≪VOCALOID≫が普通に抱く思慕でなく、俺はマスターに『恋』をした。
それを認めて、想いを告げて――許された枠を超えたはずのそれは、けれど奇跡のように受け入れられて、來果さんも同じ想いを返してくれた。

自分の気持ちを否定せず、触れる事もできるようになって、俺は随分安定したと思う。
來果さんは俺の病んだ思考すら受け入れて、それごと好きだって言ってくれるから、俺も徒(いたずら)に怯える事が無くなった。
小さな漣が立つ事はあっても、毎日は概ね穏やかで、幸せで。ずっとそんな日が続くんだって、何の疑いも無く思ってた。

意識さえしないほど当然の事として、信じてたんだ。



 * * * * *

【 KAosの楽園 第4楽章-001 】

 * * * * *



「そうだ、カイト。明日なんだけど、お客さんが来るからね」
「お客さん、ですか? 珍しいですね」

此処に来てから数ヶ月、来客なんて初めてだ。軽く驚いて聞き返すと、來果さんは楽しげな笑みを漏らした。うふふ、なんて悪戯めいた顔をする。

「何です、その反応……凄く気になるんですけど」
「んー? まぁ明日のお楽しみ、って事で」
「……ご飯隠しちゃいますよ? ちなみに今日は五目御飯に挑戦しました」
「えっちょ、それはずるいよカイトっ! 断固要求します、ください!」

その慌て方が可笑しくて、堪らず吹き出してしまった。『要求』とか言いながら、丁寧語になってますよ、マスター?
勿論、本気で隠すなんてできるわけないし、俺の作ったご飯を食べたいって言ってもらえるのも嬉しくて、俺はあっさり白旗を揚げた。
まぁいいや、マスターが楽しそうだし、明日になればわかるんだから。



そんなこんなで、翌日の事。
チャイムに応えてドアを開けると、見知った顔が立っていた。

「やあ、KAITO。久しぶりだね」
「――『博士』」

驚きに零れたのは、かつての俺にとって唯一だった呼び名で。あぁ違う、と記憶を探る。

「……じゃない、邦人さん、でしたね」

いつか聞いた名前を思い起こして言い直すと、今度はあちらが驚いた顔をした。
無理もないかもしれない。彼の元にいた頃の俺は、『個人』の識別を拒んで一度もその名を呼ばなかったし、殆ど関わろうとしなかったから。
たった数ヶ月前なのに、もう遥か遠い昔のようだ。感慨深く思いながら、挨拶を返して招き入れた。



「お出迎えありがとう、カイト。いらっしゃい邦人さん」

リビングでは來果さんが、何処となくうきうきした様子で待ち構えていた。
そういえば、前にもこんな事があったっけ。初めて図書館へ連れて行ってくれて、其処が職場なんだと教えてくれた時も、こんな感じだった。時々悪戯したがるひとなんだな、マスター。
そんなところが可愛い、なんて思ってしまうのは、不遜だろうか。

自分の考えに頬を熱くする俺をどう見たのか、來果さんはご満悦。弾んだ声で邦人さんと挨拶を交し合い、クッションを薦めて自分も座る。手招きされて、俺も隣に腰を下ろした。

「そうだこれ、手土産に」
「え、いいの? ありがとうー」

ガサリと邦人さんが差し出した袋を受け取り、覗き込んだ來果さんが歓声を上げる。カイト、と呼んで俺にも見せてくれた、袋の中身はとりどりのアイスクリームだった。

「好きなんだってね。すまなかったね、僕は『VOCALOID』に疎くて、知らなかったものだから」

穏やかに詫びられて、とんでもない、と首を振る。手土産だと言いながら、これはひょっとして俺に向けて用意してくれたんだろうか。やっぱりこの人も、善い人だ。
溶ける前に早速食べよう、とマスターが中身をテーブルに広げ、スプーンを手に取った。



「それじゃあ、KAITOはハウスキーパーをしてるのか」
「そうだよー、もうすっごく助かってるの。料理上手だし」

アイスを口に運びながら、簡単な近況報告会になった。俺が家事をさせてもらっているという事に、邦人さんは驚きの声を上げる。答えるマスターが何だか自慢気で、喜びと誇らしさが湧いた。

「ありがとうございます、マスター」
「それは私の台詞だよ? 毎日ありがとう、カイト」

思わず言うと、満面の笑みで返される。それがまた嬉しくて、幸福感に満たされた――の、だけど。

「そんなに上手いのか。確かに、料理なんかもある程度できる仕様だったと思うけど」
「上手いし、研究熱心だよ。そうだ、昨夜作ってくれた五目御飯があるの、持ってく? 美味しいよー」

どすん、と腹の底に何かが落ちた。

「いいのかい? 助かるけど。そんな凝ったものまで作れるのか」
「作れるようになってくれたの。ね、カイト」
「ぇ、あ、はい。ネットと本を見て憶えました」

何だろう、違和感の塊を呑み込んだみたいだ。重いみたいで、もやもやして、気持ち悪い。
突然の変調の理由が掴めずに混乱しながら、かけられた声には咄嗟に『普通』を取り繕った。
そんな事は知らない邦人さんが、感心したように頷いている。

「それも來果ちゃん効果かな。そもそも僕には、≪VOCALOID≫の君に食事を、っていう発想がなかったし……反省しないといけないな」
「いやそれは気にしなくていいんじゃない? 邦人さんは工学畑の人だし、≪VOCALOID≫開発の現場にいたんだし。っていうか私だって、カイトに食事を『あげてる』わけじゃないよ? むしろ、単なる私の我侭」

おかしな気分は消えないままでも、これには口が勝手に動いた。

「マスター、我侭なんて」
「我侭だよー。一人の食事が味気ないから、って付き合ってもらってるんだもの」

マスターの口調はあっさりしたもので、『だから引け目を感じる』なんて事ではなさそうだ。それでも俺は、食い下がらずにはいられなかった。

「違います、『付き合ってる』つもりなんてないんですから。マスターにとっては『我侭』なんだとしても、俺にはそれが嬉しいんです」

貴女が俺の我侭を、病んだ望みを嬉しいと言ってくれるように。
……流石にそこまでは口に出せなかったけれど、マスターは解ってくれたようだ。花咲くように顔をほころばせ、こくりと小さく頷いてくれた。
それに俺は安堵して、重苦しい靄(もや)も晴れた、はずなのだけれど。

「すっかり安定したみたいだね、KAITO。やっぱり來果ちゃんに預けて正解だったな」

どうしてだろう。邦人さんの言葉は嬉しいもののはずで、誇らしく「はい」と答えられるものだと思うのに。何故だか奇妙に胸をざわつかせて、いつまでも耳の奥にこびりついていた。
邦人さんが帰っていって、來果さんとふたりに戻ってからも。いつものように一緒に食事をして、調声したり歌ったりしている間も、ずっと。



どうしてだろう。何なんだろう。
おやすみなさい、とそれぞれの部屋に別れてひとりになると、ざわつく気持ちはますます気になりだした。何だか、凄く厭な感じなんだ。これは、あぁ、
闇色の湖面が波打つ、あの感じ。

ぐっと拳を握り込み、目を閉じて深く息を吐く。
來果さんへの想いを認め、それを伝えて受け入れてもらえてからも、不安や嫉妬に駆られる事はあって、だけれどこうして、遣り過ごす事も覚えている。徒に怯えるばかりじゃ駄目なんだ、落ち着かなくちゃ。

ゆっくりと深呼吸を繰り返していると、閉じた瞼の裏側に、引っかかったままの台詞がリフレインした。
どうして、何が、こんなに気にかかるんだ? 邦人さんは善い人で、廃棄されるはずだった俺を引き取って助けてくれた人だ。感謝こそすれ――

思う途中で、目を見開いた。

俺を、 引 き 取 っ て くれた人。
俺を、來果さんに 預 け た 人。

預けられた、という事は。
いつか、 返 さ れ る という事――?

ぐらりと視界が揺れる。床が抜けたかと思うような墜落感。遣り過ごすなど叶わない、暴力的なまでの不安と焦燥に、一瞬で呑み込まれた。
あの人は今日、俺の様子を見に来ていた。『安定したね』、と彼は言った。それは、もうすぐ連れて行かれるという事?
マスターと、引き離されて……?

どくん、とひとつ、鼓動が鳴った。まるで鼓膜のすぐ側で鳴るような、不吉に大きな音だった。
目の前は真っ暗で、真っ昏で。視界だけではない、思考もまた。どろりとした黒に塗りつぶされたよう。
いつの間にか躰は強張り、無様に倒れ伏していた。それに気付いても、何も感じなかった。

《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》  《Error》

弾き出されるエラーコード、脳裏を埋め尽くすレッドアラート。そして、最後に響くのは。



―― 深刻なエラーが発生しました ――



<the 4th mov-001:Closed / Next:the 4th mov-002>

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

KAosの楽園 第4楽章-001

・ヤンデレ思考なKAITO×オリジナルマスター(♀)
・アンドロイド設定(『ロボット、機械』的な扱い・描写あり)
・ストーリー連載、ややシリアス寄り?

↓後書きっぽいもの





 * * * * *
最終章です。最初からクライマックスでお届けします。

*****
ブログで進捗報告してます。各話やキャラ設定なんかについても語り散らしてます
『kaitoful-bubble』→ http://kaitoful-bubble.blog.so-net.ne.jp/

閲覧数:442

投稿日:2010/10/26 17:36:35

文字数:3,711文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    こんにちは。sunny_mです。遅ればせながらコメントします!

    久しぶりにパソコンを開けたらピアプロが変わっていて、さらに藍流さんのカイトがなんだか大変なことになっていて、再び、もがぁぁっ!となりました。
    さっき、3楽章の終わりで「私にもその幸せを分けてくれないか?」と思ったばかりだったのに…!!
    くっそう爆発してしまえ(笑)とか思ったばかりだったのに…!!
    不吉すぎる展開に、なんだかとってもぷるぷるしてしまいます。
    なんだかカイトに負けるな!と言いたい気分です。

    再びもがぁ~!となりつつ続きを待っています!それでは。

    2010/10/27 19:54:00

    • 藍流

      藍流

      こんばんは。読んでいただいてありがとうございます!

      間に別の更新を挟んだりしていたのであんまり意識してなかったんですが、第3楽章から続けて読むと、落差が凄いかもしれませんね。
      ごめんなさい……と思いつつ、嬉しい反応に(´∀`*)ウフフとなってます。
      爆発してしまえ(笑)は私も書きながら思いましたねー。うふふ良かったねチクショウと思って書いてましたw

      何だか私の中で「もがぁ?!」が流行りそうですw ついついニヤケてしまうコメントをありがとうございました!

      2010/10/28 20:18:59

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    おっと……「深刻なエラーが発生しました」ですか。
    ボーカロイドの世界で、一番不吉な言葉ですね。

    こんばんは藍流さん。読ませて頂きましたので、コメの1つでも不法投棄して行きます。
    ハッピーエンドの筈が、何やら不穏なことになってますね。二転三転が物語の醍醐味とは言え、嫌~な感じです。
    こういう落ち着かない気分にさせてくれるのも、作者の技量あってこそですね。いつもながらの丁寧な心理描写、おみそれします。藍流さんは心理描写の中で、特に比喩表現が上手ですよね。今回で言えば、「闇色の湖面が波打つ、あの感じ」という比喩表現が上手いと思いました。「どういう感情なのかうまく言葉に出来ない感情」を、うまく言葉にした表現だと思います。

    次回も期待させて頂きます。がんばって下さい。

    2010/10/26 20:56:29

    • 藍流

      藍流

      こんばんは。読んでくださってありがとうございますー! 不法投棄とはとんでもない、神棚にお供えしたいくらいです(*´∀`*)

      嫌?な感じですか! 書き手冥利に尽きるお言葉ですヽ(*´∀`)ノ
      比喩に関しても、褒めていただいて嬉しいです! 「言葉にできない感情」は「言葉にできない」ところが核だから、そのモヤモヤとかザワザワする感じを伝えたくて言葉選びに悩みますね。

      次回もよろしくお願いします!

      2010/10/27 01:42:06

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