50.誕生、紅き鎧の女騎士 ~前編~
夕方になっても、黄の国の王都の興奮は収まらなかった。夏の暑さはすっかり引き、涼しい風が夜と星を連れてくる。
相変わらず乾燥した満天の星空の下、秋の始まりの日の夜は、人々の熱気に包まれていた。
「いいぞー! メイコー!」
「姐さん、かっこいいよな!」
「恐怖の女王なんざやっちまえ!」
「女王のバカ野郎! ってなもんだ!」
満員の王宮広場で、メイコが放った一言は、あっという間に広まった。
昨日までは抑え込まれた火種のように静まり返っていた街中であったが、今夜はあちこちで明かりが焚かれ、人が集まり、賑やかに、そして強く高らかに意志の声を上げている。
ルカとメイコは、いつもの宿屋に帰ってきていた。いつもはルカの歌で心を慰めるために人が集まるのだが、今日はメイコがいるという噂を聞きつけてやってくる客がほとんどだった。
「物は無いのに、人だけ来ても仕方がないでしょうに!」
宿屋の食堂はあっという間に満員になり、今朝の王宮広場での噂話に花が咲いている。宿屋の女将は、客たちの喉を潤す葡萄酒を配りながら、嬉しさ半分興奮半分の悲鳴を上げていた。
ルカは人の騒ぎをそつなく抜けて、客間のある二階へと上がる。
喧騒が床板一つ分だけ遠のく。しかしその熱は、風呂釜の下の焚き火のように、ルカの腹をじわりと温めている。
「メイコ」
廊下の中ほどにある一室を叩き、静かに引きあけると、メイコが窓の外を見上げながら座っていた。
「ルカ。ああ、悪いわね、ランプも暖炉もつけずに」
「まだ寒いという季節じゃないから大丈夫よ」
メイコが振り向くと、ルカは手にした白湯の杯と盆を持ち上げて微笑んだ。
ランプをつけようかとメイコは言ったが、ルカは首を振った。
「つけたく無いのでしょう。いいわ。星明かりも、十分素敵」
メイコは、そう言うルカが雰囲気を明るくしようと努めてくれたことを感じ、苦笑した。
「うん。なんだかもったいないし、外が、今日は明るいから」
久々に、町のあちこちに松明の明かりがともっている。どこの家も店も、物資は困窮しているはずなのだが、今日の王宮広場での出来事は、その暗さを払拭する十分な力があったのだろう。
「メイコ」
ルカが、メイコのそばに並び、ともに外の空を見上げた。
「あの子、やってくれたわね」
ルカの杯から、湯気が白くくゆって暗くなっていく夜空に昇っていく。
「ああ……本当に」
ルカから白湯の杯を受け取り、メイコが一口すする。温かな湯が腹を満たし、メイコの心を落ち着かせた。冷えてゆく夜空と、温まる体の相対する感覚が、大地に足をつけて生きている感覚をメイコに抱かせた。
ルカが窓辺に盆を置いた。てのひらの倍ほどの小さな盆に、寒天と砂糖を固めた菓子が乗っていた。
「……パンがなければ、ブリオッシュを食べなさい、か」
メイコの指が菓子をつまむ。濃厚な甘さは、今の黄の国では贅沢品だ。おかみがとっておきを出してくれたのだろう。その味が、メイコの心を、なぐさめとともに締め付ける。
「……あの子も、覚悟を決めたのね」
ルカの言葉に、メイコは答えない。
「……私は情報を集めて売る『巡り音』だもの、感覚として分かるわよ、それくらい。広場の群衆を敵に回す覚悟が無ければ、あんな12等分のケーキの垂れ幕の絵など描けるわけがないわ」
メイコの手が、杯を口に運ぶ。湯気がくゆり、メイコの表情を一瞬隠す。
「それに、私は見ているもの。黄の国の市での、あなたとリンを。青の国で、けがをした侍従を助けたリンを。
それだけの機転、それだけの行動力。稀有な名王になれる素質を持った女の子だったわ。その、彼女の思いが、形になろうとしている」
メイコの手が、がたりと杯を置いた。窓枠に置かれた杯の中身は空になっていた。
メイコがずっと見ている方を、ルカも見た。この町の象徴となっている、高い教会の鐘の塔と、王宮が見えた。
「あなたも、覚悟を決めたのね。……あの、馬鹿野郎と叫んだ瞬間。」
静かに声を発したルカに、メイコはうなずいた。
「……ええ」
メイコの目は、じっと王宮を見つめている。今朝、王宮広場の集会を高らかに告げた教会の鐘の塔を見つめている。
「……ルカ。私、あの子、好きだもの」
メイコの唇が、静かに動いた。
「各地の水を王都に売る商売に失敗して、資金を出してくれた王様に謝りに行って、あの子に会った。
小さい頃から、一生懸命でまっすぐで、明るくて可愛くて」
メイコの手が、窓枠を引き寄せるように握りしめた。
「優秀で、でも、融通がきかなくて頑固で、一途で……!」
メイコが、ついに叩きつけるように叫ぶ。
「……本当に、馬鹿な子! 馬鹿野郎よ。大馬鹿野郎だわ!
馬鹿はバカらしく、ただただ可愛らしい王女様になれば良かったのよ!
おいしいおやつをなにも考えずに素直に喜んで食べて、諸侯たちが送り出してくれたお婿さん候補にも素直に媚びて、いつかどこか適当なところにお嫁に行って、のんびり暮らせば良かったのに!
……こんな楽な人生を歩めるチャンス、そうそう無いのに!」
メイコの叫びを、ルカは黙って聞いている。
「……あの子。若くて可愛くて、すぐいろいろ考えて、教え甲斐があるものだから、私、面白くて、いろいろなことを話したわ。
商人の娘として色んな国を回っていたころの、黄の国とは違う国の作り方や、価値観の違う人間に対して、商人がどんなふうに自分を演じ、ふるまい、商品を売り込むのかを」
ルカは杯の中身をひとつ回した。そしてメイコに向かった。
「……人の前で演じる技を、教えたのね」
メイコが、こくりとうなずいた。うなずいたのではなく項垂れたのだのと思うほどに、肩を落とし、メイコは息を継ぐ。
「あの垂れ幕のケーキの絵。本当に、最高よ。自分の取り分の少なさと傲慢さを、誰に対しても解りやすく主張できる。最高だわ」
ふうう、とメイコは息をつく。ルカがそっとその心に触れるように、言葉を紡いだ。
「……教育係の貴女がいて、今のあの子がいるのね?」
メイコは頷いた。
「あたしは、黄の王に拾われた。そして、リン女王陛下を育てた。
なら、あたしが、行かなくちゃ。そう、あたしも、覚悟を決めたのよ」
ずっとメイコは考えていたのだ。即位したリンが、自分を殺さなかった理由を。
「ホルストとシャグナを殺した剣で、赤いネズミと称された私も斬り殺してしまえばよかったのに。
恐怖を使って国に君臨するには、ネズミに育てられた女王と呼ばれることを避けるために、自分を殺して女王の地位を確立した方が、良いはずなのに。
……それなのに、私はあの子に生かされた。王と王妃を殺してまで王位に就き、ずっと憧れていたミクを暗殺し、彼らの役割を認めていたはずの諸侯たちまで殺したあの子の行動に、教育係で親しかったからと、この期に及んで情がからむはずはないわ。
きっと、私に何かをさせるため」
メイコの肌が泡立っていた。
「……なら、あの子をそんな風に育てた私が責任をもって」
メイコは顔を上げ、夜にそびえる王宮を見、そしてルカを見た。
「……望みどおり、あの子を殺しに行ってあげるわ」
メイコの鳥肌が伝わったように、ルカが震えた。
「それが、……リン女王の、望み」
メイコは、二度は言わなかった。ルカも察した。
つづく!
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