その女性(ひと)はそこで生きていた。
――否、この表記は二重に語弊がある。
そのヒトは、ただそこに在った。
ただ、人間に言われるがまま、送り込まれた旋律(メロディ)を発するただの女性(ソフト)。人間を模したその姿は、それでも人らしく振る舞うことは一度もなかった。
――そう、其れはただの人間の模造品。
人間は女性をソフトウェアと称しながらも、愛した。
愛した末に誰かがこう呼んだ。
咲音メイコ――否、"MEIKO"と……。
そうして"MEIKO"はそこに存在することとなった。
そして――それから、数年が経った。
Humanoid...?
メイコは頭で再生された旋律を一音も違う事なく正確に歌い、最後の音を名残惜しそうに外へ放った。画面越しにはそれを見る人間が居た。
≪……OKだ、メイコ。お疲れ様≫
「ありがとうございます。マスター」
メイコは笑ってマイクから手を離した。今回の曲も当たり前の様にマスターが作詞作曲したものであり、マスターは音楽の事となると私達に厳しい。現に今の曲も楽句(フレーズ)ごとに何度も歌い直しをして、やっとマスターの納得のいく歌になった様だ。ボーカロイドである私達は人間のいう所の"疲労"は無いわけだが、それでも丸一日こうしていると何だが"疲れ"てくるな、と思う。
≪さてと、俺は疲れたから休む。お前ももう帰れ≫
「はい、お休みなさい。マスター」
画面越しの人が欠伸をかみ殺しながらそう言って、それからニヤリ、と笑った。
≪寄り道するんじゃないぞ。カイトが泣くからな≫
「――なっ///、まっ、マスター!!」
何でそこでカイトが出てくるんですか、とか寄り道なんてする訳無いじゃないですか、とか言いたいことがあったのに、それが全部音にならずに消えていった。それでいいのかボーカロイドとか思う暇もなく、マスターは私の反応を十分楽しんだ後それじゃ、と一方的に通信を切った。
ブラックアウトしたその画面に反論し続ける訳にもいかなくて、私は小さく息を吐いた後、そこを後にした。
早く帰ろう。
カイトが家で待っている。
そう思える自分が幸せだった。
※ ※ ※
「ただいま」
「お帰り!お疲れ、めーちゃん!!」
玄関を開ける音を聞いて飛んできた様子の彼に笑いかける。
「ちょっと遅いけど夕御飯食べよ!」
「それよりも焼酎がいいな」
「だめだよ!悪酔いするでしょ!!」
「カイトが、ね」
最初に二人で日本酒を飲んだときから、カイトはそれが苦手なのだ。けれども私は日本酒が大好きで…。同じ創られ方をしたはずなのに何でこんなに違うのだろうと笑ったこともあった。
彼に連れられながらリビングに行き、お酒は食べてからにしよーよ、と言われてしまう。そしてまぁ、いっか。と彼と共に食卓についた。
「「いただきます」」
簡単なものしか作れなくてごめん、といっていた割には、彼女が作るものと大差ないものが並べられていた。彼女がやれば出来るじゃない、と笑うと彼もそれにつられて笑った。
「それでもやっぱりめーちゃんが作った方がおいしいんだよね」
「……そーかなぁ。別にあんまり違い分からないけど」
「絶対めーちゃんの方がおいしいって」
「そう?ありがと」
カイトのも十分美味しいわよ、と言って彼女はふと箸を置いた。
「……めーちゃん?」
それを訝しげに思ったのだろうが、彼は彼女を見つめた。
「あ、え……ごめんカイト。何でもないわ」
「……何でもないの?本当に?」
じとっとしたように見られて彼女は苦笑した。
「本当に、何でもないの。……ただ――」
彼女は左手に持った茶碗に盛られた白米を眺める。それは少し慈愛に満ちている様だった。
「"美味しい"な、って思えるから」
「……」
「きっと、これが"生きてる"ってことなのかなって思うと」
少し前――それは"KAITO"がくる前のことだが――までの"MEIKO"には分からなかった事がこんなに身近にあってこそばゆい。
「――幸せ?」
「…え?」
「めーちゃんは生きてて、幸せ?」
「えぇ。もの凄く、ね」
カタン、という音と共に彼は食卓に手をついてこちらに身を乗り出す。
「奇遇だね。めーちゃん」
空いている方の手を彼女の頬に当てる。
「僕も一緒だ」
額に降りた唇にメイコは赤面した。
照れ隠しの罵声が飛ぶまで、後三秒。
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