7. 船の上で
それでも表向きは政務だ。断ることは出来ぬ。
リンは、青の国へと送り出された。
青の国へは港まで馬を使い7日ほど進み、船に乗る。港は、緑の国が使用している湾の隣の入り江だ。
緑の国のものほど穏やかではないが、それでも海に面しているだけよいというものだ。
さまざまな国から来た貿易の船と、はためく旗を見て、リンは思い切り潮風を吸い込む。
「緑の国のミク様は、いつもこんな景色を見ていらっしゃるのね。うらやましいわ」
緑の国の湾はすぐ隣だ。あこがれの人の近くに来ていると思うと、少しはリンの心も晴れた。
海に出たなら船で20日の旅になる。
「初夏のこの時期は気候も安定し、嵐の心配もありません」
留守を預かるホルスト卿は、ゆったりと笑ってリンを筆頭にした大使一行を送り出した。
国を預かる見送りの者と、旅立つ者が、花に飾られた桟橋の上で対峙する。旅立つものは、王女のリン、補佐官としてメイコ、側仕えのレン、そして護衛のものが数名という組み合わせだ。
「メイコどのは経験が豊富ゆえ、あちらの国の文化にもお詳しい。王女さまをお守りするのにこれほど心強い方はおりませんでしょう」
メイコはその言葉に、無言できっちりと礼を返した。
横で見ていた王女の世話つきのレンはひやりと息を飲む。
* *
「……言い返してやればよろしいのに」
進みだした船の上でレンはメイコに告げると、メイコはふふ、と笑った。
「言い返してやりたいわよ。『普段赤いねずみと呼ばれるようなわたくし奴にそのような大役をおおせつかり、本当にホルスト様のご慧眼には感服いたしまする』って、ね。
他に誰もいなければの話だけれど。
あんな大勢いるところでそんなことを言ったら、王宮の品位が落ちてしまうわ。そしておそらく私はクビね。
そのあたり、ホルストは頭の切れる奴よ……目の上のコブは全力で排除する。いっそすがすがしくて尊敬するわ」
「ホルスト卿にコブ扱いされること自体、メイコさんの歳ではすごいことだと思います。僕がメイコさんの歳に追いついたとき、同じことはきっと出来ないでしょう」
平民であり、辺境の生まれであるメイコが王宮の深部にいることで、メイコは貴族たちにずいぶんと陰口を叩かれた。
「どんな土地にでも行き、どんな土地にでも住み、王宮にすらもぐりこむ。
さすが、ユドルの赤いねずみは生命力が違いますこと」
「どんな手段をつかったのかしらねぇ。それこそ、水商売?」
地方の水を都市へ売っていたメイコにとっては、強烈に人格を否定する陰口だ。
それでも、メイコは負けなかった。王からあずかった子供達を、持てる知識と技を尽くして、一生懸命育て上げたのだ。
「ま、言い返せたら格好いいんだけど、私、悪口って嫌いなのよね。本当は皮肉も大嫌い。言うのも、言われるのも」
レンは、思わず笑ってしまう。
「いつもかっこいいな。メイコさんは」
「いいえ。あなた達には本当に申し訳ないわ。……地位のない教育係で、本当にごめんなさい」
と、レンが口に手をあてた。
「あなた『たち』ではありませんって!」
あっ、とメイコがあたりに視線を走らせる。
風と波の援護を受けて船は快走しており、ふたりの会話を聞いたものはなさそうだ。
「そうね。レンは、……私と同じ、リンを守る側よね」
それも、いつまで続くだろうと、メイコは頭の中で悩む。
恩のある王様との約束だ。せめて成人するまで出来る限り、リンを支えてやりたいが、
「……あのホルスト卿や貴族たちの様子では、早く手を打つことが必要なのかもしれない」
リンを守ること。そのためには、平民であるメイコが、並み居る貴族に匹敵する力を持つことが必要だ。手っ取り早いのが金の力だとメイコは思う。しかしそのためには、まだ、上手い考えが思いつかない。
「そういえば、リンは?」
悩み始めたメイコに、レンは声をかける。
船室にいるのだろうか。
と、がちゃりと船室からのハッチが開いて、リンが白衣の船医とともに甲板へ出てきた。
「さ、リン殿。風にあたれば少しは気分がよくなろうというもの」
「ありがとう……ええと」
「ガク、と呼ばれております」
メイコとレンが目をまるくするのを認め、リンが顔をあげた。
そして、笑った。
と、いきなり二人の間へ突進してきた。
「え、ちょっと……!」
「危ない!落ちる落ちる!」
瞬間大きく船が傾き、レンがとっさにリンの体を抱きしめて掴む。
「うっ……」
リンは、船べりをつかんだ。
「な、リン様!ど、どうしていきなり……、危ないですよ!!」
それにはリンは答えず、ただ無言で、海へと吐いた。
青い顔で、ぜいぜいと荒い息をこぼす。
「……大丈夫よ、レン」
けなげに、リンは笑った。
「わたくし、ガク殿の書物で読みましたの。
船酔いは……続いて三日だと」
メイコが、キッと船医をにらんだ。
その船医は先ほどの揺れで無様に床に転がっていた。
「あなた! この揺れの中で王女に本を読ませたの!」
床にうつぶせに倒れた船医を、色の濃い長い髪を掴んで引き起こすあたり、メイコの怒りが見て取れる。
「……船酔いにかかった王女さまが、私の部屋にいらして……
是非にも読ませろと」
「医者の意地にかけて止めなさい!」
「それはもう凄い迫力でッ!」
責めるメイコ。悲鳴を上げる船医。
船べりを掴んで海に挑む王女と、その王女が落ちないようにと必死に掴むレン。
だんだんと遠くなる黄の国の大地に、見送るかもめの姿もひとつ、またひとつと、リンに応援の声を投げて去ってゆく。
「……大丈夫よ、レン」
は、とレンが思わず声を上げる。
「……わたくしの幸せは、国と共にある。……これしき、つらいなどといっていられないわ」
「はぁ?!」
不適に微笑むリンに、一抹の不安を感じるレン。
「どう考えても大丈夫な発言ではないですよ!」
「これから辛いことは山ほどあるわッ!あなたも知っているでしょう?!これまでもっ、これからもッ!! あたしはっ!国という船の舵をとるのよ!! 本物の船くらい、ぜんっぜん平気……」
と、大きく船が傾く。
「王女さまッ!」
ふわり、とリンの体が浮いた。
レンの手が空を切る。
ひやり、と、レンの意識を白い風が吹き抜けた。
と、力強い腕が背後から伸びて、リンとレンをつかんだ。
「……やるじゃない、医者」
へたり込んだリンを、メイコが抱き取り、レンは医者に引き戻され、ほっと息をつく。
「あと……」
リンの唇が、ふわりと笑みの形を作った。
「あと、69時間……」
「水! 水を貰ってきます!! メイコさん!リンを離さないでくださいね!」
王女の笑顔は、僕の笑顔だ。
レンはそうつぶやき、厨房に走る。
「何か違う気がするけど……すごく違う気がするけど……!」
「よーそろー!!」
水夫たちの声が響き、船は、力強く水を蹴立てて、まっすぐに進んでゆく。
将来、大国を担うはずの、真面目王女を乗せて。
青の国へと。
つづく。
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ご意見・ご感想
azur@低空飛行中
ご意見・ご感想
こんばんは。続きも一気に読ませていただきましたv
メイコさんの事情が面白かったです。水の商いとは!
意外な切り口から、少しずつ黄の国の全体の姿が見えてくるのが楽しいです。
リン王女様の懸命さや潔癖さが、何とも危うくて終始ハラハラ……。
しかも、メイコさんやレン君のように知識やメンタルで支えてくれる人はいても、実質的な権力を持った後ろ盾がないのが、もう……危うい、危うすぎる……!綱渡りを見てる気分で緊張します。
この先、青の国で何が起こるのか、ドキドキしつつお待ちします~。
2010/06/22 00:43:57
wanita
>azurさま☆
うわぁ☆おひさしぶりです!ようこそお越しくださいましたーーーー!!^^)
メッセージありがとうございます!
メイコの立場は、ほかの小説には無い設定にしたいなぁと思っていました。燃える心と真っ赤な夕焼けと生まれ故郷の乾燥地の苦しみ、という設定が浮かび、そこから水を売る商売に手をつけて、王の目に留まるきっかけとなる…という流れで、うちのめーちゃんは生まれてきました。
判断基準は理性的だけれども、最終的な決定が情に流されるがゆえに損をする、若さの残るお姉さんの心の戦いを、魅力的に書けたらいいなと思っています。
いやぁ……リンはこれからどう落としてくれようかと、書いているこちらも楽しんでいます。
どうぞお楽しみに!
そして、「一気に読ませていただきました」コメントに、とても励まされました!
よかった……一気に読んでもらえるようなものを作れているんだ……!と☆
自分の作品にはつい親バカになってしまいます^^;
2010/06/22 22:17:42
レイジ
ご意見・ご感想
読ませて頂きました☆
俺の作品と違って設定に忠実だ・・。
(なぜか陸続きの青の国orz)
危険なくらい、一直線で真面目なリンがどうなるやら今から不安です・・。
典型的な最近の若者みたいな・・。
続きを楽しみにしています☆
2010/06/18 23:41:04
wanita
いつもありがとうございます(^-^)/
そういえば、青の国の原曲設定は海のむこうでしたっけ。海路で余裕をもって20日、黄の港まで7日の時間差…うまく生かしたいです☆
それよりも驚いたのは、リンの性格が「典型的」だと言われたこと?( ̄口 ̄)
えっ…あれ、相当飛んでるつもりだったのに…まじですか。本当なら恐ぇ…
2010/06/19 07:34:48