私の弟兼恋人は、どうやら羞恥心がないらしい。
TPOを無視して好きだとか愛してるとか囁くし、妹たちの前でも平気で抱きつくし、おまけに甘えたで泣き虫で。
恥ずかしいからやめなさいと何度言っても治らないので、もうこれは病気だと思うことにして早数年。
…病状は、悪化の一途をたどっているような気がしなくもない。
「……」
「…いつまでそんな顔してんの、あんた」
「…だって…」
ぐす、と鼻をすすってカイトは抱えた鞄を握りしめる。
眉を下げて涙目になっている顔は、とても成人男性としてプログラムされたとは思えない。
「だって3日もめーちゃんの顔が見れないんだよ?拷問だよ…」
「…仕事なんだから仕方ないでしょ」
「……」
そう言うと、カイトは捨てられた子犬のような目で私を見上げた。靴は履いている。玄関のドアももう開けてある。
あとは本人が動くだけだというのに、ちっともその気配がなくて、思わずため息をついてしまう。
「…あのね、カイト」
「……」
「仕事はちゃんとやりなさい。私たちはボーカロイドでしょう?」
「…う…」
「歌うのが仕事で、誇りなの。…妹弟にそんな姿を見せたいの?」
「…ううん…ごめんなさい…」
しゅん、とうなだれるカイト。少しキツかっただろうかと不安になったけれど、玄関に置いた時計はもうすでに出発時間よりも5分経過したことを示している。
「…ほら、もう行きなさい。遅刻しちゃう」
「うん…いってきます…」
肩を落としたまま、彼はとぼとぼと歩きだす。玄関の向こうに消えていく背中に元気がなくて、またため息が出てしまった。
泊まり込みでのレコーディングが決まった時、たかだか数日でどうしてここまでと思うほどカイトの駄々のこねっぷりは凄かった。
「どうして泊まり込むんですか」「通いじゃだめなんですか」と執拗にマスターに迫り、とうとう「しつけぇなこの野郎」とキレられ。
…その結果2日間の予定だったレコーディングは何故か更に1日伸びた。「絶対嫌がらせだ」とめそめそするカイトをなだめてすかして、ようやく今に至るわけなんだけど。
「おはよう、おねえちゃん」
「おはようミク。よく眠れた?」
眠い目をこすりながらリビングに入ってきたのは上の妹。明け方までPV撮影をしていて帰って来たのは明け方だったが、元々規則正しい生活をしているせいか、もう目が覚めてしまったらしい。
「うん。おにいちゃんはもう行っちゃった?」
「ようやくね」
肩を竦めると、ミクがお疲れ様でしたと微笑む。
「おにいちゃん、寂しがりやさんだからね」
「そんな可愛いもんじゃないと思うけど…あ、そろそろご飯できるから、双子起こしてきてくれる?」
「うん、分かった。…あれ、おねえちゃん、オムレツ2つ食べるの?」
「え?」
キッチンに立つ私の手元を覗き込みながら、ミクがオムレツの数を数える。いち、に、さん…と細い指先がカウントするオムレツは確かに5個。ついクセで、いつもの人数分を作ってしまったらしく、よく見るとトーストもベーコンも牛乳を注ごうと思って出したコップも5人分だった。
「…間違えちゃった」
「おにいちゃんの分?」
くすくすと笑うミクに反論が出来なくて、私は赤くなりそうな頬を隠した。
…何をやってるのかしら、私は。
その日の家事は、怖いくらい順調に進んだ。
洗濯や料理、普段の掃除だけでなく、お風呂やトイレやキッチン周りまでピカピカにして、リンには「誰かお客さんでも来るの?」と首を傾げられた。
夜、お風呂上がりの頭をタオルで拭きながら携帯電話を開く。
着信履歴、メール受信、共になし。カイトのことだから絶対に連絡が来ると思っていたのに。
(どうしたのだろう。仕事がまだ押しているのだろうか。それとも疲れて寝てしまったのか。あるいはなにかトラブルがあって)
そこまで考えて、考えることと携帯電話を放棄した。たかだか数日の不在だ。わざわざ電話をしてこない可能性だってある。
「…ばかみたい」
あえて口に出してみる。本当にばかみたいだと思い切って毛布を引き被った。もう2時だ。早く寝ないと明日に響く。
いつも通り左半身を下に横を向き、右手が無意識に何かを探してさまよって――だから違うってと自分を戒めた。
**********************************************************************************
「ねぇカイト、晩ご飯なにがいい?」
「…カイト兄じゃなくて悪いんだけど、ハンバーグ」
「ご、ごめんレン」
ソファに寝転ぶ下の弟に冷静に答えられ、顔が熱くなった。
…どうも昨日から調子が出ない。起きた時も隣にカイトがいないのはトイレか何かに行っているのだと思ってうとうとしているうちに二度寝をしてしまい、気が付いたら11時を回っていた。
ずっと一緒に居すぎたせいか、あいつが近くにいないことに慣れない。その事実が気恥ずかしくて、読んでいた雑誌に顔を埋めた。
「そういえば、朝方カイト兄から連絡あったよ」
「え、ほんと?」
私の携帯電話に着信はなかった。ということは、家の電話の方だろうか。そう思ってちらりと家の電話に視線をやると、レンが私の考えを読んだように続ける。
「俺の携帯にメールが来てた。スケジュールがだいぶ押してるみたいで、明日帰るの遅くなるかもって」
メール。レンにだけ。私の方にはなにも言って来ないのに。
そう思うと、もやもやとした塊が胸の中に影を落とす。思わずトゲのあるため息が漏れた。
「…心配しなくても、メイコ姉会いたさにすぐ帰ってくると思うけど」
「別に心配なんかしてないわ」
「…ならいいけど。…ところで、さっきからお湯沸いてる」
「え?」
指摘されキッチンを振り返った瞬間、コーヒー用に沸かしていたやかんからお湯が溢れた。
慌てて駆け寄り火を止めようとした時、うっかりお湯を被り、指先を火傷して。その後、レンに呆れながら包帯を巻かれた。
ついでに夕食時にも玉葱が目にしみて思わず手が滑り指を切るという失態を演じ、…なんだかもう踏んだり蹴ったりだ。
電話の音に気が付いたのは洗い物の最中だった。
水音に紛れた電子音に気が付いて、慌てて手を拭って受話器を持ち上げる。もしもし、と勢い込んで話すと、聞き覚えのある低音が耳に響いた。
『もしもし、メイコか?』
「…マスター。どうかしました?」
カイトではなかった。息を整え、普段どおりを装って言葉を返す。こんな気持ち、気付かれるわけにはいかない。
『カイトから連絡行ってると思うけど、ちょっとスケジュールが押してんだ。明日はレンのコーラスを録る予定だったんだけど、ちょっと間に合いそうもないから延期するってレンに伝えといてくれ』
「…わかりました」
厳密に言えば、私のところに連絡は来ていない。けれど、そんなことをマスターに言ったって仕方ないので、手短に了解を返した。
「押してるっていうのは…カイト調子悪いんですか?」
『いや、どっちかっていうとその逆』
「逆?」
『すごく調子がいいんだ。本人もすごく今モチベーションが高いから、ついでにカップリングも録っちまうかって話になって』
「……」
『次からあいつだけレコーディングは泊まりでもいいかもしれないな』
「…そう、ですか」
はは、と冗談っぽく笑うマスターに、上手に笑顔が返せない。
あんなに嫌がってたくせに。
あんなに寂しがって、「めーちゃんと離れたくない」と散々泣きついてきたくせに。
…随分充実した仕事をしてるみたいじゃない。
包帯と絆創膏を巻かれた自分の指を見下ろす。
裏切られたような、お門違いな感情。
きっと自分は今ひどい顔をしているだろう。
その後、自分がなんと言って電話を切ったか、はっきりとは覚えていない。
********************************
かちゃん、と控えめに扉が開く音がした。
時刻は23時55分。
出かける前に帰ると言っていた時間よりも6時間以上遅い帰宅だ。もちろん、そんな連絡は私のところには来ていない。
廊下を進む足音がリビングの前で止まる。リビングの電気はつけているから誰かがいることに気が付いたのだろう。おそるおそる扉が開いて、息を呑む声がする。
「…おかえり」
「た、ただいま…」
ああ、カイトの声だ。簡単に持っていかれそうになる心を堪えて、私は俯く。
ソファに座る背中で彼の声を受けるが振り返ることが出来ない。顔を見て、ちゃんと労いの言葉をかけてあげられるか自信がなかった。
「ま、まだ起きてたんだ」
「…うん」
「……」
「……」
「め、めーちゃん、怒ってる?」
「…別に」
相変わらず可愛くない答え。「別に」なんて、怒ってると思われるに決まってるのに、上手に笑うことも出来ない。
「…随分、うまくいったみたいね」
「…え?」
「レコーディング。…マスターから電話が来たわ」
「…ああ、うん」
肯定。
なんてことない同意の返事に、頭のどこかが大きく軋む。
ああやっぱり。きっとその方がいいのだ。
「…次からは、カイトの仕事は全部泊まりでもいいんじゃない?」
「…どういう意味?」
ずきんと心の奥を、針で刺されるような感覚。
「うちに帰ってくるよりずっと、いい歌が歌えるみたいだから」
「……」
自分の言葉が毒をもって、じわじわと自由を奪っていくような気がした。
「マスターも喜んでたし、そうしてもらいなさいよ」
「……」
そうだ。マスターも喜んでいた。
満足のいく作品が出来れば、カイトの評判は更に高くなる。
家族から、…私から離れた方が、彼の仕事のためになる。その方がきっと――。
「めーちゃん」
ふわり、と彼の声が耳元に降って来る。
やや遅れて、背中からぎゅっと体を包む優しい抱擁。いつの間にか、私は彼の腕の中にいる。
カイトの香り。カイトの温度。たった3日なのに、ずっとずっと感じていなかったような気がする。
「ねぇ、ご褒美ちょうだい」
「…え?」
「俺、頑張ったよ。めーちゃんに喜んでもらえるように」
「……」
「だから、ね。ご褒美」
「……」
「…くれないなら、勝手にもらっちゃうけど、いい?」
くい、と顎を持ち上げられ、彼の深い青と目が合ったと思った、一瞬のあと。
寄せられた唇が重なり、甘い衝撃が体中に走った。
「…ああ、やっと顔が見れた」
「……」
「ただいま、めーちゃん。会いたかった」
「……」
「…めーちゃんは?俺に、会いたくなかった?」
「……」
覗き込まれた目が優しくて、堪えていた涙が零れる。
瞳も揺れる髪も、体も腕も指先も、カイトを象るすべてのものが、目の前にある。
ああ、カイトだ。
会いたくなかった。
――わけ、ないじゃない。
「…たかった」
「…ん?」
「会いたかったに…決まってるじゃないっ…」
「…うん」
「会いたかったわよっ…このばかぁっ…」
「うん」
頭を撫でられ、涙と同時に堰が切れた言葉が次々と溢れる。
ああ、もう、こんな。情けない。
あんなに偉そうなことを言って送り出したのに。結局、カイトがいないとダメになったのは私の方で。
向けられる優しい眼差し。その青の奥には、ぐちゃぐちゃの顔をした私。それを見たくなくて広い胸に顔を埋めると、満足そうにカイトが微笑んだ。
「俺、さ」
「……」
「…『歌うのが仕事で、誇り』ってめーちゃんに言われて、目が覚めたんだ」
「……」
「いつもめーちゃんに甘えて、かっこ悪いって」
「……」
「だから今回は、最高にいい仕事して、めーちゃんに褒めてもらおうって」
「……」
「俺、頑張ったよ。めーちゃんがああ言ってくれたから、頑張れたんだ」
「……」
「…めーちゃんの声聞いちゃったら、会いたくなっちゃうから、我慢した。…連絡できなくてごめんね」
めーちゃん、と優しく耳元で囁かれると、体中が熱くなる。
大きな掌が私の指先をそっと包み、体中から温度が、気持ちが伝わる。
「…今回の俺の曲、どんな曲か話したっけ?」
「…ううん」
「ラブソングだよ。世界中で一番大切な人に向けた、愛の歌」
「……」
「めーちゃんのこと、想いながら歌った」
「……」
「…出来上がったら、真っ先にめーちゃんに聞かせるね」
私の弟兼恋人は、どうやら羞恥心がないらしい。
TPOを無視して好きだとか愛してるとか囁くし、妹たちの前でも平気で抱きつくし、おまけに甘えたで泣き虫。
恥ずかしいからやめなさいと何度言っても治らないので、もうこれは病気だと思うことにして早数年。
…病状は、悪化の一途をたどっているような気がしなくもないけれど。
…残念ながら、私も、同じ病に罹っているようだ。
「ただいま、めーちゃん」
「…おかえりなさい、カイト」
――会いたかった、と声が重なり、私たちはどちらからともなく微笑んだ。
【カイメイ】2355
おめでとう、平成23年5月5日、にいさんめいめいの日!!
めいめいの日だし、メイトさんを書いてみたかった…ということで、内容がまったく同じ
カイト×メイコ
メイト×カイコ
のお話です。
カイメイは性転換してもカイメイだと思っていますキリッ
めーくん大好き鉄砲娘と常識人苦労症のあんちゃんだと私得
いつも以上に文章にまとまりがないのは風邪引いて熱があるからですよとか言って先に土下座しておきます申し訳ございません!!
Happy 2355!!
コメント2
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ご意見・ご感想
目白皐月
ご意見・ご感想
初めまして、こんにちは。
お話読ませていただきました。ラブ度高めでいいですね。カイト×メイコもメイト×カイコも、どっちもとても可愛いかったです。メイトとカイコのお話も、もっと読んでみたいなと思ってしまいました。
2011/05/06 23:31:56
キョン子
>マーブリング様
ようこそおいでくださいました!つ【座布団】
あったかいなんて…ハワワ;ω; 恐れ入りますありがとうございます!どっちのカイメイもこんな風にお互い大切だったらいいなと思いますv
>侑凪さま
ツイートありがとうございます!
>目白皐月様
はじめまして、コメントありがとうございます!
初書きメイト君は意外と自分でも気に入ったので、また機会があれば書いてみたいですv
これからもラブ度高めで頑張ります!また読んでやってください!
2011/05/08 00:25:31
マーブリング
ご意見・ご感想
なんて2355!これはニヤニヤするしかないですね\(//∇//)キョン子さんのお話は、いつもあったかいです。またすてきなカイメイを読ませていただき、ありがとうございます(o^^o)
2011/05/06 01:39:32
キョン子
>マーブリング様
ようこそおいでくださいました!つ【座布団】
あったかいなんて…ハワワ;ω; 恐れ入りますありがとうございます!どっちのカイメイもこんな風にお互い大切だったらいいなと思いますv
>侑凪さま
ツイートありがとうございます!
>目白皐月様
はじめまして、コメントありがとうございます!
初書きメイト君は意外と自分でも気に入ったので、また機会があれば書いてみたいですv
これからもラブ度高めで頑張ります!また読んでやってください!
2011/05/08 00:25:31