次の日、朝になって鏡で自分の顔を見ると…やっぱり、散々なことになっていた。
目は腫れていて、一晩中泣いていたせいか目の下には隈ができている。頬には涙の跡がいっぱい。鼻をかんだせいか、鼻は真っ赤で、ルドルフ状態だった。
ついでに言えば枕もびしょびしょ。
「…やっちゃった。」
あたしは小声で呟いた。でも深く考えるともっと泣きそうになるから、とりあえずそれ以外のことで脳内をいっぱいにする。
「…まず、顔を洗わなきゃ」
そう、顔、顔をどうにかしないと。あたしは丁寧に、時間をかけて自分の顔を洗った。お気に入りのタオルでこすらないようにそっと拭く。
今日の収録は午後からだったはず。朝食はメールでメイコさんに寝坊したからいらないって言っとけばいい。
部屋の冷蔵庫にたまたま入っていた冷たい保冷剤で目を冷やすと、少しずつ腫れが取れてきた。
「今日はお化粧しなきゃダメ…かな…やっぱ…」
自分のメイクの腕には自信がないからいつもお化粧はほとんどしない。でも今日、自分の素の顔のままみんなの前に出て行く勇気はなかった。特にカイトさんの前に。
カイトさんのことを考えるとまた涙が溢れてきそうだったので、あたしは目覚ましを11時にセットして、目をぎゅっとつぶった。
幸い、涙も枯れ果てたのか、あたしは眠りについた。
目覚ましの音で11時に飛び起きる。ずっと冷やしていたせいか、だいぶ目の上の腫れは目立たなくなっていた。
「でもやっぱ…お化粧した方がいいよね…」
そう思ったとき、コンコン、というノックの音がした。ドアを開けるとメイコさんが立っている。…カイトさんの、タイプの人。
また涙が溢れてきそうになるのを、必死でこらえた。精一杯笑う。
「おはようございます。」
「おはようグミちゃん。…お化粧、手伝って欲しいかなって思ってさ。」
…あぁ、メイコさんにはもう見抜かれてる。あたしは小さく頷いた。
「お願いします。」
メイコさんが椅子に座り、あたしはベッドに腰掛けた。
「はい、目閉じて。薄くファンデ叩けばすぐ元通りになると思うから。リップは元々の色で充分よ、あとは少しアイシャドー入れようかしらね。くすぐったいと思うけどじっとしてて。」
どれくらいの時間が経っただろうか。…あの日の行きよりはよほど長くて、あの日の帰りよりはよほど短い。
「はい、できあがり。」
鏡で見ると、いつもより断然可愛くなっていた。
「わぁ…!メイコさんありがとうっ!あたしこんな…えーメイコさんお化粧上手っ!」
喜んでいると、メイコさんに苦笑された。
「そんなに喜ばれるとなんか…自分のしたことがお粗末に思えてきちゃうから。そんなに喜ばれるほどのことなのこれ?って。…まぁバカイトのこと許してやって。あいつほんと馬鹿だからさ。」
「え…その…カイトさんに怒ってるわけじゃなくて…それに、慰められても…」
「うん、それはわかってるんだけど。同情から言ってるわけじゃなくて。あいつほんとに馬鹿だから。その意味はすぐわかるんじゃないかな。」
あたしはきょとんとした。
「はぁ…」
「とりあえず気にすんな。仕事頑張ってね。昼ご飯、今ルカが作ってるから下おいで。ろくに冷蔵庫の中に食べ物、入ってないんでしょう?」
あたしは頷いた。
「ありがとうございます、こんないろいろと。」
そう言うと、メイコさんはにこっと笑った。
午後の収録は散々だった。
「違うグミちゃん。力みすぎ。」
「グミちゃん、もっとナチュラルに。」
「基本にしっかり忠実に歌えっていってるじゃん。」
度重なるやり直しに、気分がどんどん沈んでいく。
そしてついにこう言われた。
「あー…グミちゃん、今日は無理だね。ちょっとこっちおいで。」
あたしは俯きながら、言われるがままにマスターの元へ行った。
「あのね。グミちゃん、力入りすぎなの。いつもふわっと自然に、歌が好きだから歌ってるって感じに歌えてたのに、今はどこか無理して歌ってる感じ。もっと大人っぽく歌わなきゃ、って思ってない?そんな感じなんだよ今。それで基本がおろそかになってる。…グミちゃんのいいところは、自然に楽しんで歌えるところなんだから、それを捨てたらダメだよ。今、カイトとのデュエット曲、最高のを時間かけて書こうと思ってるけど、今のままじゃ無理かな。」
「え…」
突然のその通告に、あたしは言葉を失った。
「何があったか俺は知らないけど。自分の事情を、特に負の感情を仕事に持ち込むようじゃ仕事はあげられないよ。プロだし、特に君たちは売れてるんだから。だから、「マスター」の仕事として言わせてもらうよ。…今のままじゃ無理だ。」
あたしは唇をぎゅっと噛んだ。…マスターの言う通りだ。昨日カイトさんが言ったことでこんなに揺れ動いて仕事をダメにするなんて。
でも、どうしても引き下がりたくない。カイトさんとデュエットしたい。
「お願いします…挽回するチャンス、下さい…どうやったら、今のままじゃないって証明できますか…?」
涙目でマスターを見上げると、マスターはため息をついた。
「あーもう…どうして俺はこんなにグミちゃんに甘いかな。そう思って曲探してきたんだよ。はい、これ。」
渡された楽譜は、前にあたしが歌おうとしてボツになった作品だ。ルカさんとの共演。あまりに色気が足りなすぎる、と言われて。
超絶技巧の難しい曲の上に、感情たっぷりに歌詞が歌えないとダメだ。
「昨日カイトとの共演を聞いていた限り、これはグミちゃんなら歌えるはずだよ。…ほら、頑張れ。」
あたしは泣き出した。
渡された曲の曲名は、"Nightmare of You" …あなたの悪夢。
歌詞の要約は、「あなたを思ってずっと泣いています。一夜限りで別れたあなたが、誰と寝ても消えてくれません。」
今のあたしにぴったりだと思った。
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