第七章 戦争 パート7

 緑の国の軍勢がミルドガルド山地から撤退したのはそれから三十分程経過した後の事であった。乱戦不利とみたネルが早々に軍を引いたのである。敵将ながら天晴と感じたのはおそらくメイコだけではなかったであろう。引き際のタイミングも撤退方法も完璧と表現するべきものであり、赤騎士団を始めとした黄の国の軍勢は結局追撃の機会を失ったのである。緑の国に対して多少は打撃を与えたはずだが、大きな被害になっていないことは戦場に残された死者の数からも推測が容易についた。
 それでも、緑の国へと侵攻するにあたって唯一の山地を抑えられたことは大きい。緑の国の軍が撤退した後、一度軍をまとめたロックバード伯爵は緑の国へ向けて下山を命じた。その道中は敵の急襲は無く、黄の国の軍は無事に緑の国へと侵入することに成功したのである。広がるのは地平線まで見渡すことの出来る大平原である。その緑の中に一筋の白い道。この街道をひたすらに西進すると緑の国の王宮へと到達する。再びオデッサ街道を進軍し始めた黄の国の三万の兵士達は、夕刻を迎えると野営の準備を始めた。誰もが今朝の勝利に酔い、士気は十分に向上していた。危険な程度に。
 野営の準備が整うと、ロックバード伯爵は恒例となっている軍議を開催した。同席するのはメイコとレンである。但し、重要な決議は何も無かったけれど。敢えて言うならば予想通り、敵軍を率いるのは緑の国最精鋭である緑騎士団の騎士団長であるネルであるということが発覚した程度だろうか。僅か二十分程度で終了した軍議から退出し、自身の宿舎へと戻りながら、それでもメイコは心中に何か引っかかりを感じ、歩きながら思わず腕を組んだ。何かを見逃している気がする。私も、ロックバード伯爵も、忘れてはならない重要な何かを。それが何なのかどうしても思い起こせず、メイコはただ、用心に越したことはないか、とだけ考えた。
 
 峠での戦いでは先手を取られたけれど、今晩で取り返すわ。
 黄の国の軍勢の野営宿舎から十キロ程西に離れた地点で野営陣地を築いたネルは、地図を確認しながらそのようなことを考えた。敵は今日の勝利で心の枷が緩んでいるはず。勝利の直後に気が緩むのは古今東西どの人間にも変わらない心理だ。更に、相手は大軍。その数の多さも持ってより大きな油断が生じているはずだとネルは踏んだのである。しかも敵は長い道のりを歩んできて疲労が蓄積している頃だろう。油断と相まって今日は黄の国の全軍が熟睡しているはずだと推測を立てたネルは、やはり今晩しかない、と考えた。事前の準備不足のまま飛び出したからまだこの場所に集合している緑の国の軍は五千名に過ぎないが、五千の軍が一斉に夜襲をかければ三万の軍ですら壊滅させることが可能だと考えたのである。
 日は間もなく暮れようとしている。今から準備を始めれば丁度深夜に攻撃を仕掛けることが出来るわ、と計算したネルは従者を呼びつけ、全軍に夜襲の準備を始めるように指示を出した。緑の国の兵士達も今朝の峠での戦いで疲労していることは十分に承知していたが、それでも動いてもらうしかない。数に置いて大幅に不利である緑の国が勝利への僅かな可能性を掴み取るには、これしか方法が無かったのである。

 その晩、メイコはどうしても寝付かれぬ夜を過ごすことになった。夕刻の軍議が終了してからずっと引っかかっていることがどうしても解決出来なかったのである。まさか、夜襲を仕掛けてくることもあるまいが、とメイコが考えて一つ寝返りを打った時、その声は突き刺す様にメイコの耳へと届いた。
 「敵襲!敵襲!」
 直後に、銅鑼とホラ貝の音。緊急を知らせる合図であった。しまった、と後悔したのは一瞬、メイコは直後に飛び起きると、すぐに鎖帷子を着用した。野営宿舎の中にいるものだから外の様子がどうなっているのかを確認する術もないが、声の距離は遠い。まだ敵軍は自軍の深くには侵入していないと判断したメイコは手際よく鎖帷子を装着すると、その上から愛用の赤い鎧を身につけた。あくまで男性用に作られている鎖帷子がメイコのふくよかな胸を抑えつける。多少胸元が苦しいが、もう慣れきった感覚を感じながらメイコは寝台の脇に常に用意している愛剣を腰に佩き、槍を右手に掴むと宿舎から飛び出した。
 「馬を引け!」
 そう叫びながらメイコは周囲を確認する。騒ぎが起こっているのは東の方角、火の手が上がっている為にその場所が嫌にでもメイコの視覚に飛び込んでくる。
 「メイコ隊長。」
 この様な緊急事態にも係わらず冷静な声でメイコの名を呼んだのは赤騎士団副隊長のアレクであった。隣の宿舎で休んでいたはずだが、既に全ての準備を終え、騎乗まで終えている。
 「夜襲か?」
 従者が用意した愛馬に騎乗しながら、メイコはアレクに向かってそう言った。
 「その様子です。東側に陣を取っていた歩兵部隊はかなりの被害が出ている模様です。」
 「そうか。」
 赤騎士団の寝込みを襲われなかっただけ運が良かったのかも知れない、と考えながらメイコは短くそう答えた。黄の国の最精鋭部隊がこんなところで壊滅すれば、今後の黄の国の軍略自体に影響が出る。ただでさえ峠の戦いで一番の被害を出している部隊なのだ。緑の国の王宮へ到達するまでは余計な損傷は避けたいところだな。そう考えながらメイコが騎乗を終えた頃には、既に数百以上の赤騎士団が進軍準備を整え終えていた。赤騎士団全軍の準備が終わるにはもうしばらく時間がかかるな、と判断したメイコは先行して飛び出してきた部隊に向かって、短くこう叫んだ。
 「行くぞ!敵将ネルを討ち取れ!」
 そしてメイコは愛馬の腹を思いっきり蹴った。力強く地を蹴った愛馬が、風の様なスピードで東へと向かって駈け出した。その後ろを、数百の騎士団が遅れまいとついて来る。一斉に地を蹴る馬の蹄の音を聴きながら、否が応でも神経が研ぎ澄まされてゆく感覚をメイコは味わった。
 
 「火をかけろ!遠慮するな!」
 逃げ惑う黄の国の兵士を背中から槍で刺し殺したネルはそう叫ぶと、槍を振り上げてもう一人の兵士の頭蓋を真上から叩き割った。ガマガエルが鳴くような辞世の句を残したその兵士には目もくれず、ネルはひたすらに駆けた。愛馬も今晩はご機嫌らしい、と正に自身の脚の代わりとなって働く愛馬の体温を感じながら、ネルはもう一つ巨大な火柱が立ちあがった事を確認した。今緑の国が使用している兵器は火炎瓶である。ガラス瓶を油で満たし、一切れの布を瓶の開閉部に詰めるだけで完成する簡易焼夷弾であった。開閉部から延びる布に火をつけ、そして投げる。投げた衝撃でガラス瓶が砕け、中の油が炎上して被害を出すという兵器であった。他に、炸裂弾も使用している。陶器製の丸い入れ物に火薬と硫黄、そして鉄片を詰め込んだその兵器は爆発時に強力な音響効果を狙うことが出来ると同時に、爆発と同時に鉄片が四散する為に近くにいる兵士を薙ぎ倒すことが出来る兵器であった。黄の国の混乱を拡大させるには恐怖を煽ることが一番だと判断したネルは火炎を効果的に使用したのである。おかげで、今の黄の国の軍は組織的な反撃が全く出来ていない状態だ。このまま槍を振るい続けていれば勝てる、とネルが考えた時、西から一千騎余りの騎兵が突撃して来る姿がネルの目に映った。全員が血の様に赤い鎧を装着している。赤騎士団が来たか、とネルは判断し、槍をしごく。あの部隊を倒すことが出来れば、緑の国は大きく勝利に前進するのである。

 ネルが槍をしごいた瞬間、正反対の立場から戦場を眺めていたメイコはあれか、と判断した。先頭にいる、輝くような金髪をサイドテールにした女性。一度見たら忘れられないその姿を見てネルだと判断したメイコはもう一度愛馬の腹を蹴った。愛馬が地を蹴る音がより大きくなる。加速したことを感じながら、メイコは槍を両手に持って構えた。ネル殿の実力は噂でしか聞いたことが無いが、相当の腕前だと聞く。一撃で仕留められるような人物ではないだろうな、と思いながらメイコはネルに向かって一直線に進路をとった。ネルもメイコの狙いに気が付いたらしい。メイコに合わせるように構えをとった。成程、隙のない構えだ。メイコがそう判断し、ネルの戦慣れした落ち着いた表情を確認できる距離にまで近付いた時、メイコは腹に力を入れ、そしてこう叫んだ。
 「敵軍大将ネル殿とお見受けする!私は赤騎士団隊長メイコ!一騎打ち願おう!」
 大将自ら戦闘行為に走る一騎打ちは本来ご法度とされている。万が一のことがあれば軍の統率が一瞬で失われ、部隊全体が壊滅の危機にさらされるからだ。しかし、今のメイコにはその様な思考を持つ術が無かった。単純な理由である。
 戦ってみたい。
 強い者を無自覚に求める、騎士としての本能を優先させた結果であった。隣を走るアレクが僅かに表情を困惑させたことがメイコの目の端、僅かに投影されたが、アレクも反対するつもりは無いらしい。逆に、メイコに代わって軍の統率を引き継ぐように進路を変えると、未だに無防備な黄の国の兵士達を嬲り殺しにしている緑騎士団へ向かって突撃を開始した。これで安心して戦える、とメイコが僅かに微笑んだ時、ネルがこう叫んだ。
 「いかにも、私は緑騎士団隊長ネル!謹んでお相手申し上げよう!」
 どうやら私と似た性格の持ち主らしい、と考えたメイコは容赦なく槍を突き出した。その槍をネルは槍の穂先で抑える。そしてネルは槍の先端を僅かに回転させると、逆にメイコに向かう最短距離で槍を繰り出した。飢えた獣の様なネルの攻撃をメイコは槍の中心で抑える。重い金属の衝突音がメイコの耳を傷めつけた。成程、確かに腕が立つようだ。最も、このくらい実力が無いと面白くはないが。
 メイコはそう考え、そして槍を振るった。激しく、そして果てのない打ち合いが始まった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン30 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「とうとう第三十弾突入です!」
満「なんだか未踏の地に辿り着いた心境だな。」
みのり「本当だよね。」
満「で、今回はネルが使った兵器について解説を入れないといけない。」
みのり「えっと、火炎瓶と炸裂弾ね。」
満「そう。まずは火炎瓶から。実はこの兵器、本来ならこの時代には無いものだ。」
みのり「そうなの?」
満「ああ。本来は第二次世界大戦の直前、対戦車兵器として開発されたものなんだ。当時の荒い作りをした戦車には有効な兵器だったらしい。」
みのり「そうなのね。わざわざ登場させなくてもいいのに・・。」
満「火をつける道具で一番イメージが湧きやすいだろうと勝手に考えた結果だ。作成も簡単だしな。」
みのり「誰でも作れそうだよね。でも、皆さんは作らないでくださいね?危険だし、それに犯罪になるので・・。」
満「面白半分で人を殺傷する道具を作る人間もいるからな。」
みのり「絶対やめてね!で、炸裂弾だけど。」
満「これは元寇時に元軍が日本軍に向かって使用した『てつはう』をイメージしている。教科書には音響効果だけを狙ったものとして記載されることが多いが、実際はそれなりの殺傷能力を誇っていたらしい。炸裂弾の原始的なバージョンだと考えてくれたらいいかな?形状はボン○ーマンとかが使用している、いわゆる漫画やゲームの爆弾(黒くて、頭から着火用の縄が伸びているやつ)をイメージしてくれればいいと思う。」
みのり「成程ね。それじゃあ、続きは次回ね。」
満「そろそろレイジも眠いらしいからな。」
みのり「ということで次回投稿は明日になります!ちょっと外出予定があるのでどれだけ投稿出来るか分からないけど、気長にお待ちくださいませ♪それではまた!」

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投稿日:2010/04/04 10:33:48

文字数:4,056文字

カテゴリ:小説

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