酸の雨が降っている。
 傘越しに見上げた空が、洗われていない煙のような灰色の雲に覆われている。
 雨の日は、涙を流してもバレないなんて、誰が言い出した冗談だろう。
 涙が出れば、目は充血し、塩分と脂で化粧も崩れる。そのまま眠ったりしたら、次の日は顔が腫れあがり、見られたものではない。
 ブーツのヒールを鳴らしながら、彼女は真っ黒な傘をさして、ずぶ濡れの路面を歩いた。
 向かい側から、路面電車がゆっくりと走ってくる。
 不意に、「あれに轢かれたら、ゆっりと死ぬのだろうか」等と、戯言が思い浮かぶ。
 踏切で、高速で走ってくる普通の列車に轢かれた者は、あっと言う間にバラバラになるらしい。
 でも、あのくらいの遅さなら、ゆっくりと断裁されるのだろうか?
 1秒1秒をゆっくりと脳裏に刻みながら…戯言は止まらない。
 悪趣味な脳内自殺ごっこをやめて、彼女はもう一度、空を仰いだ。
 雨は、降りこそ強くないが、止みそうにない。
 予約は延期して、家の中にいる理由にすればよかっただろうか。
 そんなことを思いながら、彼女は目立つ白い髪を黒い傘で隠し、どんなにセットしても一束だけ跳ねて顔にかかってしまう髪を鬱陶しがりながら、街の中を急ぐ。

 アレンジメントの上手な花屋、と言って思いつく店が、街中に一ヶ所しかないのが不便だ。
 そして、受け取りに行くと約束した日に、この雨だ。
 花屋は待ってくれるかもしれないが、アレンジメントされてしまった花の命は短い。
 お祝いの花は、一日でも長く咲いていてほしい。
 赤信号が、ぱっと青に変わった。すぐに横断歩道を渡ろうとした彼女の5センチ手前を、車のサイドミラーが通り過ぎた。
 驚いて一瞬身を引く。急いで渡っていたら、確実に轢かれていた。
 自殺ごっこは頭の中だけで十分だ。
 彼女は、信号無視の横行している車社会を憎みながら、花屋に辿り着き、商品を受け取った。
 いくつかの白い花を組み合わせたブーケ。まだ咲かない小さな白百合が、やけに目立っている。
 あの子は白い花が好きだった。その白い花達を引き立たせるように、オアシスを埋め込んだ植木鉢には、水色のリボンを飾り付けてもらっている。
 まるで、花嫁のドレスみたい。
 彼女がくすっと笑ったのを見て、花屋の店員は、ブーケに満足してくれたのだと思ったらしい。
 代金を払い、店を出る。
 横断歩道の手前で、真っ赤な地面が見えた。目の錯覚かと思ったが、それは確かに「赤い液体」だった。雨でぬれた路面が、赤く染まっている。
 赤い液体の散った場所を囲むように、人だかりができている。
「交通事故だってさ」と、誰かが言った。
 雨で薄められた血液は、黄色く滲みながら、排水口に流れていく。
 被害者は頭を怪我したのだろうか。この出血量で、助かるのか? それより、救急車は…。
 彼女が思考を巡らせているうちに、救急車とパトカーが来た。
 そして、ピクリともしない怪我人を連れて行った。

 彼女は気を落ち着けようと、ブーケの入った紙袋を持ったまま、喫茶店に入った。
 彼女が花屋に入って出てくるまで、5分少々しか、かかっていない。
 あの時、横断歩道に走りこんでいたら、あの道に転がっていたのは自分かも知れない。
 そんなもしもを思い浮かべて、彼女は「また自殺ごっこ? 飽きないの?」と、頭の中で自嘲した。
 頼んだ飲み物が運ばれてくる。真っ赤なクランベリージュース。
 あの液体が、空から降ってきたクランベリージュースだったら良かったのに。
 彼女は、かつての親友を思い浮かべた。
 あの子は今頃、天国で、大好物の真っ赤な実をお腹いっぱい食べているはず。幼かった私に、学校の先生は、「あの子はこの世界での仕事を終えて、天使になったのよ」と言っていた。
 12歳だった私達。いつでも一緒に遊んでた。
「口や服に果汁がつくと色が取れないから、勝手に食べちゃダメ」と大人に言われていた、コケモモの実を、2人でこっそり盗み食いしてた仲だ。
今では、誰もコケモモなんて呼ばない。クランベリーは、クランベリー。木の実の仲間入りをしたのだ。
 あの子が天使の仲間入りをしたのは、きっと幼く無垢であったからだ。
そんなことを思い浮かべ、ジュースを飲む。
 もし私が死んでも、天使には成れないだろう。だって、世の中を憎めるほど、知恵がついてしまったから。エデンには居られない。
 彼女が喫茶店を後にする頃、時計塔が12時を告げた。

 自宅に帰ると、親友は写真の中で待っていた。写真の横にブーケを置いて、彼女は「誕生日おめでとう」と声をかける。
 子供の頃の親友を忘れないのは何故だろう。彼女は、そんな疑問を自分に投げかけてみる。
 いつか、私がこの世界での役目と言うものを終わらせたとき、あの子がきっと迎えに来てくれる…そんな夢想を描いているからだろうか。
「天使になりたいの? イアちゃん?」と、彼女は小さな声で呟いた。
 自分が12歳の女の子じゃないことは分かってる。だけど、もし世界を憎める知恵を持った私が、天国に行けたら。
 彼女は想像してみた。
 小さなコケモモを摘み取って、お手製のジュースを作っている、自分によく似た天使を。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

天使の果実 序章/小説

曲のイメージとはだいぶ違いますが、

「天使の果実」シリーズ、小説版でございます。

ピアプロ利用規約「残酷な表現」に引っかからないか、少々不安ですが、

なるべくソフトリーに仕上げました。

舞台は、路面電車が走ってて、時計塔があって、信号無視の頻発している架空の街。

主人公は彼女です。

閲覧数:222

投稿日:2020/03/30 21:42:47

文字数:2,157文字

カテゴリ:小説

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