52.リンの本音、レンの告白
「これを着てお逃げなさい」
レンが自分の服を突然脱いで差し出したのを、リンは呆けたように見つめていた。
「レン。逃げるのは召使のあなたの方でしょう? あたしは女王ですもの、ちゃんと残って、王の政治の責任を取らないと」
「馬鹿野郎!」
ついにレンは怒鳴った。
「君は女王だ。なら逃げるのは君のほうだ。女王のあんたにこそ、生きてこの国を見届ける義務がある!」
そして、レンはふわりとリンを抱きしめた。その手が、リンのドレスの背で結ばれた帯にかかる。
「レン……」
「それとも、僕は前に、僕がただ守られるだけの黄の民ではない、血もその心も分けた本当の双子なんだと言った。
君は僕を抱きしめて、うなずいてくれただろう?
……あの言葉は……きみの中では、嘘だったのか?」
嘘という言葉に、案の定まじめなリンが硬直する。レンの予想に違わず動けなくなったリンのドレスを、レンは鮮やかに脱がせた。
レンは何度も着替えを手伝っている。お忍びで市に出かけるリンの身代わりとなり、何度もドレスを着ている。女性の服の扱いなど、お手のものだった。
そうして脱がせたドレスを、そのままレンは着こんだ。
町に出かけるリンの代わりに、身代わりとなって王宮に残ったとき。
リンになりすまして会談に挑み、ミクをこの手で刺したとき。
レンの脳裏を、さまざまな思い出がよぎった。
「……何をぼうっとしている! さっさと俺の服を着ろ!」
怒鳴られることに慣れていないリンは、とっさにレンの言葉に従ってしまう。
「で、でも、いくら双子だからって」
「大丈夫、絶対にわからないさ。……リンが黄の市に出かけて、おしのびでルカの歌を聞いてきたときだって、俺は完璧に演じたじゃないか」
レンはわざと明るい思い出を選んだ。
「違うわ!」
リンが叫んだ。
「あたしが女王なのよ! レン、越権行為だわ! 召使の分際で、女王に命令する気?
あたしが、許さないわ! レンが身代わりになるなんて……女王として、許さない!」
レンはリンの言葉を受けても黙々と着替え、帯を締め、ひとつに結えていた髪をほどいて整え始めた。
「違う……」
リンの声が、レンの背に向けられ響く。
「女王としてじゃない。あたしが、嫌なの。……レン。解かっている? 今の群衆に捕まったら、ただではすまされないわ。
……レンに何かあるのは、あたしが嫌なの!」
その時、レンが振り向いた。
リンの化粧台を使い、完璧に支度を整え、そこに居たのは、毅然と微笑む黄の女王リンの姿であった。
「リン」
レンがすっと近寄り、リンの体を抱きしめた。
「……俺は、リンが好きだ。素敵なミク様よりも、青の国で出会った初恋のハクさんよりも、誰よりも、リンが愛しいんだ」
リンの目から涙があふれ落ちた。
「リン。……どうか、笑って。
君の笑顔は、僕の笑顔。なら、リンの笑顔は?」
「……国とともにある」
「なら、生きるんだ」
はっと顔を上げた先に、レンが笑っていた。
鮮やかに、美しく。
自分は、こんな表情をしていたのか。そして、いつも、レンはこんな気持ちで、自分を見つめていたのか……?!
リンの心臓が握りつぶされるようにきしんだ。こんなに切ない思いを、自分はレンに強いていたのか……?!
「リン、」
レンがそっとリンの後ろに回り、レンの手がリンの頭に触れた。レンの手で、リンの髪が、そっとひとつに結ばれた。
「レン」
あ、と髪に手をやるリンに、レンはにっと力強く笑った。
振り返ったリンは、笑顔のレンを見た。
リンはそれを見て、強引に笑顔を作った。
レンのために。せめて、自分ができることを。
レンは、それを見て、心底うれしそうに笑った。
「行って!」
レンの声が響き、レンの手がぱんとリンの背を叩いた。
リンが勢いよく身を翻し、中庭に向かって駆け抜けた。そこには、昔レンとともに作った秘密の通路がある。ふたりアナウサギだと父と母に笑われながら作った、外まで通じる秘密の脱出路が。
最後にここを駆け抜けたのは、女王になった日のことだった。レンと二人で外から中庭へ抜け、レンは自分に扮し、自分は王と王妃の病室へと向かったのだ。
「ああ……うああああああああああぁっ……!」
リンの喉から声がほとばしる。秘密の抜け道を這い進み、そして叫びながら走る。
あれから、まだ、わずかな月日しか経っていない。
「レン……!」
身をひるがえすのが後一瞬でもおそければ、再び自分はレンの目の前で泣いていたと、リンは震えた。最後に、自分の笑顔を願った彼の前で。
「ちゃんと、笑えたかな……」
そう声に出した瞬間、感情が脳天を突き抜けた。絶叫し、泣きながら喚き、茂みを抜けて走り、王宮の壁の下から外へと這い出した。
農具や武具で武装したたくさんの人々が王宮に向かって気勢を上げていた。
この群衆が、レンを押しつぶす。
少年の姿をしたリンはそのまま泣きながら人の流れに逆らうようにして走った。埃と砂で汚れた少年が泣きながら逆行して走るのを、興奮した人々が気に留めることはなかった。
* *
リンの姿が中庭の王と王妃の墓の影に隠された、秘密の抜け道の入り口から消えた瞬間、女王の執務室の扉が激しく叩かれた。
呼びかけもそこそこに、乱暴な音とともに数人の兵士がなだれ込んできた。
「悪ノ娘、覚悟!」
「守るべき民を苦しめた大罪人の女王、覚悟!」
レンは勢いよく振り向き、鋭く息を吸った。
「この、無礼者!」
レンの声が、王宮に凛と響いた。
……誰よりもこの国を思ったリンを、あなたがたが罪人扱いすることは僕が許さない。
その声は、抜け道を進むリンの耳にも届いた。
* *
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