしリンさん、聞いてます?」
「え、じゃあどうすればいいんだろう」
「無視すんな」
「これは熟考の必要がありそう…」

 思考をまとめようとぶつぶつ呟きながら立ち上がる。
 時間的にもうすぐ他のみんなも起きてくるだろうから、もうリビングは使えない。私の部屋(正確には私とレンの部屋)に行かなくちゃ。それに、汚しちゃったフローリングの掃除も早くやらないと固まって取れなくなってしまう。

「えーと、とりあえずタオルタオル」
「いいから」
「え?」

 ぐい、と傷があるほうの手を引かれて、さすがに顔を顰めてしまう。痛くないのか、とか聞くならもうちょっと優しく扱ってくれても良いのに。
 何をされるのかと思ったら、鞄からハンカチを出されて傷口をぐるぐる巻きにされた。
 …これされるとすぐに切り口がふさがっちゃって結構困るんだけど…まあ部屋でこっそり取ろう。
 青い色のハンカチがみるみるうちに赤く染まる。そういえばこれのハンカチは私とお揃いで貰ったもので、私が白、レンが青を取ったんだったっけ、なんて事をぼんやりと思い出す。私のものはもうなくなってしまったし、このハンカチももう使えなくなっちゃうだろうからどうって事もないんだけど。

「床は俺が綺麗にしとくから、リンは部屋に戻れ」
「いいの?」
「良い訳あるか。二度とするんじゃねえよ」
「うーん…しばらくしないかも」
「なら今のところは良し」

 さあ行け行け、と追い払われて階段を上って部屋に向かう。
 本当はレンの鞄がソファから落ちそうだったから帰りがけに直そうかと思ったんだけど、血でべたべたの手で触ったんじゃ汚してしまうかな、と思って止めた。学校の鞄は指定されているはずだから汚したら替えもないし。


 学校。


 その単語に反応してか、胸の中を鋭い痛みが駆け抜けて唇を噛む。
 でもその痛みも、もう一瞬だけのこと。すぐに消え去ってしまう。

 ただ、残り香だけは消えてくれないけどね。

 でも大丈夫。どれだけ嫌な記憶が蘇ったって、私はもう泣いたりしないもん。だって泣くのってどうすればいいか忘れちゃったから。
 それと一緒に笑うやり方も忘れたけど、どうせ笑顔を見せる相手なんていないし、問題ないよね?

 頷きながら部屋に入って、そこで私は困ったことに気付いた。
 血がまだ止まっていない。
 つまり布団に入ることも抱き枕に抱きつくことも出来ない。

 …えっ、何もできないんですけど。

 仕方なく部屋の隅で体育座りをしてみる。意外としっくり来たのがちょっと複雑。

 ―――さて。

 気を取り直して、もう一度さっきの続きを考えてみることにする。
 このままじゃ駄目だ。私が皮を脱ごうと思ったのは、なりたい自分があったから。
 でも何枚脱いでも何枚脱いでも、直ぐにどろどろのぼろぼろになってしまって、なかなかなりたい私になれない。
 うん、せめてこの腕に残ってる嫌な斑点くらいは消えて欲しいのに、傷はどんどん増えていくだけ。仕方ないこととは言っても、やっぱり嫌だなあ。
 でも、もしかしたら脱皮自体は出来ているかのもしれない…つまり、「変化」が欲しいのなら、私はその先を考えないといけないんじゃないだろうか。

 その先。その先、かあ。

 脱皮の先には何が待っているんだっけ?

 うーん、と私は首をひねる。
 手を組んだ拍子に、ぼた、と巻かれたハンカチから血が滴って床に落ちる。
 流石にまずいと思って急いでティッシュに手を伸ばし―――


 ―――そこでぐらりと世界が歪んだ。






 あ


      れ?






 体に力が入らない。

 何だろう、これ。おかしいなあ。
 動けない。なんで?

 ぐるぐるぐる、思考が高速回転する。
 段々と暗転していく世界。そして、完全な闇が訪れる寸前にやっと答えが弾き出される。


 あ、そっか。





 脱皮が終わったら―――蛹になるんだもんね――――――……





 ――――――――ン

 ―――――――リン



「おい!リン!おいっ!!」

 揺さぶられている。
 そのことに気付いて、私は目を開けた。

「何してんだ馬鹿っ!しっかりしろ!」
「…あれぇ、レン…?」
「貧血だ!いや貧血って言うか、このままじゃマジで失血死だ!くそ、救急車…あー、携帯電池ねえよ!」
「しっけつ…し?」

 レンが何を言っているのか分からない。っていうか、今目の前にいるのは本当にレンなんだろうか。声はレンなんだけど、目は霞んでしまって良く分からない。

「じっとしてろ、動くなよ!」

 言い捨ててレンが部屋を飛び出す。
 なんでそんなに必死なんだかは分からないけど、私には一つだけ分かっていることがあった。

―――羽化に成功したんだ。

 やっぱり体に力は入らない。だけど羽化したての昆虫とかってしばらくは凄く弱弱しいから、今の私もきっと同じ状態なんだろう。
 顔だけ動かして自分の姿を見てみると、見た目にはそう変わったところはない。敢えて言うなら全体的に赤黒くなっているけど、もしかしたらこれが私から出て行った不純物なのかもしれない。

 とても高揚した気分で私は窓に向かう。立って歩くことが出来ないから這いずりながら。
 何とか手を伸ばして窓を開けて、身を乗り出す。
 やっぱり、地上十階の風景はとても遠くまで見渡せて気持ち良い。果てがないくらい高く広がる空は曇っていて太陽なんて全然無いけど、それが良かった。太陽なんて出てたら眩しすぎる。

 ―――時間的には、そろそろ飛べるようになってるはず。

 ずるり、と身を滑らせて外へ羽ばたこう―――とした時。

「……っ、リンっ!!」

 がっ、と手を掴まれて私の体がそこで止まる。
 ぶらんと窓からぶら下がる形になった私は億劫ながらも顔を上げてレンを見た。

「…あぁ、レン…」

 目はおかしいままみたいで、レンが蒼白な顔で私を見つめているように見える。
 握っている手もずいぶん力が篭っているのか、少しだけ筋が浮いていた。運動系のレンの手は割と筋っぽくて、人間の手じゃないみたいだなんて思う。
 猿の手…あれは願い事を叶えるとか言うやつだっけ?呪いじみた話だったような気もする。うーん、良く覚えてない。
 上を向いているのに疲れて、かくんと首を項垂れさせる。マンションの壁にぼんやりだけどぶらぶら揺れる何かの影が映っているのが目に入った。太陽が出てなくても影って出来るものなんだなあ。知らなかった。
 あれって何の影なんだろう。あ、私か。
 なんだか蛹から出た成虫の姿に似てる。後ろ足の辺りだけ蛹に入ったままでぶらぶらしてる感じの、アレ。

 レンが私を呼んでいる。リン、リン、死ぬな。そんな、大丈夫なのに。だって私は脱皮に成功して羽化もできたんだよ?飛ぶことくらい出来るよ。
 ああそうか、レンはまだ飛べないんだよね。でも待ってるほど私も辛抱強くないし、先に行かせて貰おうかな。
 私はもう一度レンを見上げた。久しぶりの笑顔で、レンを見る。
 って言っても、レンがどんな顔してるかなんてぜんぜん見えないけど。

「ねーレン」

 血で塗れた私の手は、とても良く滑る。
 とても良く、滑る。

 私は思いっきり両手を振った。
 だって挨拶する時って、手、振るでしょ?

 私はお別れを口にした。

 レンに。
 これから始まる一日に。




「ばいばい」




 ずる、とレンの手の中から私の両手が滑り出る。
 そして、落下感。















 あれ、おかしいなあ、羽ばたけない。

 ちょっと、飛ぶの早かったかな?

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

私的脱皮日和

mayukoさんちのリン曲は大体ツボです。
これもいくつか解釈はあるけど、どう考えるのも楽しくて好きです!
このリンちゃんの裏設定としては
・いじめで不登校
・そして家の中でも引きこもり
です。



で、ここで予告をば。
次辺りから「夕闇とオレンジ」をBGMにできたらいいなー、という感じの連載を始めようと思います。

メインはクリプトン組とミクオ。亜種苦手な方はご注意ください。
あと、CPははっきりしているものはクオミクになると思います。いつかクオミクで「闇色アリス」やりたいと思っていたので、それも混ぜる気満々です。




あと関係ない話題を少し。(もはやブログ扱い)

最近はGUMIとレンで良い曲が多すぎる…シグナルさんのGUMIとかゆうゆさんのレンとか流石すぎる…!まあGUMIちゃんについてはすでにDECO*27さんで波が来ていた訳ですが。
そしてカラオケの鏡音八八花合戦の歌いやすさに吹いた。え、なにあれ予想してたのよりめっちゃ楽しい!惜しむらくは一人二(ry

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閲覧数:684

投稿日:2010/08/17 02:30:04

文字数:5,240文字

カテゴリ:小説

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