46.革命の萌芽 ~前編~
黄の国の王都は、静まり返っていた。
いつもの夏の終わりのような、落ち着きのある静けさではない。人は居るのに扉の向こうで息をひそめているような、そんな不気味な静けさである。
とある宿の食堂で、『巡り音』のルカは歌っていた。日も暮れてから大分経ち、通りはすっかり静まり返っているにも関わらず、その食堂だけは人が絶えることはなかった。
曲が終わると、じっと見つめていた人々からぱらぱらと拍手が起こる。数人の客が席を立ち、入ってきた新たな客と静かに入れ替わる。卓の隙間を縫うようにして、この宿屋のおかみさんが客の注文を配って回る。
酒や料理を頼むものは居ない。注文が入るのは水にナツメや柑橘の汁を垂らした簡単な飲み物ばかりなのだが、その細々とした実入りが途絶えることは無かった。
「ルカちゃん。いつもありがとうねぇ」
「いいえ」
一刻ほど歌い続けたのち、ルカは手にした弦楽器を置き、しばしの休憩をとる。おかみさんが持ってきたナツメ水をくっと一口あおった。癖のある香りが鼻に抜け、ルカの思考は歌の世界から現実へと戻ってくる。
「こちらこそ、大変な時期に長逗留を許して頂いて助かります」
ルカが黄の国の王都へ来てからすでにひと月が過ぎようとしていた。ルカとしては、青の国の皇子の成人の儀で、この国の王女リンが活躍した歌を歌った後はいつものように次の町へと移る予定でいた。
ルカの商売は、『巡り音』と呼ばれる情報屋である。国や町の情勢を歌にして、その歌の持つ情報を売るのだ。ルカの心づもりとしては、黄の国で、可憐な王女であったリンの異国での活躍を歌い、たっぷりと稼ぐ予定であった。
ルカの歌をただの『歌』として受け取る一般人にとっても、『巡り音』としての商品である『情報』を買おうとする商人や貴族たちにとっても、自国の王女の活躍話はぜひとも欲しい『歌』であるに違いない。
そうして歌い、黄の王都の人々の反応を元に新しい歌を作り、次の町へ売りに行く。どちらにしろ、滅多にない位の楽しい仕事になるだろうなとルカは想像していた。
しかし、黄の国は、続く日照りのせいで想像以上に困窮しており、ルカの歌を買うものは少なかった。さらに、王女であったリンが黄の国に帰還してから、黄の国の情勢はめまぐるしく変わったのである。
「王と王妃が亡くなられ、リン王女が女王となった。そしてすぐに緑の国へ侵攻しこれを占領した。そして今、リン女王は黄の国へと戻ってきた……」
ルカはくるりと視線をめぐらせる。乾いた空気に、痩せた土のにおい。そして、かすかに、しかし確実にくすぶる黄の人々の不満の声。
さきほどルカの歌を聴きに来た客との雑談で仕入れた話によると、リン女王は緑の国を占領したのち、緑の民の心をなだめるため、侵攻で得た戦利品のほとんどを緑の前王ミクの葬儀に使ったそうである。
「これは、『巡り音』としては、腰を落ち着けて見届けた方がよさそうね。黄の国へは情報を『売り』に来たけど、これは『仕入れ』に頭を切り替えるべきかしらね」
緑の国へ兵士として出陣した者たちが、次々と王都へ戻ってきている。疲れ果てた表情で都の門をくぐり、乾いた砂の中でそこここに座り込む。戦装束のまま、街の小さな角に集まって気勢を上げている一団もある。
きっと、このままでは終わらない。
ルカの情報屋の勘がそう告げており、多少危険があってもこれから起こることを見届けたいという気持ちもあった。
「それに」
ルカは、食堂の隅に目をやった。ひとりの女が、卓に肘をついてうつむいていた。
メイコであった。リン自身に教育係を罷免されてからはやひと月。彼女は始終うつむいたまま、何も語ることはなかった。時折思い出したように、リンやレン、ホルストといった人の名を口にして涙を流すのみである。
「そろそろ、何があったのか話してほしいのにな……」
王宮広場を、心ここにあらずといった様子でふらついてきたのを拾ってきたのは、もちろん知り合いだからということもあったが、ルカとしては王宮からただならぬ様子で出てきたメイコから、なんらかの事情を聞くつもりであったのである。
しかし、メイコは頑として口を開かなかった。
「秘密を口止めされているというよりも、なにか辛いことがあった為だということは分かるから……無理に聞き出すというのも、出来そうにないのよね」
宿屋のおかみさんが、柑橘の果実水をメイコの卓に置く。
「リン……」
メイコの唇がわずかに動き、その眼から涙がひとつ流れ落ちた。
ルカはメイコの卓に向う。メイコの代わりに、おかみさんにありがとうと会釈した。
おかみさんが空の盆を携えてルカとすれ違う。
「おかみさん、ごめんね。いつもありがとう」
「ううん、いいのさ。ルカちゃんのおかげで、うちはまだ商売が出来る。あのメイコちゃんのことも、私はよく知っているよ。十年も経つかしらね、王都のたくさんの人たちが飲み水に困っていたときに、彼女が運んできてくれた水は、私ら街の人間の喉をずいぶんうるおした。だから、困ったときには助けてやりたいんだよ」
ルカは、あらためてメイコの過去の商売に対する、周囲への影響を思い知る。そして、現在の余裕のない黄の国の状況の中で、人への思いやりを失わずにいるおかみさんの人柄に感謝した。
「本当に、この宿を選んで良かったと思ったわ」
宿屋のおかみさんはルカの言葉に笑ってうなずき、ふと、壁際のメイコを振り向いた。
「まあ、ね。こんな情勢だからね、親しい人をなくして気を落とすのも分かるけど、」
メイコが静かに泣き始めるのを、周囲の客の数人が肩をすくめてこちらを見た。
「美人の憂い顔は魅力的だけど……少々、見飽きてきたかねぇ」
おかみさんの冗談に、客たちも苦笑する。冗談に乗ってメイコに何か言おうとした客には、そっとしておいてやれと手振りを送る。
苦笑したかれらに、ルカはしばし思案した。外からは何やら不穏な叫び声が聞こえる。誰かが何事かを叫んでいるようだが、それはすでに人の言葉ではなかった。何を誰かに伝えるわけでもない、ただ不満をぶつけるだけの暴力的な音声である。
「……そろそろ、時間切れ、かな」
ルカは、メイコの卓の前に立った。そして、近くの椅子をひきずり、メイコの正面にわざと乱暴に座った。
周囲の客が、歌い手とメイコの対峙に耳目を集中させるのを、歌を商売とするルカは敏感に嗅ぎ取った。
「おかみさん」
ルカが思い切り手をあげる。
「ヨ―リッカ、ふたつ! 水は別のカップでつけてね! 」
周囲の客がどよめいた。この店では久々に出る酒の注文であった。
しかもヨ―リッカは黄の国の薬草を焼酎でつけた強い酒である。
「だいじょうぶか? 水が酒より高いご時世だ、水がたんと欲しくなったって知らないぞ! 」
周囲の心配をよそに、ルカはおかみさんからその強い酒の杯を受け取った。
「メイコ」
ルカが杯を勧め、口を開こうとした瞬間、店の入り口で派手な音がした。
「何! 」
「ちょっと、あんたら……!」
おかみさんの声は激しいどなり声と続いた破砕音にかき消された。
「おらああ!」
「うらあああ!」
おかみさんは床に転んで倒れており、木戸から兵士の格好をした男数名が店に踏み込んできた。木の卓と椅子が蹴散らされ、壁に当たって派手な音が響く。十名ほど居た客が、腰を浮かせて店の奥へと逃げる。
「何をするの!」
立ち向かったのはルカであった。
「あんたたち、外で騒いでいた人たちでしょう!」
「だからどうしたァ!」
男が手近な椅子をがんと蹴り、その椅子がルカをかすめて飛んで行った。ルカの置いた楽器の、すぐとなりの卓が派手に倒れる。
「こんな状況で店を開けていられるなんて、ずいぶん余裕なもんだなあ、え?」
「緑の国まで行って、死ぬ気で働いてきたというのに、ちっとも稼ぎなどなかったかわいそうな俺たちに、ちょっと恵んでくれよ?」
ルカはぐっと構えなおす。
「あんたたち、国の兵士なの? こんなことして、恥ずかしくないの!」
その瞬間、押し込んできた男たちは、乾いた笑いを立てた。
「何をおっしゃる歌姫さん。俺たちは善良な一般市民です」
「この国の非常時にはせ参じて戦った、義勇あふれる英雄ですよ~?」
そう言いながら男たちは起き上がろうとしたおかみさんをつかみ起こす。
「はい、起きるの手伝ってあげるからね。親切にしてくれた人にはお礼を忘れないようにしようね……水と食いもんと金を出しな!」
その時、幽霊のように壁際に座っていたメイコに注意を配っているものはいなかった。
突然、甲高い破砕音が響いた。
「メイコ!」
ルカが振り向き、おかみさんが男に引き起こされた手を突然放されてせき込む。
メイコが椅子から立ち上がり、一歩ふみだした。割れた杯のかけらが砕かれパキリと高い音を立てた。
酒に漬けられた薬草の香りの立ち上る中、メイコが一歩、また一歩と男たちに近づいていく。
手には、もう一つの酒の杯があった。
つづく!
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