「…今、なんて言いました?」
「だから今夜から3日間、泊まりがけでロケになった、と言った」
ふぅ、と大きく煙草の煙を吐きながら、マスターはそう言い放った。
「…冗談ですよね?」
「冗談でこんな早朝におまえのこと呼び出すかよ」
「…え、じゃあ、本当なんですか」
「残念ながら本当です」
「ガチで?」
「ガチで」
「いや勘弁してください」
「勘弁してくださいと言われて勘弁できる食生活はしていない」
「ちょ訳わかんな」
「文句言うな。これは決定だ。集合時間は今日の午後8時。遅れたら死刑」
赤く火が灯る煙草の先端を見つめながら、俺は言葉を失った。
え、だって明日は。
俺にとって世界で一番大事な日。
――彼女の、誕生日なのに。
******************************************************
「はぁぁぁぁぁぁぁ…」
「…カイト兄、そのため息やめてくんない?」
「だってレン、信じられるか?よりによってめーちゃんの誕生日に泊まりがけとか…」
「それもう朝から30回くらい聞いた。つーか手止まってる」
そう言われて手元を見ると、確かにさっきから同じグラスを持ったままだ。
昼食のあと、皿洗いを仰せつかったはいいが、さっきからちっとも仕事の効率が上がらない。彼女が普段使っている赤い金魚のグラスを見ながら再びため息を付くと、隣で皿を拭いていたレンが迷惑そうに俺を見上げた。
「いい加減諦めろよ、仕事なんだから仕方ないだろ」
「いやだってさ、1年にたった1回の大事な日にだよ?何でよりによって泊まりがけなわけ?わざわざ365分の1に当たらなくてもいいじゃんか」
「俺に言われても」
「…あー、仕事休んじゃおうかな…」
「…俺は別にいいけど、そういうことして怒るのはメイコ姉じゃねぇの」
「…だよねぇ…」
レンの言う通りだ。誕生日を一緒に過ごしたいから、なんて理由で仕事をサボったら、ボーカロイドとしての仕事に誇りを持っている彼女の逆鱗に触れるのは目に見えている。
けれど、俺のこの気持ちはどこに行けばいい?
1年でたった一回の大事な日を共に過ごしたいという、俺の気持ちは?
仕事でしたそうですかなんて、簡単に見切りをつけられるものじゃない。
「はぁぁぁぁぁぁ…」
「…カイト兄」
「んー?」
「…追い打ちかけるようで悪いけど、リンの奴、クラッカーとか食いもんとか、もう5人分で用意してるぜ」
*********************************************************
「こらリン!」
ばん、と双子の部屋を開けると、横になりながら雑誌をめくっていたリンがベッドから飛び上がった。
「うわびっくりした!ちょっと、ノックぐらいしてよカイ兄!」
「お兄ちゃんに説明しなさい!どういうことなの5人分て!」
「…はぁ?何の話?」
俺の剣幕に驚きながらも、リンは怪訝そうに眉を潜める。
「とぼけるんじゃありません!明日のパーティーのことだよ!」
「ああ」
なんだそれかという調子でリンは再び雑誌に目を落とす。
「だってカイ兄仕事なんでしょ?」
「そ、そうだけど…」
「じゃあ6人分用意しても無駄になるじゃん」
「そ、そうかもしれないけど…」
「じゃあいいじゃん」
「よ、良くないよ!めーちゃんの誕生日だよ!俺がいなきゃ始まらないでしょうよ!」
「何で?」
「いや何でって…」
何でと問われれば、ぐうの音も出ない。
彼女の恋人として、皆のお兄ちゃんとして、俺はいなくてはいけないと思っていたけれど。
…あれ?もしかして俺、いなくてもいい?
言葉を失った俺に、「別に」とリンが声を上げる。
ベッドの上に寝そべりながら、気だるそうに足をぱたぱたさせている。
「カイ兄の席作って、写真とか置いといてあげてもいいよ?なんか縁起悪いけど、それでもよければ」
想像してみる。
楽しそうな食卓、姉弟の笑い声。
そんな中、写真立てに飾られた俺の写真。
「…やだ…」
…いいわけない。それじゃ完全に俺死んでるじゃないか。
**********************************************************
「おにいちゃん、どうしたの?」
リンにやりこめられ、意気消沈したままリビングへ入ると、テレビ見ていたミクに声をかけられた。
「…何でもない…ちょっと落ち込んでるだけ…」
「だ、大丈夫?」
ソファに腰掛け、天井を見上げて大きくため息をつくと、ミクが心配そうに俺の隣にやってくる。
「…残念だったね、明日」
「…そう言ってくれるのはミクだけだよ」
「そう?おにいちゃんがいないと寂しいよ」
妹の優しさに触れ、うっかり涙が出そうになる。さすが俺と彼女が育てた子だ。いい子すぎる。ミクの前なら泣いてもいいだろうか。ミクならきっと…。
「ミ…」
「でも安心してね、おねえちゃんのお誕生日は、私たちがおにいちゃんの分までお祝いするから」
「え?」
きらきらと目を輝かせて、ミクが胸を叩く。あれ、なんか展開が予想と違う。
「プレゼントも準備できてるし、ご飯とケーキの材料もバッチリだし」
「え、あの」
「ルカちゃんが演出プランも大詰めだって言ってたから、きっと成功するよ」
「う」
なんて力強い眼差し。
おかしいな。俺の予想では「やっぱりおにいちゃんがいないとだめっ」てミクが言い出して、マスターを説得してくれるはずだったんだけど。
この「お前の後ろは任せろ」みたいな力強さはなんだろう。
戸惑う俺に構わず、ミクはぐっと俺の両手を握りしめる。そして、続けられた言葉に俺の最後の望みは絶たれた。
「おにいちゃんは何にも気にしなくていいから、しっかりお仕事してきてね!」
「…ハイ」
なんて力強い言葉。
大人しく頷く以外に、俺に何ができただろうか。
***********************************************************
「何かご用ですか、カイトさん」
「……」
部屋から顔を出したルカの顔が心なしか勝ち誇っているのは俺の気のせいだろうか。
いや考えすぎだ俺がちょっとセンシティブになっているだけだと自分に言い聞かせてみたが、どう見ても妹の口角は上がっている。
「…いや、用っていうか、そういえばめーちゃんの誕生日の演出プラン聞いてなかったなって思って…」
「あら、聞く必要がありますか?」
どうせいないのに、と口にこそ出されなかったが顔に書いてある。くそ。悔しいが勝てる気がまったくしない。
「でも…そうですね、何も知らないのもお気の毒な話ですし」
「……」
「…どうしても、と言うなら教えて差し上げてもいいですよ」
「ぐっ…」
足元見やがってこの野郎、とは口が裂けても言えない。
お願いします、と頭を下げると、ルカは実に楽しそうに微笑んだ。今までで一番いい笑顔だったと言っても過言ではない。
「まずお姉様にはこちらを着ていただきます」
ルカはクローゼットからおもむろに真っ赤なドレスを取り出した。滑らかで光沢のある細身シルエットに、胸元が大きく開いたデザイン。膝上丈の裾には黒と赤のフリンジ。間違いなく見覚えがある。
「…これっ…DIVAの時の…」
「ええ、マスターからお借りしてきました」
「な…」
これをまた彼女が着る機会が来るなんて。俺は撮影時の彼女の殺人的な美しさを思い出して頭を抱えた。
チクショウあのくそマスター。何故ルカに貸した。俺がいくら言っても貸してくれなかったのに。
「私がお姉様をエスコートしてリビングに入ったら、全員でハッピーバースデーを合唱。その後一人一人お祝いのコメントを贈ります」
「……」
「そしてここからはまだ皆にも内緒ですが、食事を楽しんだ後は場所を移動、お姉様によるライブをセッティングしています。そちらには神威さんたちも全員お呼びしてまして」
「……」
「nostalogic、ピアノ×フォルテ×スキャンダル、change me、黄泉桜…。数々の名曲と、咲音メイコ時代のものも歌っていただいた後、〆はホール・ニュー・ワールド」
「え、ちょっと待って、それ相手役俺…」
「ええ、ですから今回はキヨテルさんがお相手を務めます」
「なん…だと…」
「仕方ないじゃありませんか、カイトさん、お仕事でいらっしゃらないですし」
それが仕方ないって顔かよ、なんてもちろん口に出来ない。
「その後は皆で好きな曲をお姉様と一緒に歌います。ちなみに私はmagnetを一緒に歌って頂く予定で」
ルカはうっとりとした様子で続ける。
ルカのめーちゃん好きはもちろん知ってはいたが、なにこの演出本気すぎる。
「…随分、盛大にやるんだね…」
ショックに耐えながらやっとの思いで言葉を搾り出すと、「当たり前じゃないですか」と当然のようにルカが微笑んだ。
「大事な大事なお姉様の誕生日ですもの。一緒に過ごして盛大にお祝いするのが、お姉様を愛している者の務めでしょう?」
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ご意見・ご感想
雪りんご*イン率低下
ご意見・ご感想
初めまして、雪りんごと申します。
前々からキョン子さんの小説読んでました……!
どれもステキすぎて、ブクマが余裕でした。むしろ「こんな自分がブクマしていいのか」と思いました。
ステキですステキすぎます萌え死しそうですニヤニヤ止まりませんステキすぎます!!
(※大切なことなので2回言いました※)
さて、その後兄さんはどうなったんでしょうか……
やはりマスターに死刑にされたんでしょうかね?
それでは失礼しました。
2012/11/02 23:04:51
キョン子
>雪りんご様
メッセージありがとうございますー!
うおお…なんとありがたいお言葉の数々…!!ブクマ嬉しいです!!雪りんご様のお気に召したなら、是非ブクマしてやってくださいませ…!///
今年は残念ながらめー誕小説が間に合いませんでしたが、きっと家族全員でお祝いしてるんだろうなと思います。久しぶりに2年前に自分の書いた小説を読み返したら粗ばかりでお恥ずかしいですが、変わらずにカイメイが好きなんだなと実感致しましたw
きっと時間ぎりぎりに戻って死刑は免れたものの、ニヤニヤしっぱなしのカイトに八つ当たりくらいはしてると思いますw
ありがとうございました!!
2012/11/06 11:13:30
くらびー
ご意見・ご感想
初めましてですが叫ばせて下さい。
きゃああああああああかいめええええええええええええええええぎゃああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!
…落ち着きました。ごめんなさい。最高でした(o^-')b
2011/01/09 17:59:24
キョン子
>鎖骨☆様
ぎゃああああああああああああああああああああっ!!!
ありがとうございます叫びで気持ちがすべて伝わってくるようでした!!
カイメイはすばらしいということでいいですよね!いいですよね!!
コメントありがとうございました!
2011/01/12 22:56:22
kumo
ご意見・ご感想
kumoです。
もうきゅんきゅんしました!
カイメイ最高ですね!
2010/11/05 19:10:50
キョン子
>kumo様
おおおおおお、またお越しくださって嬉しいです!!;;
めーちゃん×弟妹を前に書いたので、今度は兄さん×弟妹を書こうと思ったのですが弟妹よりもマスターが出張っている件について←
兄さんの独白はまんま私の心情でも差し支えありませんキリッ
メッセージありがとうございました!!
2010/11/07 00:44:48