そのパッドの発明は人類にとって革新的な一歩となった。
 と言ってもそれは何もお胸に当てるパッドのことじゃない。確かにある意味では革新的な一歩なのだろうが、お胸のサイズを気にする女性だけにしか需要がないのなら、わざわざ人類にとって……などと大仰な物言いをする必要はなかっただろう。
 つまり何が言いたいかというと、もう世間では言わずと知れたアイテム、ウェーブパッドの話だ。
 商品名、ウェーブパッド。
 こめかみの辺りにそのパッドを貼り付けることで、キーボードやマウス、タッチパネルすらも必要としなくなるという実に画期的な操作端末なのである。
 操作は簡単。行いたい動作をイメージするだけでいい。音声認識なんかも必要ない。考えればそれだけでその操作が端末上で再現される。
 ウェーブパッドが脳波を読み取り、思考を操作へ変換しているのだ。
 これなら、右手も左手もフリーな状態で端末を操作できる。これを革新的、躍進的と言わずに何と呼ぶだろうか。
 これは経済にすら大いに影響を与えた。
 なぜなら利便性のみならず、手足の不自由な障害者でもPC端末の操作を可能にさせ、ウェーブパッドは爆発的に売れた。そしてその勢いはすぐに世界へ波及することになる。
 無論、俺もその話を聞いたとき、当時まだ入手困難だったそのウェーブパッドをすぐさま購入したものだ。それが何故だか分かるだろうか。
 もちろん俺は障害者ではない。健常者だ。ブラインドタッチもフリック入力も得意だ。だが、俺にはこれが必要だった。何故だか分かるだろうか。
 答えは簡単だ。俺と同じく男に生まれたならば、皆すぐに分かったことだろう。誰もが同じ回答へ帰結する。せざるを得ないという話だ。

 自慰である。

 男にとって、いやここでは語弊があるかもしれないから言い換えておく。自慰を愛する全ての人間が、悩み苦しんでいる事情があるのだ。
 その事情とは、端末操作の煩わしさにある。
 基本彼らは右手での操作ができない。右手はすでに塞がっているからである。
 ならば、端末操作は左手で行うしかない。もっとも、中には行為を左手で行い、操作は右手で……という剛の者もいるだろうし、利き腕の関係でその辺は左右反転しているケースなど、色々あるだろうがここでは端折らせて頂く。
 とにかく、煩わしいのである。これには一切の疑念を挟む余地はない。
 テキスト送りにしろ、再生ボタンにしろ、頻繁に操作が必要となる。自分のペースで行為を進めるためには、どこかで手綱を握る必要があるわけだ。
 それが操作に集約される。
 つまり左手である。
 右手こそが要である、という考え方はまだまだ自慰の何たるかを理解していない人間の、いわば妄言に過ぎない。
 その本質は左手だ。考えても見て欲しい。
 その右腕の原動力とは何だ? そのグラインドの源とは何だ? そのリビドーの根源とは何だ?
 即ちそれこそが、俺たちの求める夢であり、希望であり、またの名をオカズというものなのだ。
 俺たちはそのために生きている。そのために呼吸している。俺たちの肉体はそのために作られたものなのだ。
 ゆえに俺たちは諦めない。その道を進み続ける。その道を極め続ける。
 そこにどんな茨が待ち受けていようとも、歩み出すことを忘れはしない。
 その意志の体現とでも言うべきものがウェーブパッドなのである。

 さらに驚くべきことに、このウェーブパッドにはもう一つの可能性がある。
 本来、ウェーブパッドは脳からの信号の受信機であり、PC端末への送信機なのだが、これらの情報データは相互通信が可能らしい。
 つまり端末からの出力、脳への入力も行えるということだ。
 それがどういうことかと言えば、例えば、乳房の柔らかさだとか。例えば、局部の締め付けだとか。例えば舌先のぬめりだとか。
 そんなものを脳内で再現できてしまうというのだ!
 SF世界で言うところのバーチャルダイブみたいなものだ。
 夢でしかなかった、あのバーチャルリアリティが現実のものとなるのだ。
 これには全人類が沸いた。
 そしてそんな夢の技術に誰もが憧れた。
 しかし残念ながら、完全なるダイブ経験には至れていない。
 今の世界の技術力では、視覚情報、音声情報の再現くらいしか出来ていないのだ。
 いまだ完全には実現できていないが、ダイブ技術は今、大いに注目されている技術なのである。

 斯くして俺はその人類の英知の結晶であるウェーブパッドを使用しての自慰に勤しんでいた訳である。
 ディスプレイ越しではなく、視覚情報として直接脳内に展開される百合の園。ヘッドホン越しでないリアルな吐息。
 俺は濃密な時間を過ごしていた。
 俺はこの時代に生まれてきて、本当に良かった。
 俺は幸せを噛み締めながら、右腕を上下にグラインドさせていた。
 ああ、凄い。素晴らしきかな二次元。そろそろ……、来る……ッ!
 そんな俺の視界の端では、デジタル時計が刻々と針を進めていて、俺が目を向けたまさにその瞬間に時刻が0時00分を刻んだ。

 その時だった――。

 急に俺の意識が引っ張られ、暗い黒い世界へと放り出されたのだ。
 こんな絶頂感、聞いたこともない!! ……なんて考えたのは一瞬だ。
 俺はすぐにその感覚の正体に感づいた。
 俺の意識はウェーブパッドから端末へと飛ばされてしまったのだ。
 ダイブ現象。
 ウェーブパッドを使った弊害として広く認知されていて、かつそれを意識的に起こす技術も見つかっている。
 俺の意識はウェーブパッドに向かいすぎてしまい、現実を認識できなくなった状態なのだ。
 ウェーブパッドの起こす擬似的な感覚情報が強すぎて、そちらを現実であると脳が錯覚してしまった。
 そういう強いショックを与えればソフトウェア側でも同じ現象を起こせるとかなんとか。
 実際そういうダイブ技術を利用したゲームも着手されていると聞いたこともある。
 まぁとにかく俺は、電脳空間に飛び込んでしまったわけだ。
 この程度で済む話なら、それは笑い話にもならないような、取るに足らない日常風景の一つでしかないだろう。
 だが、俺を取り巻く状況はそれどころではなかったのだ。
『マスター! マスター! 聞こえますか!? 私と契約して《調声技師(アセンブラー)》になってくださいっ!』
 そんな声が聞こえてきたので、たまらず俺はこう思った。
 全くお前は、どこのインキュベーターだよ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

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投稿日:2013/03/11 18:01:32

文字数:2,668文字

カテゴリ:小説

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