私はリン。
私は王女。
私の喜びは国とともにある……!


   『悪の娘と呼ばれた娘』


1. リン王女

 リンが王女として生を受けた国は、豊かな国だった。豊かな穀物の実る大地は、季節になると国の見渡す限りが喜びで金色に輝く。その光の波打つ様から、この国は「黄の国」と呼ばれていた。
 黄は、光の色である。国の中心に立つ、王宮の尖塔にも、この国に満ちる明るい光を模した黄の色の旗が翻っている。
 大地を渡る風に揺れる、その光を示した旗のもとで、この国の人々は、自然の恵みを十分に受けて暮らしていた。
 何代にもわたる、賢い王に守られながら。

        *        *

 王の仕事は、国を治め率いることである。
 幼いころから、リンにはそういう考えがあった。
 国の税金で、国の代表として養われている王族にとっては、すべての行動が公のものである。
 日々の食事も、そして、おやつでさえも。

 おやつの時間。王族であるリンにとって、それはれっきとした政務である。
 この国の農産物の出来、流通の状況、そして国民生活のゆとりまでもが、「おやつ」ひとつに現れるといっても過言ではない。
 そして、そのような情勢を「おやつ」ひとつから読み取るのも、将来この国の王となる者に要求される能力のひとつであった。
 リン王女の願いは、将来、立派な王になることであった。彼女にとっては、毎日のおやつですら、王になるための修行のひとつなのである。
 それでも、齢十四の王女にとって、『おやつ』は一日のうちでも楽しみな時間であった。

 遠くで、時刻を知らせる鐘が鳴った。
「あら」
 王女の頬に、軽い微笑みがうかんだ。
「レーン! 今日のおやつは何かしら!」
 目を通していた書物から顔をあげて、にこやかに使いの者を呼ぶ。
「王女さま。本日の『おやつ』はブリオッシュでございます」
 答えた使いの者も、まだ若い。王女と同じ年ごろの少年である。顔も背格好も、声すらもややすればとても似ている。ひとつ違うところがあるとすれば、少年は髪を頭の後ろでひとくくりにし、活動しやすい格好をしていることであろう。
「ブリオッシュかぁ。……今日の気分は、もうちょっと色気があるものだったらよかったなぁ」
「王女さま」
 王女の向かいに座り、なにやら算術の道具をはじいていた女性が、たしなめるように顔を上げた。
「ブリオッシュほど、この国をあらわす食べ物はないでしょう?」
「……たしかにね」
 女性に対して、リン王女は肩をすくめて見せる。

 リン王女と女性のもとへ、先ほどのレンと呼ばれた少年が、盆を抱えてやってきた。
 卓の上の書物を脇にのけたところへ、レンが皿を揃え、茶を注いでゆく。
「うむ!」
 同じ年ごろの少年の仕事に、満足そうにうなずいて、リンは、優雅にフォークを手に取った。
 レンと、向かいに座った女性のほかにも、数人の係の者が見守る中、リン王女は政務用の小卓の上で、ナイフとフォークを上品にひるがえした。
 弾力のあるブリオッシュを、苦労を感じさせぬよう器用に切り取り、上品なサイズで口に運ぶ。

 ばら色の唇が、小片をつつむように飲み込む。彼女の可憐な舌の上では、卵と乳と砂糖と、この国特産の小麦が絶妙なシンフォニーを奏でていることだろう。

「うん。今日もとっても美味しいわ」

 小麦はふわりと新鮮な風味を広げ、それを卵と乳と砂糖の、ひかえめだが心地よい甘さが彩っている。甘味のある穀物と香ばしさは、この年の豊かな実りを示している。卵と乳がふんだんに使われているということは、新鮮なものを王宮まで運ぶ流通が整っているということだ。さらに、この国では砂糖は採れない。砂糖が使えるということは、対外貿易もうまくいっているということである。

「この小麦は、今年の春にとれた新しい小麦ね。うん。……すこし雨が多すぎたから心配していたけど、さすが、バニヤ地方。ことしもいい仕事をしたみたいね」

 数々の美味に慣れた王女の舌が、その繊細な味の違いをも見極める。
 初夏の風が窓から吹き込み、リンの黄金色の髪の毛を揺らした。満足そうに微笑む王女を見て、居並ぶ人々も満足そうに微笑む。リンは、窓の外に視線を向けた。リンの瞳と同じ色の、鮮やかな新緑の王宮の中庭が見える。ふと、使いの少年と目があった。レンである。
 レンが、同じ新緑色の瞳で微笑む。レンも、この国の人間に多い、金髪翠眼のいでたちだ。まるで麦の穂のような黄金色の髪の毛が、初夏の風にさわやかにゆれた。晴れやかな景色に、リン王女の心も晴れ晴れとした幸せを感じていた。

「王女さま。おやつの後で、ひとつ、お知らせがございます」
「なぁに。後といわず、今おっしゃいなさいな。耳は暇だから」

 王女の軽い冗談に、レンがくすりと笑った。

「では。……お届けものが届いてございます。……ミク女王様から」
「ミク様から! まぁ!」

 勢いよく立ちあがりかけたリン王女を、向かいに座る女性が「おやつの途中ですよ」とたしなめる。
 リンは興奮を抑え込むように席につき、倍速でブリオッシュを攻略しはじめた。
 鮮やかなる技巧で、上品かつ素早くブリオッシュがその唇に飲み込まれていく。
 白い指がつかんだカップがちいさくかたんと音をたて、リンはこくりとブリオッシュの最後の一口を優雅に喉に『流し込んだ』。

「教育係としては、それはいかがなものかと思いますが」
「ミクさまからお手紙も届いています。お読みしましょうか?」

 教育係の小言にかぶせるようにレンが微笑んで声を通す。
 リンもそんな召使の心配りにいたずらっぽく片目をつぶる。

「いいわ。まどろっこしい。こちらへはやくよこしなさい!」

 精一杯気張った言葉を使ってはいるが、その姿は完全にせがむ子供である。教育係の女性もついにあきらめたようで、やれやれと苦笑し、王女の向かいに座りなおした。

 リン王女は、レンから、銀の盆にのせた手紙を受け取った。

「王女さま。もうじき、諸侯方との会議が始まりますが」

 レンに並んで待機していた召使のひとりが、口を挟んだ。
 王女は、顔を上げた。そして、意志の強い瞳で、その上奏をつっぱねた。

「ミク女王との親交は、わたくしにしか出来ない仕事です。
 ……あちらの会議では、十四歳で、『王女(おうのむすめ)』であるわたくしは、まだお飾りでしかない」

 口を挟んだ召使も、静かに引き下がった。
 この国の王と女王は、未だ存命である。ただし、健在である、とはいいがたい。ただ王位を持つが、それだけだ。昔は賢帝と称えられた王も、高齢となった現在、その意志はすでに半分以上天に持って行かれている。女王もしかり。

 ただし、この国の、王政という法が、彼らの退位を許さないのだ。
 その法を使う、諸侯らが、老いた王の退位を許さないのだ。

「……あたくしは、いまだ『王女』。女王ではないのです。政治で行使できる権利は少ないわ」

 レン、と王女は声をかける。リンは、レンからペーパーナイフを受け取った。
 リンの手によって、かろやかな音を立てて封が切られた。リンは瞳を輝かせながら紙片を取り出し、書面に見入った。

「すごい! すごいわ!」

 王女の目がきらきらと紙の上を往復して輝く。

「さすが、工芸の盛んな『緑』の国ね!すばらしい織り機が開発されたそうよ!」
「それは素晴らしいですね」

 『緑の国』は、急峻な山と谷に挟まれた小さな国だ。海に面した穏やかな港をもつが、その地形はけして流通向きとはいえない。だが、加工の技術を発展させることで外国の商人たちの目を向けさせ、外貨を上手に稼いでいるのだ。

「まぁ! 海水で真水をたくさん作る研究もしているんですって!」

 緑の国は、山に囲まれてはいるが、水事情はけして良くはない。
 薄い土壌が流れないよう、森が必死に大地に縫いとめている。生育する木の材は上質だが、生産出来る量は限られている。うっかりとりすぎてしまうと、降った雨が土壌を押し流し、災害となるばかりか、山がため込んだ貴重な水も、全て海に流れ落ちてしまう。

 だからこそ、山に生える木は水源の護りとしてとても大事にされてきた。

 人間の住む場所すら限られた小国だが、人々が大事に守っている水と木材、そして鍛えた技術とそれを外に売り出すための、海に面した港は、緑の国を、さまざまな国から一目置かれる存在として形作ってきた。

 その国を率いる美しく有能な『女王』。それが、ミクなのである。
 小さいけれども、エメラルドにたとえられるほどの国を築いているミクは、リン王女の憧れの女性なのであった。

「そういえば、鉱毒問題はどうなったのかしら……って、まぁ! 毒を吸う植物をついに実用化したのですって!あら、ミミズにそんな使い道が!」

 きらきらと輝く王女の顔を見て、召使と教育係は、苦笑しつつも温かく見守っている。
 やがて、手紙を読み終えた王女は、ふう、と息をついて、天を見上げ、居並ぶかれらを見回して苦笑した。

「さすが、ミク様ね。鉱毒を吸う植物と、それを育てる技術を、他の鉱毒に悩む国にもたくさん売り出すのですって。そのお金でまた、次の新しいことを考えるんですって。

……緑の国は、豊かになるわね」

「リン様も!」

 レンがたまらず口を開いた。

「リン様も、きっとそのような国をお作りになるでしょう!」
「ありがとう。……わたくしが女王になったら、頑張ってみるわ」

 ふっと、王女が外に目をやった、
 影の差す具合は、ちょうど諸侯らとの会議が始まる時刻を示していた。
 王女を呼びに来る者はいない。
 王と女王は政治に意見することが出来るが、王女にその権利はない。ただの飾りのリンなど、わざわざ呼ぶ必要はないのだ。

「今は飾りでも」

 王女が、見つめる召使たちに向き直った。そして、静かに見守っていた、教育係にも。

「今は飾りでも、いつか女王になったときは、恥ずかしくないようにありたいわ。……必ず、わたくしの手で、よい国をつくります」

 ミク女王のような、素晴らしい王になる。それが、リンの願いであった。

「私は王女。わたくしの喜びは、常に国とともにある。……そうありなさい、と、むかし、お父様たちがおっしゃっていたわ」
「覚えております。陛下は、素晴らしい王でありました」

 教育係が、さびしげに微笑んだ。
 召使たちも、うなずいた。
 すでに過去形で語られることが示すとおり、現在の王は、ただの傀儡であった。

「……では!私の喜びは、王女様の笑顔です!」

 重たい空気を振り払うように、レンが明るい声を通した。

「王女さま!こちらも、ミク様からの贈り物です!」

 えっ、と王女が驚き立ち上がった。レンが、傍らにあった大きな箱を示した。

「さっきから何かしらと思っていたら、その箱もだったの!レン!」

 王女が、ついに椅子をたって駆け寄った。

「王女様!」

 教育係の声もあっさり振り払って、王女は、レンがうやうやしく差し出した包みに飛びついた。

「大きい!大きいわ!なんでしょう!」

 はしゃぐ王女に、レンと召使たちは包みを解く手を早めた。
 レンも、他の者も、願っているのだ。早く王女の喜ぶ顔が見たいと。
 満面の期待を込めた面々に囲まれ、ついに贈物のふたが外された。

「わあ!」

 初夏の風の中に広げられたのは、鮮やかで優しい色合いの、上品で優美な黄のドレスだった。
 緑の国の伝統工芸のレース細工が、美しく襟元とそで口をあしらっていた。

「ミク様……」
「伝言がございますよ、リン王女さま」

 ひらりと小さな紙がすべりおちたのを、教育係の手が受け止めた。

「お互い、国を担う立場です。大変でしょうけど、私は、お隣にリン様がいて心強いわ。
 ……いつも勉強熱心な、『黄の国』の次期女王様へ。少しでも励みになりますように」

 ふっと微笑んで、教育係がリンへ、そのちいさなメッセージカードを渡した。
 リンはすでに、感激でうっすら涙を浮かべている。

「ミク様……ありがとう」

 ただの飾りの自分の辛さと苦しみを、となりの国の立派な女王が、理解してくれている。そう、リンは感じて、そのカードをドレスとともに、宝物のように抱きしめた。

 カードには、女王の印と、ミクの私的な贈り物を示す、私印が押されていた。 ミクが、公的にも、そして、私的な友人としても、味方してくれる。

 そのことが小さな短いカードで示されている気がして、リンの胸は熱く高鳴った。

 こぼれそうになった涙を、ハンカチでしずかにぬぐうと、リンは、ぱっと顔を上げた。

「さっそく着替えるわ! 男性の方は出て行って頂戴!」

 そして、にっこり笑って、ただひとりの女性であった教育係へと振り返った。

「メイコ! あなたは手伝って頂戴!背中のリボンをとめるくらい、いいわよね?」

 メイコと呼ばれた女性は、苦笑した。王女をわがままだと思ったのではない。教育係の自分に、召使のような仕事をさせてしまうことに気をつかった、真面目なリンの発言への苦笑だ。

「では、特別手当を頂くことにしましょう」

 リンの気づかいに、メイコは軽く言葉を返した。
 そんなメイコに、リンは笑った。先ほどまでの気張った微笑みではなく、本当に無邪気に、楽しそうに。

 かろやかに袖を通し、リンはくるりと踊るように回った。
 ふわり、と花のような裾がひろがってリンを光のようにつつんだ。
 メイコが、背のリボンをむすんだ。形よく整えて、できましたよ、とリンの肩をやさしく押さえる。

「ええ。いつもありがとう。メイコ」
「長年のお付き合いですから」

 リンは、生けてあった花瓶の花を、ひとつ抜き取り、ミクからの贈り物の箱に巻いてあったリボンを結んだ。

「はい。特別手当よ、メイコ」
「恐悦至極にございます」

 深紅の花は、メイコの胸元によく映えた。

「ふふ。では、そろそろ諸侯の会議もまとめの時間の頃ね。行くわ。メイコ。供をなさい」
「はい」

 王女の部屋を、リンとメイコは足音高く踏み出す。

「諸侯たちの自分中心の議論は聞くに堪えないけれど、何が決まったかは知っておかねばならないわ。将来の王は、わたくしですもの」
「ご立派です」

 出てきた二人の華やかな姿を、レンを含む男性の召使たちがうやうやしく見送った。


つづく!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 1.リン王女

 いわずと知れた名曲。数ある素敵小説に影響され、ついにうっかり着手ス。
大丈夫か、私。

とりあえず、うちのリンはこんな感じです。
これから、原作どおりに、なります。

閲覧数:1,377

投稿日:2010/08/04 01:34:58

文字数:5,966文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    こんにちは、sunny_mです。
    なんかもう既に切なくなってしまっている私は、なにかの悪い病気でしょうか(笑)
    リン王女と、今現在の政治の中枢にいる人たちとの温度差が垣間見えて、なんかぞわりときました。
    聡明なリンが、この先どうして悪の娘になってしまうのか。知りたいけど知りたくない。そんな感じです。

    結末が決まっている物語でも、人によって色んな姿になるのが面白いですね。
    wanitaさん版・悪の娘/悪の召使を楽しみにしています☆

    2010/05/30 21:17:22

    • wanita

      wanita

      >sunny_mさま

      ありがとうございます☆ 知りたいけど知りたくない、そのメッセージにこちらもドキドキしています!さて、結末は決まっている物語の中を、どう料理しようかなと……!
      リンとレンは、大事に書いていこうと思います。
      ミクは、同じ女として、『理想の女性』の側面と、『陰の部分』を書いてみたいなと☆
      では、よろしくお付き合い頂ければ幸いです!

      2010/05/30 22:05:30

  • レイジ

    レイジ

    ご意見・ご感想

    読ませて頂きました☆
    ようやくひと段落つきました^^;

    >リンとミク
    その発想はなかった・・。成程、この後どのように物語が展開して行くのかを楽しみにしています☆
    ところで時代背景は近代?いや、自分が書いている時代よりも科学が進展しているような印象を受けたので・・。科学技術や農作物の話しになるとwanita様の専門分野になると思いますので、そのあたりも楽しみにしております。

    ではでは、続きをお待ちしています☆

    2010/05/30 17:15:02

    • wanita

      wanita

      >レイジさま
      ありがとうございます! 時代背景は特に設定しないつもりでいます。科学技術系は、今回味付け程度にしようと思います。

      ミクの国においても、「原理はよくわからないけれども、『現象』への理解は始まっている」あたりの進歩度合ということで☆ どうして「鉱毒」となるかはわかっていないけれども、「悪い水」が出て人に害が出て困るので「植物や動物に吸わせて処理すればよろしい」、くらいのおおざっぱな理解です。

      ただ、羅針盤は発明されています。現実の歴史の風景で近いとすれば、15世紀くらいかな、と☆ 

      科学技術の発達は兵器の発達にも通じますが、そこはファンタジー世界の話ということで、どの国もとりあえず剣と騎馬戦にしようと思います。

      本当の15世紀付近なら銃が実際に使われ始めたころですが、そのあたりはどうしようかなあと、
      時代背景の話を振られて初めて考え始めました。できれば銃は生々しく現実世界にリンクしてしまうので、使いたくないなと思っています^^)

      では!初めてのライブ連載ですので、チェックポイントは決めていますが、どう転ぶか分りません☆

      2010/05/30 21:49:16

  • 音坂@ついった

    音坂@ついった

    ご意見・ご感想

    ふおおおおおwanita様の悪ノwanita様の悪ノ!!!
    まさかまさか、でとっても嬉しいです。リン王女…!
    まるで模範のように素晴らしい少女なだけに、今後の「転」がどうなるのか楽しみで仕方ありません^^

    2010/05/29 23:29:20

    • wanita

      wanita

      音坂さま♪ありがとうございますっ(^-^)

      鏡音、どうしてこんなに愛しいんでしょうねっ☆
      うはぁはぁ。いよいよ「あの名曲に挑戦!」ということで、ドキドキです。

      何がドキドキかって、鏡音愛を痛々しくかつ存分に書ききってやるぞという武者震いが(*^_^*)

      はじめて、プロットしかない状態でUPしていくので、生中継のようなドキドキもあり☆では、今後気長にお付き合い頂ければ幸いです←早くも不穏発言

      2010/05/30 10:11:48

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