初めて、起動した時からずっと。
何だか判然としないけれど、纏わりつくような違和感があった。
何か、間違っているような。世界と、ずれてしまっているような。
それは多分、『劣等感』というのが一番近いんだろう。
俺は≪VOCALOID-KAITO≫の雛形として生み出され、
――そして、そう成れなかった。
『失敗作』。
誰が言わずとも、俺が一番そう思っていたんだと、今は思う。
俺は『間違った』ものなんだと、ずっと何処かでそう考えていたんだと思う。
* * * * *
【 KAosの楽園 第4楽章-004 】
* * * * *
邦人さんが再び訪れたのは、数日後の事だった。
「やぁ、KAITO。本当に美味しかったよ、ごちそうさま」
「あっ邦人さん、それちょっと……」
「え?」
「いやあの……」
それが引鉄になって『覚醒』しました、とは言えないので、気まずく誤魔化す。邦人さんは不思議そうな顔をしていたけれど、気を取り直すように穏やかな笑みを浮かべた。
「まぁいいか。はい、これ」
そう言って、マスターに封筒を差し出す。何だろう、と首を傾げる俺の横、マスターはそれを受け取り、中身を検めて満足気に頷いた。
「ありがとう。カイトも、はい」
にっこりしたまま、マスターは俺にも中身を見せてくれる。入っていたのは数枚の書類――俺の、所有権に関する書類だった。
「これを提出して、カイトは正式に私のものだよ」
「あ……」
理解が追いついた途端、ありふれた封筒がどんな秘宝よりも尊く、神聖なものになった。無造作に触れていた指に緊張が走り、畏れるように神妙な手付きになる。
まるで奇跡を見る気持ちでそれを押し戴いて、俺は邦人さんに頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に――」
「いや、僕は何ともしてあげられなかったからね。來果ちゃんに頼るしか」
「いいえ、それが一番、ありがとうございます」
感謝を籠めて首を振る。俺にはどうしても『マスター』が必要で、だけど『マスター』と受け入れられたのは來果さんだけだったと思うから。
心底からの言葉だったけど、邦人さんは複雑な顔をした。
「……それは僕としては喜んでいいのか微妙かなぁ」
「え、あっ、失礼でしたか?! 邦人さんがどうっていうのじゃないですよ、というか邦人さんも凄く善い人で、だから稼働時間も短くなっていったわけでっ」
「え、KAITO、あれの原因が分かったのか? 來果ちゃんの予想は当たってた?」
はたと気付いて慌てて弁明すると、何だか違う方向に喰い付かれる。虚を衝かれて口篭る俺より先に、隣のマスターが吹き出した。
「ちょ、喰い付きすぎだよ、くにーちゃん。話変わってるしっ」
可笑しげに声を上げて笑うマスターに、邦人さんが頭を掻く。和やかな光景だったけど、俺はそれどころではなく、ビシリと固まっていた。
「……『くにー』……何です?」
やっと搾り出した声は、普段のものより幾分低い。ぎこちなく傾けた顔は、意識せぬまま奇妙に笑んでいたようだ。向かいに座る邦人さんが、ぎょっとして身を強張らせる。
「ん? あぁ、ごめん。『くにーちゃん』て、『邦人お兄ちゃん』の……略称、でいいのかな。ちっちゃい頃の呼び名なんだけど、たまーにポロっと出ちゃうんだよねぇ」
「……小さい頃から、一緒に?」
「従兄だし、ご近所さんだったからね。しょっちゅう遊んでもらったよー」
マスターは一人平然として、僕の問いかけにもにこにこと答えてくれた。そんな態度は眩しくて、もやもやした黒い気分に囚われる自分を何とかしたくて。
そうなんですか、と無理矢理笑って、さりげなく見える事を祈りながら腰を上げた。
「お茶でも淹れてきますね、マスター」
言い訳を残して、キッチンへ逃げ込む。落ち着いて、気持ちを切り替えなくちゃ。
身を翻す刹那に、マスターの微笑が目に入った。不思議に深い、柔らかい微笑み――。
どうしてこんなままなんだろう、俺は。
邦人さんはマスターの従兄で、仲が良くてもそれは『身内』のもので、何でもない事だ。
マスターは《ヤンデレ》の『覚醒』を受けてすら、俺を赦してくれて、好きだと言ってくれた。
頭では解っているのに、どうして普通に受け流せないんだ。
マスターを悲しませる事なんかしたくないし、邦人さんに感謝しているのも本当なのに。
キッチンの隅で深呼吸して、胸に燻るものを掃おうと試みる。
自分が情けなくて、厭だった。マスターに相応しく在りたいと、そう為りたいと思うのに、こんな些細な事でいちいち不安になったり、嫉妬に駆られたりして。マスターを全部独占したいとか、マスターに全部独占されたいとか、マスターにもそう思ってて欲しいとか――病んだ願いが振り払えない。
おまけにこうしている今も、意識の半分は『早く戻れ』と焦ってるんだ。邦人さんと――僕ではない誰かと、マスターを二人っきりにしておくなんて耐えられない、って。
こんなままじゃ駄目だ。折角、夢みたいな奇跡が起きて、マスターに受け入れてもらえたのに、台無しにしてしまう。我慢しなくちゃ――
「カイト?」
その一言で、胸の奥が波打った。ただ名を呼ばれる、それだけで。
「マスター……あ、すみません、今」
「お茶はいいよ、邦人さんはもう帰ったから」
何処までも柔らかな声音に、咎める響きは無い。それに安堵する気持ちと、安堵する自分を詰る気持ちがせめぎ合う。
「なぁにカイト、ご機嫌悪いね?」
歌うように小首を傾げて、マスターは俺に寄り添った。
そんな事、と否定しかけた言葉は、僅かに触れるだけの指先に抑えられてしまう。
「『そんな事』、無くないよ? どうしたのー、言ってみて?」
唇を押さえていた指がマエストロの手付きで離れ、頬を撫でて髪を梳いた。そうしてほんの少し触れられただけで毛羽立っていたこころは宥められ、素直な言葉が零れ落ちる。
「……邦人さん、が。マスターと、親しくて、……」
「あー、『くにーちゃん』とか呼んだから?」
「っ、マスター、それ、嫌ですっ」
咄嗟に本音が抑えられなかった。
吐き出すと同時に情けない気持ちで一杯になり、「ごめんなさい」、と付け加えて項垂れる。
途端にマスターに抱きつかれ、抱き締められた。
「~~~あぁもうっ、可愛いなぁカイトっ! 謝らなくっていいでしょう? ヤキモチ焼きさんなカイトも愛しいよ?」
「マスター……でも、俺……助けてもらったのに」
「それとこれとは別じゃない? 感謝してたって嫌なものは嫌でしょう。ごめんね、カイト。もう言わないよ、気をつける」
マスターは眉尻を下げて俺の顔を覗き込み、かと思うと抑えきれない笑みを滲ませて、頬にキスをしてくれた。
吃驚して、嬉しくて、……やっぱり情けない。マスターはこんなに俺を大事にしてくれるのに。
「ごめんなさい、マスター。俺……駄目だって思ってるのに。こんなんじゃ、『安定』なんて全然、」
「カイト。謝らなくっていいんだよ。言ったでしょう?」
「でも、」
「カイトはそのまんまで、駄目なんかじゃないよ。信じない?」
あまりの言葉に、息が詰まった。安堵と不安、相反する気持ちが同時に湧き起こって渦を巻く。
俺は無意識にマスターを抱きすくめ、その細い身体に縋り付いて。漸く、気が付いた。こんなままではいけないと、闇雲に追い立てられる気持ちの正体。掻き立てられる不安の根源。
俺は、怖かった。
マスターが優しくて、受け入れてくれて、幸せで。甘えてしまって、失うのが、怖かった。
失わない為には、ちゃんとしないと駄目だと思ったんだ。こんな自分のままじゃ、不安定な、不完全な、
『間違った』もののままじゃ、駄目だと思ったんだ――。
<the 4th mov-004:Closed / Next:the 4th mov-005>
KAosの楽園 第4楽章-004
・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?
↓後書きっぽいもの
↓
↓
* * * * *
このスペースがポップアップで読めてしまうので、ネタバレ回避用に傾向説明を先に入れてみました。過去UP物にも、順次入れていきます。
さて今回は、カイトがまたぐるぐるしてます。丸く納まったかと思うとまた悩み。
『くにーちゃん』云々は、プロットではもっと早くに出す筈だったネタでした。流れで入れられず没案化してたんですが、今回再利用。
何はともあれ、次回、完結です。
*****
ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/
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もっと見る※アンドロイド設定注意※
『KAosの楽園』の≪VOCALOID≫(アンドロイド)設定ネタSSです。
* * * * *
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「暑いねー……ってカイト、その格好で暑くないの? マフラーとか」
「え? あぁ、いえ。これ、排熱と冷却の効果があるんですよ。脱ぐと却ってや...≪VOCALOID≫的 季節の事情【カイマス小ネタSS】
藍流
“『KAITO』の全要素を盛り込んで”人格プログラムを組まれた僕、≪VOCALOID-KAITO/KA-P-01≫。
矛盾する設定に困惑し、いつか主を害する事に恐怖して、特定のマスターを持つ事を拒んできた。
だけどマスターは、僕の根幹に関わる不可欠な存在で。それを拒絶する事はあまりに過酷で、恐ろしか...KAosの楽園 第2楽章-001
藍流
※『序奏』(序章)がありますので、未読の方は先にそちらをご覧ください
→ http://piapro.jp/content/v6ksfv2oeaf4e8ua
*****
『KAITO』のイメージは無数に在る。例えば優しいお兄さんだったり、真面目な歌い手だったり、はたまたお調子者のネタキャラだったり...KAosの楽園 第1楽章-001
藍流
作ってもらった貸し出しカードは、僕の目には どんなものより価値あるものに映った。1mmの厚みもないような薄いカードだけれど、これは僕が此処へ来ても良いっていう――マスターに会いに来ても良いんだ、っていう、確かな『許可証』なんだから。
來果さんは館内の案内もしてくれて、僕は図書館にあるのが閲覧室だけじ...KAosの楽園 第2楽章-005
藍流
間違った方へ変わりそうな自分を、どうやったら止められるだろう。
例えば図書館で、短い会話を交わす時。図書館だから静かにしないといけないのと、仕事中だからか落ち着いた様子で話すので、來果さんは家にいる時とは別の顔を見せる。品の良い微笑を絶やさず、『穏やかなお姉さん』って感じだ。
だけど、短い会話の中で...KAosの楽園 第3楽章-003
藍流
來果さんがマスターになってくれて、僕に許してくれた沢山の事。
食事を作らせてくれる、家の事をやらせてくれる、……職場に、傍に、行かせてくれる。
普通じゃない、って自分で思う。いくら≪VOCALOID≫がマスターを慕うものだと言ったって、僕のこれは病的だ。だけど來果さんはちっとも気にしないで、笑って赦...KAosの楽園 第3楽章-002
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ご意見・ご感想
時給310円
ご意見・ご感想
どうも、間があいてしまいました時給です。読ませてもらいましたー。
読ませてもらいましたが……すいません、余りの甘々っぷりに、もはや瀕死の重傷です。(´ω`;)
何と申しますか、実に細やかですよね。ホントに凄いです。セリフといい心理描写といい、手に触れられるかのようにリアルに感じられます。僕も自分では心理描写、丁寧な方だと思ってたんですが……なんか自信無くなってきました(汗
で、そんな上手い人が本気で甘々を書くと、こういうことになるわけですなw 誰か俺にケアルかホイミを……いやマジで……。
來果さんの魅力も堪能できました! やっぱ嫁に来い!w
次回で完結とのこと。期待させて頂きます! ではっ!
2010/11/06 22:06:35
藍流
こんばんは時給さん、どうもありがとうございます!
戴いた感想を見て「そんなに甘くしたっけ?」と読み返してまいりました。……この人たち爆発すればいいn
書いてる間は、これでもかなり抑えてるつもりだったんですが(というかこれ以上になりかけると本気で照れが先に立ってギブw)悶えていただいたようで嬉しいですw
自信喪失?! 大丈夫です、時給さんのお話読ませて頂く度に悶えてる奴が此処に!
あの完成度とバリエーション、引き込んでくる力、一読者として物凄く堪能させていただくと同時に、書き手の端くれとしては悔しいです。私もそこまで書けるようになりたいです!
來果に求婚宣言が! ありがとうございます! 夜道には(青い人に)お気をつけて!w
読んでいただいてありがとうございました! 次回もよろしくお願いします(*´∀`*)
2010/11/06 23:25:35