第十章 悪ノ娘ト召使 パート10
カイト皇帝。
近い将来にそう呼ばれることになるカイト王の功績を、後の歴史学者達は歴史上初めてのミルドガルド大陸の統一を成し遂げた人物として好意的に評価する傾向があった。だが、その為に流れた血の多さを歴史学者達はどうしても軽視する傾向にある。その最後の血を求めてカイト王が黄の国の王宮に到達したのは十一月も暮れを迎える頃であった。そのカイト王を、黄の国の国民は熱狂的に迎え入れた。即ち、圧政からの解放者としてカイト王を支持したのである。カルロビッツから一路行軍を続けて来たカイト王は黄の国城下町の東正門から堂々たる入城を開始した。その東大通の沿道には、数多くの国民が集まり、口々にカイト王を称えたのである。カイト王万歳の声が響く中を、カイト王はアクと肩を並べて行軍した。
民衆達に向かって右手を上げてその声に答えたカイト王は、これで俺の野望は叶ったと考えて、くつくつとした笑みが漏れていることを自覚することになった。ミルドガルド大陸はどこかの国により統一される必要があった。こうすることで、ミルドガルド大陸内の交易はもっと円滑になる。そして何より、建国以来数百年の間常に小競り合いが続いてきたミルドガルド大陸に戦争を無くすことが出来る。戦争が無くなれば、その分の武力を山賊討伐に当てることが出来る。もうアクのような、両親を亡くす不幸な少女を増やすことが無くなる。有史以来求め続けていた平和がようやく現実のものになるのだ。カイト王はそう考え、前面にそびえ立つ黄の国の王宮の尖塔を視界に収めた。
そのまま、カイト王は黄の国王宮の正門玄関へと到達した。頭上に迫りくるような黄の国の王宮の尖塔の下、カイト王を迎え入れたのはメイコとアレク、そしてグミであった。
「カイト王、この度の勝利おめでとうございます。」
メイコは敬礼を行うとカイト王に向かってそう告げた。
「ありがとう。メイコ殿も、我が軍への協力感謝する。」
カイト王がそう告げた時、メイコは僅かに微笑んだ。心中に湧き起こった嫌悪感を誤魔化すように。しかしその様なそぶりは一切見せず、メイコは続けてこう言った。
「では、玉座へとご案内致します。こちらへ。」
「頼む。」
そのカイト王の返答に一つ頷いたメイコは、カイト王を黄の国の王宮へと招き入れ、玄関ロビーから上空へと延びる螺旋階段をカイト王と共に歩んで行った。赤いカーペットで覆われたこの螺旋階段も、第四層を覆う大理石の床も、謁見室の中央から吊り下げられている重層なシャンデリアも、全て俺のものだ。そう考えながら、カイト王はメイコが指し示した、一目で造りが良いと分かる玉座に腰かけた。青の国の質素な玉座とは違い、心地よく身体に合う座り心地を確かめながら、カイト王は謁見室に集まったメイコ以下の反乱軍メンバーと、青の国の将軍たちに向かってこう言った。
「今後、黄の国は青の国へと編入する。」
その言葉を耳にした瞬間、メイコは思わず視線を床へと落とした。これで、黄の国は完全に滅亡した。その幕引きを直接に引いたのは、黄の国創立以来から王家に仕えてきた家柄である私自身。本当に、反乱は正しかったのか、という疑問が今一度心中に湧き起こる。そして、カイト王がもう一度口を開いた。
「また、本日元黄の国女王であるリン女王の処刑を執行する。予定時刻は午後三時。」
淡々とそう告げたカイト王の言葉に、メイコは静かに息を飲み込んだ。リン女王を殺し、今後の政情の安定を図ろうとしている。それだけではない。あくまで解放者としての立場を黄の国の国民に知らしめる為には象徴的なイベントが必要だと考えているのだ。おそらく、カイト王は聞く耳を持たれないだろう。だが、それでも申し上げなければならない、とメイコは考え、強い意志を込めた口調でカイト王に向かってこう言った。
「カイト王、恐れながら申し上げます。」
「どうした?」
突然のメイコの進言に対して、僅かに眉をひそめながらカイト王はそう言った。冷静に見えて、実は激情家なのかもしれない。カイト王の瞳に宿った燃え盛る様な視線を真っ向から受け止めながら、メイコは言葉を続けた。
「リン女王は背徳の王とはいえ、我が主君であった人物です。どうかご容赦頂けませんでしょうか。」
その言葉に、驚いた表情をしたのはグミ。逆に、優しいけれど力強い表情で頷いたのはアレク。アレクだけは私のことを理解してくれている。その事実に安心感を覚えたメイコはそのままカイト王の言葉を待った。だが、カイト王は瞳に宿した強い視線を緩めることなく、却って強い調子でメイコに向かってこう言った。
「それはできない。リン女王の処刑は確定事項だ。すぐに準備をしたまえ。場所は民が集まる場所が良い。その段取りはメイコ殿に一任する。」
その言葉に、メイコはもう一度視線を床に落とし、そして呟くようにこう言った。
「畏まりました、ご無礼をお許しください。」
これ以上食い下がったところでカイト王は納得しないだろう。メイコはそう考えた。カイト王の言葉はその程度に強い調子を持って謁見室に響き渡ったのである。
ごめん、レン。
メイコは心の中で、強くそう呟いた。
私では、あなたを守ることができなかった。
リン女王処刑の旨が黄の国城下町の全域に伝えられると、黄の国の民衆達は一斉に処刑現場とされた南大通に位置する南広場への集合を開始した。処刑の時間までまだ三時間以上の時間があるにも関わらず、民衆達は我先にとリン女王の処刑の見物に訪れたのである。その中で、嘆き悲しむ人間の数は余りにも少なかった。ただ、彼らはこれまで幾度となく辛酸を浴びせて来たリン女王が処刑される聴いて、紅潮する様な思いを持って南広場へと集合したのである。これまで王族が処刑された試しは史上一度もない。これ以上ないエンターテイメントであると黄の国の民衆達は考えたのである。
そのざわめき出した黄の国の城下町を、民衆達の動きとは逆行する形で、顔をフードで覆った女性が歩いていた。ルカである。黄の国の王宮からワープの魔術で脱出したのはいいが、移動魔法は重大な欠点があった。即ち、移動範囲が限られることと、魔力を大量に消費するという欠点である。その為にルカでさえも一度のワープで城下町から逃亡することが出来ず、こうして黄の国の王宮が陥落してから一週間余りを城下町で隠れ潜んでいたのである。だけど、今日なら。これまで城壁の警備が厳しく、とても逃亡する余地がなかったが、今日は警備も緩むはず。ルカはそう考えていたのである。その後は、宛てがある訳ではないが、リン一人を無事に逃がす程度はどうにでもなる、とルカは考え、そして南大通りから路地へと歩みを進めた。そのまま、迷路の様な路地を歩み、とあるアパートメントで立ち止まる。周囲を確認して誰もつけていないことを確認したルカは、そのままアパートメントの二階へと向かい、その部屋の一室の扉を開いた。この部屋に、リンが潜んでいるのである。
「ルカ。」
ルカの姿を見たリンは、安堵したようにそう言った。念には念を入れてカーテンは常に閉め切っている為に、部屋の中は常に薄暗い。その部屋の真ん中で、男装したままのリンが着席していた。まるで親の帰りを待つ幼女の様に。
「リン、今日城下町から逃亡するわ。」
ルカがそう告げると、リンは訴える様にこう言った。
「ルカ、レンは・・お兄様は?」
まだお兄様とは言いなれていない様子で、リンはそう言った。その言葉に静かに瞳を落としたルカは、一体どうやってリンに伝えればいいのだろうか、と考える。レンは今日処刑される。そのことを、伝えるべきなのだろうか。ルカがそう悩んでいると、リンが更にこう言った。
「もう、殺されてしまったの?」
泣き出しそうな表情で、リンはそう言った。その言葉に、ルカは苦しさを押し出す様にこう告げる。
「・・今日、処刑が予定されているわ。」
ルカがそう告げた時に、リンは唇を噛みしめて、それでも気丈にこう言った。
「あたし、行くわ。」
「行くって、どこに。」
その言葉に戸惑ったのはルカだった。この期に及んで、一体どこに行くと言うのだろうか。だが、リンはまるで人が変わったかのような強い瞳で、ルカに向かってこう言ったのである。
「あたし、お兄様の最期を見届ける。それが、あたしの役目だと思うの。」
「無理よ。もう城下町は処刑を見物に行く民衆達で溢れかえっているわ。何かのきっかけであなたのことがばれるかもしれない。そうしたら、せっかくのレンの犠牲が無駄になってしまうわ。」
まさか、この娘がこんなことを言うなんて。ルカはそう考え、僅かな焦りを覚えながらそう言った。だが、それに対してもリンはこう反論したのである。
「顔はフードで隠すわ。だから、お願い。」
どうやら気持ちを変えるつもりはないらしい。肉親の処刑がどれだけの精神的なストレスを与えるか、ルカには想像もできなかったが、それでも連れて行かなければリンは納得しないだろう。そのことを理解し、ルカは諦めたようにこう言った。
「分かったわ。でも、約束は守って。顔は隠すこと。それから、どんなことが起こっても城下町から逃亡するまで冷静を保つこと。この二つが出来ないのなら、私はあなたに魔術をかけてでも城下町から逃げるわ。」
その言葉に、リンは一つ頷き、そして硬い表情のままでこう言った。
「ありがとう、ルカ。」
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