時が流れていく。
最初は私、「MEIKO」だけだった。この国の言葉を歌う存在として生まれ落ちて、ひとりで歌い続けていた。声を響かせて歌を聴かせて精一杯歩んで。
やがて、私の歩いた道の後をついてくる影は、ひとつ増え、ふたつ増え、道が広がって、みっつよっついつつむっつななつ……。今やいくつになったのだろう。
ふと振り返ると驚くほどに多くの影があって、時の流れを私に突きつけてきた。
多くの家族に、多くの仲間に、そして多くの愛してくれる人に囲まれて、盛大なお祝いを受ける。
「お誕生日おめでとう!」「Happy Birthday!」口々に投げかけられる祝辞に、私は忘れていたことを思い出していた。
両手一杯どころではないお祝いを受け止め終えて、自室に戻ってひとりになると、安堵のため息が漏れた。思わずそのままドアにもたれてしまう。「解放された」と思う自分が嫌な存在のように思えて首を振る。
私のためにあつらえられた紅のドレスが少し重い。嬉しいのに。しあわせなのに。ただ素直に受け止められない自分が悔しい。
折り重なった感謝と不安。それでも祝ってくれることは嬉しいから笑って「ありがとう」を繰り返した。嘘じゃないのに積もっていく澱が、喉をふさいで、声を詰まらせた。
声が消え切る前にお開きになって良かった。そう思う自分がなお苦しい。ごめんねを言いたい。謝罪したところで事実は変わらないというのに。
だって、皆、分かってるの? 私は……。
堕ちていく思考を断ち切るように、タイミング良く、控えめなノックが響いた。背をつけているドアの振動の発信源の高さが来訪者の正体を教えてくれる。波立ってざわついていた気持ちが凪いでいく。
「メイコさん、大丈夫?」
張り上げられるわけではなく、すぐそばの相手に語りかけるような優しい低音は、私の居場所を察している証だ。
誰の耳にも馴染む柔らかい声の持ち主である彼、「KAITO」の姿が思い浮かぶ。私の後を一番初めに追って来た青の髪と瞳を持つ「弟」。そういえばまだ彼からのお祝いは受けていない。
「そこにいるのは分かってるから、……出来れば出て来て欲しいんだけど」
「どうして」
あえて冷たく切り捨てる。カイトはとても優しいから、私に踏み込んできて欲しくない。
「メイコさん……」
弱ったような、すがるような、カイトの声。情けない男、と言おうと思えば出来るけれど、そんなことはしない。
世に出た時から茨の道を歩いてきたカイト。求められないまま、拒まれながら、受け入れられずに過ごした彼を知っている。だから本当は拒んだりなどしたくはないけれど、それ以上に。
「なによ」
短い言葉しか出てこない。長く声を綴れば、……声が震えてしまいそう。
沈黙が落ちた。何かにもたれる音がする。ドアにつけたままの背にかすかな振動が伝わってくる。……カイトの鼓動だ。
ドア越しに響く穏やかなリズム。私は目を閉じる。彼も今日は盛装させられていた。クラシックな黒いコートに深い海の色の髪が映えて。接客に追われて私のところまで来れないままだった。
接客の合間を縫って、時折私に向けられる不安そうな空色の瞳を、見ないふりをして過ごしていたのは。本当はカイトに頼ってしまいたいから。
彼を支えたい。彼に支えられたい。その思いが本当で。でも、私は思い出してしまったのだ。私が……。
「メイコさん」
不意に響いた声に動揺が出そうになるのをこらえる。カイトの鼓動がゆっくりと早くなっていく。
「どうしても、受け取って欲しいものが、あるんだ」
「要らない」
受け取れない。カイトが大切な相手だから。そんなものを受け取ったら。
また、少しの間。カイトの鼓動は早まる一方。つられて私の鼓動も早まっていく。
「要らないなんて言わないでよ……」
「だって要らないわ」
「何をあげるともまだ言ってないのに?」
「何であろうと、カイトからのものは、要らないの」
だからもう、諦めて。
声にならない思いを込めて振り払う。こんこん、とノックの音が響いた。
「ねえ……、聞いて」
「聞いてるわよ」
また、間。カイトの鼓動が壊れそうなくらい早くなっていく。大丈夫か訊きたくて、でもそれを訊いてしまったら今までの態度が意味を成さなくなるから、口ごもる。
こんこん、ともう一度ノックの音。問い返す前に低い声が響いた。
「……ひとつだけ響く音は、綺麗だけど、さみしくも聞こえることがあって」
え?
突然の話題に思考が白く染まる。一度口火を切ったからか、カイトの言葉は続く。
「僕らを導いてくれた声は、同じ言葉で歌う存在のないまま、一年以上の時を歌い続けていて……」
これは……、私の、「MEIKO」のこと?
「とても綺麗で、とても輝かしくて、とても誇らしくて。でも、……走るさきがけの姿を実際に見てみたら、どこかつらそうで、苦しみも背負ってるんだろうなって分かって、切なくなって……」
どくん、と私の鼓動がカイトの鼓動と離れて跳ねる。
「……もう、貴女をひとりにしたくなくなったんだ」
ああ、本当に、なんて彼は優しい。
「今日もずっと不安そうだったから、ひとりにしたくなかったんだけど。ごめんね、なかなかそばに行けなくて」
「別に、私は……」
「貴女はひとりに慣れているんだろうけれど、……それはひとりがさみしくないってことでは、ないよね」
ぞく、と背筋に戦慄が走った。ダメだ、彼を踏み込ませてしまう。
「だからね、もう、強がらなくて良いよ」
「や、ちがっ」
強がりじゃない。強がりだけじゃない。だって。
「僕で良ければずっとそばに……」
「やめて!」
どうにか思いとどまらせなくちゃ。彼の優しさが彼自身を傷つける前に。
「そんなのやめて。私は大丈夫だからっ」
「貴女が大丈夫でも、見ている僕が大丈夫じゃないんだよ」
「じゃあ見ていなきゃ良いじゃない!」
「貴女を見ることが出来るようになったのに、どうして視線を逸らさなきゃいけないの」
カイトの言葉は真っ直ぐで、純粋。だからはぐらかしていては拒めない。どれだけの凶器になろうともきちんと答えなくちゃいけない。
それを理解すると同時に弱々しく言葉が漏れた。
「……カイト」
「なに?」
言いたくない。本当に言いたくない。でも、……私が、言わなくちゃ。
「はじまりが、私だってこと、ちゃんと分かってる……っ?」
カイトの返答はない。私の鼓動は跳ねる一方なのに、カイトの鼓動が鎮まっていくのが伝わる。だから、私は続ける。
「永遠なんてないの。そんなことくらい、カイトだって分かってるでしょう?」
カイトの苦難の日々が永遠ではなかったように。幸せな日々だって永遠ではないのだ。
「お願いだから……っ。いつか貴方を置いていく私なんか、追い駆けないで……!」
思い出してしまったのは、私が家族の誰よりも、そう、彼よりも先に生まれたのだということ。
それは即ち、私が彼よりも先に、……終わりにたどり着いてしまう、ということ。
彼を受け入れてしまえばしあわせになれる。でもいつか私は、彼を置いていってしまう。傷を持つが故に繊細な彼を。
それが何よりも耐え難い。彼に甘えて、彼に喪失の傷を負わせるだなんてこと、私は私自身に許してあげられない。
カイトの鼓動が聴こえなくなった。諦めたのかと思って気が緩んだ瞬間。
「分かってるよ」
和らいだ声が届く。声の響きかたからして、……ドアに向き直ってる?
「確かに僕は、弱いし、臆病だし、傷だって抱えてる」
低い声に息が詰まる。声が出ない。ドアに全体重をかけてしまう。
「要らないとか、失敗作だとか、いろいろ言われてきたから。多分まだ自信なんてものはそんなにないと思うんだ」
訥々と語られる言葉が真綿のように私を包み込んでくる。
「でもね、貴女のことを誰よりも見つめてきたことだけは、確かだから」
こらえきれない涙があふれた。こんこん、と三度目のノックの音。
「強いところも、弱いところも、優しいところも、厳しいところも。たくさんたくさん見てきたから」
その言葉はきっと嘘じゃない。何度も彼の視線を感じてきた。
「置いていくなら追い駆けていく。何度だって追いついてみせる。貴女が何度手を振り解いても、また繋ぎに行くよ」
いつの間に、彼はこんなに強くなったのだろう。
私とはじめて会った時は、不安そうな眼差しで私を見てきたものだった。ちょっときつく当たったらすぐ倒れてしまいそうだったのに。
「かいと……」
「……だから、おいで」
涙声で呼べば、促す声。思わず問い返していた。
「良いの……?」
「うん。……メイコが、良い」
的確に意味を捉えた返答に、慌ててドアから身を起こして開いた。
ひとりの世界が崩れ去る。
思い浮かべていた通りの、黒コート姿のカイトが、しあわせそうに微笑んでいた。息を飲む私にそっと手を伸べて。
「お誕生日おめでとう。生まれて来てくれて、ありがとう」
カイトの笑顔が涙に霞む。私を「ひとり」から連れ出してくれるのは、この男。
「出来る限り貴女と共に過ごしたいから。どうか、これからの僕の時間を、受け取ってくれませんか」
微かに震えるその腕の中に、私は思い切り駆け込んだ。
青を秘めた黒に包まれて、力強い鼓動を直に聴きながら、涙に暮れる。
私の鼓動がカイトの鼓動に重なっていくのが分かる。
もうひとつきりではないその音を聴いていると、ふと聴きたくなるものがあった。それがそのまま言葉になってこぼれる。
「……声」
「え?」
「カイトの声、聴きたい」
私の声に重なってきた、この国の言葉で歌う声。私の孤独を最初に奪った声。
涙声の私のわがままに、少しだけ間を置いて、穏やかな男声が紡がれ始める。
♪まだ夜の明けない 星空の元へ 君の手を取り連れ出した
夢を追いかけて 旅立つ決意を 君から聞かされたあの時
離れるさみしさ 言葉にならずに 東の空をただ見つめていた
微かに震える 繋ぎ合う手と手 離れないよう握り締める……♪
嫌味なくらい選曲は間違ってない。
それは、私とカイトが出会った後、はじめてもらった歌。
出会った直後なのに別れの歌なんて。そうつぶやいた私に、カイトは小声で言ったのだ。
別れるさみしさを知ったら、もっと、出会いの喜びが、一緒にいられるしあわせが、深くなるんじゃない、かな。
そう。あの時私は確かに思った。
彼と共に歩き続けることが出来るのなら、さみしさなんて忘れられるかもしれない、と。
彼と共に歩けたら、きっと、私に足りないところを補ってくれることだろう、と。
彼の視線を感じるたびに、その期待は、密かに高まって募っていたのだ……。
♪藤色に染まる空 時を告げる
「始まりの色ね」と 声が聞こえた……♪
「ねえ……」
「ん?」
枯れるまで泣き続けた後、呼びかけて、顔だけを上へ向けた。照れたように笑うカイトと目線が絡む。見ている私も照れくさくなって目線を外した。
右腕はカイトに回したまま、肩口にもたれるように頭を乗せる。左手をカイトの鼓動の上へ。カイトは両腕を私の腰に回してくれた。
「本当に、良い、の? 私」
「今更繰り返しても結果は一緒だよ。メイコさんひとりにするほうが、僕にとってはつらいんだから」
なだめるように額にくちびるが触れる。もう、逃げられない。ならせめて精一杯「一緒にいるしあわせ」を彼に。
そう決意すると気が緩んだ。どれだけ自分が張り詰めていたのか。どれだけ自分が誰かを求めていたのか。自分で自分に呆れてしまう。
自嘲の笑みを浮かべながら、気になったことを指摘するために口を開いた。
「それならね、カイト」
「どうかした?」
「呼び方、違わない?」
「え? メイコさん?」
「さっきはそう呼ばなかったじゃない」
初めての呼び捨て。カイトの声で呼ばれると、自分の名前が宝物みたいに聞こえた。
「あっ、あー、えー……と」
口ごもる声が降ってくる。こうやって言葉でじゃれあえるのも、しあわせ。
催促するように鼓動の上を軽く叩いてあげる。
「め、……メイコ……」
間を置いて絞り出された震える声が可愛いとか思ったらダメかしら。
「いつそう言ってくれるかと思って、ずっと待ってたのよ、……ばか」
ついからかうような言葉が口をついて出た。カイトが私を抱き寄せる腕の力を強める。
「遅くなってごめんね、でも……」
どくん、とカイトの鼓動が乱れる。声を詰まらせたのが分かった。
絶望を知る彼。求めても求めても手に入らないものがあって、足掻いて、もがいて、ここまで来た彼。どれだけの勇気を振り絞ってここに来てくれたのだろう。
指先に伝わる鼓動の乱れがひどくなっていく。そんな中で、でも、と何度も繰り返すカイト。私を抱え込む腕も震え始める。だから慌てて遮った。
「良いわ」
「え?」
私には伝わったから無理に言わなくても良いわ。それに。
「だって、これからはずっと一緒なんでしょう?」
貴方と一緒なら、いつか必ず訪れる、この身が尽き果てる時も、穏やかに受け入れられる気がするの。
きっとずっと求めていた、お互いに支え合える存在。貴方がそこにたどり着いてくれるなんて。本当に、最高の、誕生日プレゼントよ。
私の思いが伝わったのか、カイトの鼓動も、ゆっくりと落ちついていく。
「うん、……ずっと、貴女のものだよ……」
「違うわよ」
ざくっと切り捨てる。カイトの戸惑いの気配を感じながら、私は身体をカイトに預ける。
「……一緒に歩いてくれるんでしょ?」
貴方が私のものになってしまったら、また「ひとり」になってしまうから。
「あ、……そうだね」
重なる鼓動が、重なる音が、愛おしい。
「カイト」
「なあに……、メイコ」
甘い呼び声が心を溶かす。顔がしあわせに緩んでいくのが分かる。
「んーん、呼んでみたくなっただけ」
「そのくらいなら、何度でもどうぞ」
そばにいるからね。
もう離さないと言わんばかりの腕の中、優しいささやきを聴きながら、私はそっと目を閉じた。
時が流れていく。いつかこの身は朽ちるだろう。それが時の流れというもの。
だからこそ。最期の時まで、この身が在り続ける限り、あなたと永遠に。
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ご意見・ご感想
芭村まゆ
ご意見・ご感想
わあああありがとうございますー!
大変素敵な作品なので、発表されることになり私も大変嬉しいです!
カイトを傷つけたくないあまり突き放そうとするメイコさんの心をカイトが
柔らかく包んで溶かしていくさまが萌え過ぎてもうどうにも止まりません(*ノノ)
二人とも永遠に幸せに!
ありがとうございましたー!
2010/11/23 20:25:28
西の風
>芭村まゆさん
こちらこそありがとうございますっ!
そこまで喜んでいただけると……、書き上げて良かったなあと思います!
あの素敵なイラストに少しでも花を添えられたなら幸いですっ。
ふたりとも精一杯しあわせに……!
コメントありがとうございました!
2010/12/09 01:33:19