――――――――――#3
一言で形容して、異質な空間である。空間自体が異質であるし、彼女も異質である。この空間の外側は理解できるというのに、外側の属性に対するコンテキストを、この空間は共有していない。何が言いたいかというと――
「お嬢様。初音中将が参られた時に、こちらをお渡しください」
「は、はい」
壮年の警備員から橙と藍のグラディエーションでデザインされたカードを受け取る。物腰は上品な紳士だが、どこかぶっきらぼうな所がある。警備員は4人いて、この紳士以外は女性である。年も彼女と同じあたりか、ちょっと下かもしれない。
ここはエルメルト攻響旅団基地にある、士官用の住居である。2階建ての一戸で、彼女は捕虜として2階の一室に拘留されている。戦時中の慣例として捕虜を収監するのは軍の権利で、基本的には最低限の待遇さえしていれば扱いはその軍の裁量であるのだが。
「お嬢様というのは、やめていただけますか」
この住居。内装はちょっとしたお金持ちぐらいの豪華さで、室内には過剰な位に高級な調度品が並んでいる。これらはクリフトニアを勝利に導いた「VOCALOID」初音ミクに、国の内外から寄贈された品物なのだそうだ。その中で、贈与税などの兼ね合いで初音ミクが受け取りを拒否しかけた物品を、軍が相手方の面子を保つために引き取ったという、まあ贈与税というフレーズと贈った物のグレードで察するような、世界大会入賞みたいな一品ばかりが納められているのだ。実は絨毯やソファーや照明や、食器も石鹸まで何もかもの一式も、全てがそういうグレードである。
「ではグミ様とお呼びしましょう」
この紳士警備員、最初に彼女を連れてきた時、全く何も言わなかった。摺りガラス並みに光を通す磁器のティーカップとか、その値段とか、全く何も言わなかった。
「もちろんよろしくないです」
当然、警備員もおかしい。1階がグミを監視する警備員の詰め所になっているが、男性1女性3の、4人いる面々がそれぞれ軍人には向かないんじゃないかと思える。
「ねー。お嬢様って呼ぶんだったら私たちもメイド服じゃないと似合わないしー」
「せやねー。そうしたらリーダーは執事服をきてほしいわー」
「やめなさい。そんな事言ってたら、農作業用のつなぎとかきさせられるわよ」
3人の女警備員が一斉にグミを振り返り、ちょっと間を置いてクスクスとやりだした。
「おかしくないわよ!!」
つい声を荒げる。確かにグミは農作業用のツナギを着ている。だが格好より、この警備員達と話をするほうが恥ずかしい。
「ま、なんでもかまいませんがね……」
紳士は帽子をつまんで、小指で頭を掻いている。心底どうでもよさそうだった。
「グミちゃんならなんでも構わないんだって!これはもしかしてプロポーズ!?」
「せやね!せやったら、もう一回やってもらって動画とるわ!結婚式でながさなあかんやん!」
「……うん」
こいつら処女か。いや私もそんなにそんなですけれども。少し意地悪を言ってみたくなる。
「服が何でも良いんだったら、女の子もだれでもいいんじゃない?」
ま、大して経験豊富でもないし、どうせ大したこと言えませんけれども?ねえ?努めて穏やかな笑顔で、さり気なく言ってみたけれども。
「……え、ほんまに?」
「……男って獣って、言うよねー」
「……素数を数えて落ち着くのよ」
「あのね?何しにここにいるの?」
途方にくれて紳士の行方を捜すと、キッチンの方で気配がした。そう言えば、今日の食事当番は紳士さんだという話で、3人は盛り上がっていた。警備員が食事も作る決まりらしいが、グミにとっても重要な情報になりつつあるのが、悲しい。それも警備員と同じものを食べるので、捕虜虐待を申し立てるとかいう切り札さえも使えない。
「そうだ。今日の晩御飯は鶏肉を使った料理ですよ」
「え?なんでグミちゃんが知ってるのー?」
「夕食の時間には労働に出ているので、早めにいただきました」
「ずるいー!何食べたの!?こっそり教えてよ!」
「さあ。私は余った鶏肉で親子丼を作ってもらいましたから、違う料理でしょうね」
今晩は鶏の照り焼きステーキと松茸の塩焼きとお吸い物である。軽く手伝ったので間違いないが、黙っていろとは言われている。
「しまった!グミが台所で何か食べてると思ってたのよ!」
「なんできずかへんの!?そんなんはやくいいや!」
「吐きなさいグミちゃん!知っている事も今日食べたものも!」
「黙ってもらえます」
アホさん達と掛け合いしている時に、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい!もー今忙しいのに!」
グミはツナギの襟を整え、玄関に対し直立で向き直った。警備員の一人がドアを開ける。
「はいはー……」
「今晩は。基地司令の初音です」
「お疲れ様です!」
おの字が出た時には、グミはすでに敬礼していた。敵国であろうが捕虜であろうが、交戦中でない将官に対して敬礼するのは常識である。敬礼しているグミを見返して、初音ミクが声を掛けた。
「初めまして、捕虜さん。UTAUから遠路はるばるご苦労様です」
「お初にお目にかかります。……遠路はるばるとは、どういう意味でしょうか」
「特に意味はないですよ?軍人としては、本当に遠くから来たとは思いますけれども」
背筋に寒気が走った。この、初音ミクは凡庸だと聞いていたけれども、グミが従事した作戦の一番の欠陥を最初に突いて来た。明らかに、2回言った。遠い、と。聞き返したのはグミだから、初音ミクは自分の考えで『遠くからの距離をご苦労様です』と言っている。攻響兵にとって作戦距離は普通の兵士と同じ位に意味があるのだとは、何故か一般には知られていない。単に破壊兵器としての性能だけが取り柄の凡庸であれば距離を批判はしないし、まず攻響兵を捕虜として生かしてはおかない。
「本日の健康状態は心身共に良好と聞いています。間違いありませんか」
「はい」
「では、これより慣例法により捕虜に対しての要求として許容されている労働を行って頂きます。拒否する特段の事情があれば、この場で申し出てください」
「はい。戦闘行為及び戦闘に伴う付帯作業以外の労働について、これを従事する事について異議はありません」
「宜しい。本日は基地内の農地において農作業を行って頂きます。この作業について、拒否する特段の事情があれば、この場で申し出てください」
「作業について了解いたしました。拒否する事情はありません」
「では、前もって受領している移動許可証を提示してください」
「は?移動許可証とは?」
初音ミクが、一瞬動揺したような気がした。すぐに、右手と左手の親指と人差し指で長方形を作って、『なんかこういうやつ』みたいなジェスチャーを、真顔でやった。
「……!!!」
グミが心当たりあるのはこれしかないし、これじゃなかったとしても落ち度はグミにはない。必要なのはカードと少しの勇気だけだ。
「こちらに」
取り出したカードを、初音ミクは受け取って裏を返す。どうやらこのカードが『移動許可証』らしい。
「やっぱりやな。リーダーやから嫌な予感してたんや」
「でたー。肝心な事は何も言わないリーダーの」
「しっ。聞こえる」
グミに聞こえたという事は初音ミクにも聞こえている筈だが、関心はないらしく無反応だ。そういう人物だと知っているのかもしれない。カードの裏面を見ながら、ハンディの通信機を操作している。
「あー、こちら基地司令の初音ミク。中央司令室との通信願う、送れ」
『こちら中央司令室。ただいま通信可能。送れ』
「移動許可証の照会を願う。送れ」
『移動許可証の照会を行います。許可証番号を通知願います。送れ』
「番号A34Y4。以上。送れ」
『中央司令室に当該番号の連絡あり、番号A34Y4について移動許可あり。回答以上。送れ』
「了解した。通信終える」
初音ミクというのを初めて見たが、色々と普通ではある。だが。
「では。本日の作業は、監督者含めて2名による農作業に従事して頂きます。監督はエルメルト第7攻響旅団基地所属の基地司令初音ミク中将です。作業は移動を含めて現時点より翌日0700までとします。以上、よしなに」
「はい」
明らかに一番おかしいポイントが間違っていない。明らかにおかしいのに。絶対におかしい。
「農作業任務、お疲れ様です!」
「あ、松茸は美味しかった?」
「松茸って?」
「あれ?言われてみたら松茸のにおいしてへん?」
「ほんまだー!もしかして今日の晩御飯って!?」
「あのさ、基地司令の前で何言ってるのあなたたちは?」
思わず言ってしまったが、このクリフトニアで叙勲されてる将軍を前にして、この警備員達がすごくありえないと思う。心底、こいつらの舐めた態度を教導したい。
「おや初音司令、お早いお着きで」
奥から紳士警備員が出てくる。エプロンを掛けたままで、本当に何しにここにいるのだろうこの人達は。
「あーごめんね遅くなって。明日は6時過ぎくらいに帰すから、そんな感じでしておいて」
「了解しました。朝食はその時間に準備しておきましょう」
「では、よしなに。A34Y4は付いて来て下さい」
「はい」
「それと、これは携帯していて下さい。不携帯の場合、捕虜としての地位を失う場合がありますから気を付けて下さい」
カードを受け取りながら、初音ミクの言葉が背筋を貫く。捕虜としての地位を失う。しれっととんでもない事を言っているが、このカードを失くすと銃殺されても文句が言えないという意味である。
「はい」
胸ポケットにカードを入れるとボタンを閉じて、よくよく確認する。不思議の国のアリスになった気分で、でも常識も通用して軍規も存在するこの場所から、生きて故郷に帰るためには捕虜として真面目にしているのが最善だと、グミは確信した。
機動攻響兵「VOCALOID」 第4章#3
聞こえませんので。
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