第二章 ミルドガルド1805 パート16
「せいやぁっ!」
可憐な少女の声が広い平原の只中に響き渡った。どうやら一人、剣の素振りをしている様子であった。小麦色の髪を潔くポニーテールにした少女はもう一度剣を振り上げて、そして鋭く振り下ろす。剣が風を切る音が周囲に響いた。その素振りだけでも、見るものが見れば少女が相当の腕前を持っているという推測を立てることが出来るだろう。その少女はしかし、不意に剣の手を止めると、深い思考を巡らせているらしい同行者に視線を向けて、少しだけ不満そうに頬を膨らませるとこう言った。
「お義父さま、少しはあたしの剣を見てください。」
お義父さま、と呼ばれた中年を過ぎた頃合である男性はそれでようやく意識を少女に向けると、苦笑しながらこう言った。
「ちゃんと見ているよ、セリス。」
「本当かしら。」
「勿論だとも。」
その男性、ロックバードは少し誇るような気分を味わいながらセリスに向かってそう言った。レンを探しに旅に出ると決めた時、本来はセリスをルワールに置いて旅に出る予定だったのである。だが、それに対してセリス自身が猛烈に反対したのであった。即ち、自分自身にも恩義のあるレンを探すのはあたしの役目だとセリスはロックバードとフレアに向かって熱意を込めて語り、合わせて剣の訓練も受けたいと主張したのである。当初は反対していたフレアも、セリスの余りの熱意にとうとう折れ、そして今はこうして二人でレンを探すためにミルドガルド中を旅して回っている。旅立ったのは今から一年ほど前のことであった。それまでの三年間はゴールデンシティからの退去や、暫く放置していた領地経営に費やされて全く動けず、ようやく自由に出来るだけの資力を蓄えることが出来たのが去年のこと。その間、ミルドガルド帝国からの不穏な探り入れもなく、比較的ゆるやかな旅をこれまでの間継続していたのであった。その間にセリスは十四歳を迎えていた。正確にはセリスは自身の誕生日は勿論、自分の年齢も全く記憶していなかったのだが、ロックバードが養子にした日をセリスの十歳の誕生日と仮定して、その日を毎年祝っていたのである。そのセリスの姿を眺めながら、そういえばリン女王と同い年になられたのか、とロックバードは考えた。リン女王とは少し異なり、素朴な身なりに身を包んではいるものの、セリスがリンと負けず劣らずの美貌を持ち合わせるだろうことは誰であっても予想しうる将来像であった。本来なら、剣ではなく蝶や花を愛でる少女に育て上げたかったが、とロックバードは自身の教育方針の失敗を痛感したが、何もセリスが興味を持たないだろう箱入り娘に育て上げることもあるまい、と努めて前向きに考えてから、セリスに向かってこう言った。
「そろそろ出発しよう。」
ロックバードがそう告げると、セリスは素直に剣を収めてからこう言った。
「今度はどこに向かうの?」
「そうだな。」
ロックバードはそう答えてからもう一度思案した。これまでミルドガルドの南方を中心にレンの捜索を続けていたのだが、これと言って確定的な情報は獲得できていない。一度原点に戻るべきか、とロックバードは考え、セリスに向かってこう言った。
「このままオデッサ街道を北上して、ゴールデンシティへと向かおう。その後はルータオに。」
「了解です、お義父さま!」
ロックバードの言葉に元気良くセリスは答えて、そして半ば駆けるような勢いで街道を歩き始めた。若さとは財産だな、と生命力に溢れたセリスの背中を眺めながらロックバードはそう考えた。最近どうも身体が重たい。どうやらいい加減年を取ったようだ、と考えながらゆったりとロックバードも歩き始める。そのロックバードに向かって、先に進んでいたセリスが跳ねる様なステップを踏みながら振り返ると、明るく透き通る声でこう叫んだ。
「お義父さま、遅いと置いていきますよ!」
リーン達の一行がルータオを出立してから、二週間近い期間が経過していた。ルータオから海岸沿いに、整備が行き届いていない荒れた道を歩いて一週間ほど、今リーンたちは見渡す限りの小麦畑に包まれた農村地帯を歩んでいるところであった。
「もうすぐルワールの城が見えてくるはずよ。」
日が中天に昇る頃になって、集団の先頭を歩いていたルカが唐突に振り返るとそう言った。かつてミルドガルド中を旅していたルカはミルドガルドの地方風土に詳しい。旅慣れないメンバーを揃えての長旅に、ルカは必然として主導的な立場に立つことになったのである。そのルカが再び歩き出す姿を眺めて、リーンは小さな吐息を思わず漏らした。現代人とこの時代の人類は身体の構造が根本的に異なるらしいという考えは既にリーンの中では確信に近いものになっていた。メンバーの中ではリンと並び一番若いはずなのに、誰がどう見ても一番の疲労を感じている人物がリーンであったからだ。
「リーン、大丈夫?」
それでも我慢して、重たい足を引きずりながら歩き出したリーンに向かって、リンが不安そうな表情でそう訊ねてきた。顔だけではなく、体格もそっくりなのに、リンは疲れた表情を見せることもない。何でも機械に頼るようになると人間退化するのね、とリーンは考えながらリンに向かってこう言った。
「だい、じょうぶ、よ。」
あんまり大丈夫じゃないみたい。息切れしたように途切れ途切れの言葉を放ちながらリーンはそう考えた。思い起こしてみれば今までの人生で二週間も歩き続けた経験は無い。足の感覚が鈍くなってからもう相当の時間が経過しているし、そろそろ限界かも知れない、と考えたのである。そのリーンに向かって、リンは得心したように頷くと、懐から小さなドロップを取り出してそれをリーンに手渡した。
「なあに?」
そう訊ねたリーンに向かって自然な笑顔を見せながら、リンはこう言った。
「ハクが作ってくれた飴。きっと元気になるわ。」
そのハクは、あんなに華奢な体つきをしているのにリンと同様に疲れた様子も見せていない。少しだけ健康的に日焼けしたハクの肌を眺めながら、リーンは素直にその飴を口に含んだ。柑橘の甘酸っぱい香りが口内に広がる。なんとなくほっとする味を持つ飴だった。
「さぁリーン、あと少しだって。頑張ろう!」
リンはそう言って笑顔を見せると、さりげなくリーンの隣を歩き出した。そうだよね、頑張らないと。リーンはそう考え、気合を込めるように深呼吸をするともう一度力強く足を踏みしめ始めた。
ルワールは元々黄の国の成立当時、最後まで抵抗した部族がその本拠地としていた土地である。元来はルワール王国という黄の国とは異なる独立国家であったが、黄の国の創始者であるファーバルディ大王との十年にも渡る大戦争の末に黄の国に敗れ、黄の国へと編入された過去を持つ。だが、その十年の間に青の国と緑の国が成立し、当時大陸制覇の野望を持ち合わせていたとも噂されるファーバルディ大王はそれ以上の戦闘を断念せざるを得なくなったのである。結果として三国鼎立する国際関係が数百年に渡って続くことになったのだが、もしルワールが当初より黄の国に恭順を示していればファーバルディ大王は豊富な資金を他国との戦争に回すことが出来たはずだと歴史家は推測している。カイト皇帝により歴史上初めて成し遂げられたミルドガルド統一は数百年早く達成されていた可能性すらあったのである。
そのルワール地方の統治官としてロックバード伯爵家にルワール地方を与えたのは決して偶然ではない。後に英雄と呼ばれたファーバルディ大王が黄の国を統治するに当たって唯一懸念したことがこのルワール地方の治安状況であったのである。何かの拍子に反乱が起きたとき、的確に対応できる人物を残しておく必要がある。そう判断したファーバルディ大王は当時の大将軍でありファーバルディ大王の右腕と評価された軍人、即ちロックバード伯爵家にその統治を委任したのである。以降ルワールはロックバード伯爵家の占有領地としてその名を知られることになった。
また、ルワール地方の人間は独立心が旺盛であることでも有名であった。唯一中央政府に抵抗することも厭わぬ気概を持つ人種が存在している。それがルワール地方であったのである。そのルワールをこの数百年の間平穏に統治してきたロックバード伯爵家はある意味では王家以上の内政力を持つ一族であったかも知れない。
そのルワール地方の中心は同名であるルワールの街を中心に発展している。現代では新幹線の路線計画から漏れ、経済的に低迷していると評価される街ではあったが、この当時は旧黄の国南部地区の中心都市としての存在感を放っていたのである。街並みはゴールデンシティをそのまま小型化したような円形の造りをしており、ルワールの街の中心には二層建ての城が存在していた。かつてはルワール王国の王宮であり、現在はロックバード伯爵家が住まう館である。農業が主要産業である地区であったが、四年前の大飢饉の痛手からは既に回復しており、街はそれなりの賑わいを見せていた。
「ようやく到着したのね。」
ルワールの街を囲む城門を通過したリーンが疲れ果てた表情でそう言ったのは、リーンがハク手作りの飴を飲み込んでから二時間ほどが経過した頃であった。どうやらルカの基準では二時間はあと少しらしい、となんとなく恨めしい気分を味わいながらもリーンは初めて訪れたルワールの街を興味深そうに観察し始めた。それはリンもハクも同様であった様子で、リーンと同じようにルータオではお目にかかれない産物などを見つけては楽しそうに眺めている。
「まずはロックバードに会いに行きましょう。」
ルカがそう言った。その言葉にウェッジが僅かに眉をひそめる。未だに黄の国に対する心の整理が出来ていないウェッジにしてみれば、元黄の国の軍務大臣であったロックバード伯爵は許すことの出来ない仇なのである。そのウェッジの表情に気が付いたのか、ハクはさりげなくウェッジの傍に近寄ると、小さくこう言った。
「駄目よ、ウェッジ。」
その言葉に、ウェッジは複雑な表情で頷くとこう答える。
「分かっています、ハク。」
その二人の様子を眺めて安心したように瞳を細めたルカは、次にメイコに向かってこう言った。
「メイコも、準備は出来ているかしら。」
その言葉に、メイコは苦笑しながらこう答えた。
「今回の旅は予想以上に厳しいものになりましたね。」
まるで娘のように可愛がってくれたロックバード伯爵と、直接的では無いにしろ裏切る形をとってしまった。ロックバード伯爵は最後まで黄の国を守るつもりだったのだろう。実際の戦力差の不利に関わらず、黄の国と青の国の最後の戦闘となったカルロビッツの戦いでは青の国が大苦戦し、一時はカイト王の首に迫ったロックバード伯爵と傭兵ガクポがどのような想いで戦い、そして私の裏切りをどう受け止めたのか。リンを逃したことは私の唯一の良心だったが、その代わりに私はレンを見殺しにした。その私を、ロックバード伯爵は許してくれるのだろうか。いや、許されなくてもいい。ただ、理解してくれるのだろうか。その様に思案し、緊張した様子で深い呼吸をしたメイコの姿を見つめながら、ルカは僅かに声を落とした調子でこう言った。
「行くわよ、メイコ。」
それだけ告げると、ルカは颯爽と先頭に立って歩き出した。その後に、全員が続く。やがて一同はロックバード伯爵家の館へと到達した。城と表現するにはやや小ぶりではあるが、いつでも戦闘に耐えられるような城壁に囲まれた館である。その門番を行う初老の兵士に用件を告げると、案外すんなりと通行の許可が下りた。黄の国が滅亡した以上、必要以上の警備は不要だと考えているのかも知れない。そのまま屋敷へと到達し、現れた実年齢よりも若い印象を受ける婦人の姿を見て、ルカは懐かしむように瞳を細めた。
「フレア。久しぶりね。」
そのルカの姿を見て、驚いたのはフレアの方であったようだ。
「ルカ様。お懐かしゅうございます。」
震えるようにフレアはそう言ったが、直後にルカの背後に控えていた人物に瞳を止めた。そして呻くように言葉を告げる。
「り、リン女王陛下・・いや、まさか・・。リン女王陛下はあの時・・。」
フレアがそう言って瞳を潤ませたとき、リンは颯爽とルカの前に立つと、優しげな表情でフレアの両手を取り、そしてこう言った。
「いいえ、あたしはリンよ。」
「では、あの時処刑されたのは・・。」
既にフレアの両目からは大粒の涙がこぼれ始めていた。
「レンよ。あたしのお兄様。知っていたかしら。」
「そうでしたか・・。そうだったのですね・・。」
フレアは感極まった様子でそう告げると、涙を飲み込むような口調で言葉を続けた。
「レン殿がリン女王陛下の兄上である事は夫から、黄の国滅亡後に聞かされましたわ。」
「心配をかけたわ。」
リンは優しい口調でそう言って、フレアの手を握る力をほんの少しだけ強くした。多分、この四年間相当の苦労をしたのだろう。リンが子供の頃、白魚のように透き通っていたフレアの両手はいつしか皸を起こしてかさかさになっていた。だけどこの手、あたし好きだ。リンはそう考えながら、フレアに向かって言葉を続けた。
「ロックバードはいる?」
その言葉に、フレアはしかし小さく首を横に振るとこう答えた。
「夫は今旅に出ておりますわ。娘と二人で。」
「旅に?」
ロックバードには娘はいなかったはずだけど、とリンは考えたが、それ以上に何のために旅に出ているのだろうか。そう考えて訊ねた質問に対して、フレアははっきりとした口調でこう答えた。
「『唯一の王族であるレン様を探し出し、黄の国を復興させる。』夫はそう言って、養女のセリスと二人で旅に出たのです。先日グリーンシティから手紙が届きましたが、今どこにいるか、私にはわかりませんわ。」
黄の国を復興させる。その言葉にリンは少なくない衝撃を受けた。あたしが安寧とした生活をルータオで送っている間に、ロックバードはたった一人で立ち上がり、そして行動を起こしている。どれほどの忠誠を黄の国に、ひいてはあたし自身に誓っていたのだろうか。その事実を今更ながらリンは痛感したのである。
今すぐロックバードに伝えたい。リンはそう考えた。
あたしはここにいるよ、ロックバード。
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だから、彼らは天才と言われていた。
そして、天才の彼らとの勝負で賭けるモノ。
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だから、負けたらもうおしまい。
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むかしむかしあるところに
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齢十四の王女様
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顔のよく似た召使
愛馬の名前はジョセフィーヌ
全てが全て彼女のもの
お金が足りなくなったなら
愚民どもから搾りとれ...悪ノ娘
mothy_悪ノP
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ご意見・ご感想
matatab1
ご意見・ご感想
セリス来た!! と冒頭から一気にテンションが上がりました。ロックバードとのほほえましいやりとりにニヤニヤしっぱなしです。ついでにセリスが結婚した時などに男泣きするであろう姿が目に浮かぶ……。
『レンの反乱』において、非戦闘員として活躍するのかな? と思っていたので、セリスの剣の修業は少し意外でした。戦いの際には裏で支える人も大切なので。
どんなに強い英雄や勇者だって、武器が買えなくなったり、宿などを使えなくなればおしまいです。
2010/09/06 16:24:22
レイジ
いつものごとく返信遅れてごめんなさい^^;
コメントありがとうございます☆
ロクセリはもう少し書いてあげたいなぁと思います。そのうち外伝形式で書くかも知れませんw
ちなみに非戦闘員についてはもう考えています♪作品にはまだ暫く登場しませんが、資金援助などをしてくれるとある人物が登場する予定です。
そちらもお楽しみに!
ではでは、今週もよろしくお願いします!
2010/09/12 11:35:27