少女は独り、ベッドの上で膝を抱える。
自分が逃げただけだという自覚はあった。
―――避けられないと分かっていたはずの問題から、目を背けただけなのだと。
「分かってたことなのに…」
膝に額を押し付け、強く強く目をつぶる。
「…分かってた、はずなのに…」
優しい声は、聞こえない。
<魔法の鏡の物語.5>
「…よし」
鏡の前で、私は小さく気合いを入れた。
何となくレンと顔を合わせ辛くて、鏡を覗き込まないこと3日。あんな反応をしてしまってごめんなさい、 と謝ればいいだけなのに、なかなかその踏ん切りがつかなかったのだ。
…だって、謝って、その後は?
レンがいくら上手くフォローしてくれたって、私のしてしまったことは二人の間に必ず影を落とす。軽率だった、なんて悔やむのは簡単だけど、それだけじゃなんの解決にもならない。
その気まずい空気感を感じるのが怖くて、何日も鏡に向き合えなかった。
でも、もう限界。気まずかろうがなんだろうが、レンに会いたい。このところレンの側からの接触回数も減っているのだから、本当なら一日だって躊躇うべきじゃなかったのに、私って本当に馬鹿だ。…頭が冷えた今だからそんなふうに考えられるのだってことも、分かってはいるのだけど。
「…」
鏡は何の反応も見せない。つまり、レンは今は鏡の向こうにいないらしい。
それを残念さ半分安堵半分に受け止める。少なくとも、身構える暇なく顔を合わせるなんてことにはならずに済んだ。
…それは、いいことなのか悪いことなのか。もしかしたらその方が勢いに任せられたかもしれない。いや、こんなふうにうじうじ「if」を考えてしまうからいけないんだ。
彼に会えるまでその場を動くつもりはなかったから、鏡に映った自分の姿を見て身繕いをしたりして手持ち無沙汰感をなくす。そういえば、考えてみたらこの鏡を本来の用途で使ったことというのは数えるほどしかなかった気がする。
―――ごめんね。
口には出さず、心の中でそっと謝る。
―――だけど、ありがとう…
レンと出会えたのはこの鏡のおかげ。
それは、いくら感謝してもし足りない。
「レンと…ずっと一緒にいられますように…」
なんとなく、それでも祈りを込めてそっと願いを口にした。
丁度それを見計らったかのように鏡が輝く。
レン!
胸の中でその名前を呼ぶのと同時に、鏡の向こうにレンの姿が現れた。
最後に会った時よりも顔色が悪い。
けれどもその顔色の悪さを補って余りある―――これは…焦り?
その色を隠しもしないで、レンは急き込むように私の掌に掌を合わせた。
「良かった、間に合った!…もう、あれきり会えないまま終わるのかと思った…!」
…え?
まず最初に言おうと思っていた謝罪の言葉が、喉の奥へと引っ込む。
『間に合った』『会えないまま終わるのかと思った』。それはつまり…
彼の言葉に含まれる意味を理解してしまい、私はその場で凍りついた。
まさか。
…でも。
「…」
動けなくなった私に気付いて、レンが顔を引きつらせる。不用意に喋りすぎた、と言わんばかりに。
嫌な沈黙が空気を冷やす。
けれどやがて、レンは覚悟を決めたようにまっすぐ私の目を見据えた。
「…隠したりごまかしたりしても、もう意味ないか。ごめん」
聞きたくない。
貫くような寒気に、私は少しだけ身じろぎをした。座っているからそれだけで済んだけれど、もしも立っていたら後退りしてしまっていただろう。
そのくらい、認めなくなかった。レンがこんなに真剣な眼差しをするような話なんて他に思い付かないとしても。
私が凝視する中、彼は静かに口を開いた。
「リン、君も何となく気付いていたかもしれない。一緒に過ごすことの出来る時間の残りがどんどん減っていくのを。そう、この魔法は永遠じゃないってことを」
―――わからない。わからない。そんなの全然気付かなかった。
本当のことを塗り潰すように、頭の中で否定の言葉を繰り返す。無駄だということも分かっていたけれど、少しでも抵抗になりはしないかと期待して。
それでもレンは、はっきりと言い切ってしまう。
曲解する余地もないくらい、きっぱりと。
「僕は、もう行かなくちゃ」
…いや!
「―――っ…レン、行かないで!」
弾かれるように鏡に向かって身を乗り出す。何も考えずに伸ばした右手が勢いよく鏡にぶつかって痛む。
…そうだ、手を伸ばしても届かないんだった…。
「お別れなんだ」
「そんなの聞きたくない」
手先の痛みを意識の隅に追いやり、全力で首を横に振る。一度声を荒げてしまうと、もうトーンを落とすことはできない。
「レン、行かないで!私、いろんな言い方でそう願ってきたはずよ!難しくても、いつかレンなら叶えてくれるって思ってた―――でもその願いを、あなたは叶えてくれないの…!?」
悲鳴のような私の声に、レンは色々な感情が混ざりあったような複雑な表情を浮かべた。困ったような笑顔を作ってはいるけれど、その下で様々な感情が混ざり合いながら存在しているということは容易に分かる。
彼は苦笑ぎみに、たしなめるように私へと言葉を向けた。
「リンは欲しがり屋なんだね」
その言葉になんとなくカチンと来て、私は眉を思いきり吊り上げた。何を今更!
「そうよ…知ってたでしょう?はじめから私は叶えて貰ってばっかりで、でもそうさせたのはあなただったじゃない!だから願うわよ、何度でも!聞き分けがないって思われてもいいんだから!」
レンにどう思われるかなんて、もう気にしていられなかった。言いたいことを纏めることさえせずに口にする。こんなに遠慮なくものを言うのなんて、レンの前に限らなくても本当に久しぶりだ。大きくなるにつれて いつの間にか本音を口にしなくなっていたんだと改めて気付いた。
でも今は気にしない。
みっともなくていい。
欲張りだと思われていい。
そうだ、私がレンに渡せるのは言葉だけ。最初の時からずっと、それだけなんだから。だからぶつける。どうせ最後なのでしょう?なら遠慮なんてしなくていい。寧ろ伝えられずに終わった方が遥かに苦しいのだろうから。…だから、今の苦しさなんて隅に追いやってしまえ!
「レン、お願いだから―――お願いだから、行かないで!願えば叶うのなら、いくらでも願うわ!いつまでだって願うわ…!」
ああ、これだけしかできないというのはなんて不自由なことなんだろう。言葉に込められるだけ思いを込めても、全てを吐き出すことはできない。
逃がせなかった思いが心臓の辺りで渦を巻く。その内圧に耐えきれず、涙が勝手に瞳から溢れた。…そんなの、嫌なのに。
「私を置いていかないで…!」
頬が熱い。生温い涙の感触に、情けなくなる。
どうして私は、こんなふうに泣くことしかできないんだろう。正に駄々をこねる子供の姿で、レンの目にはさぞかしみっともなく映っていることだろう。
「リン、泣かないで」
…お願いだから。
そんなふうに私をなだめる彼の目はこんな時でもとても静かで、「どうしようもないんだ」と語っていた。
―――いや!
魔法が、
―――お願い…レン…!
解けてしまう。
思わず伸ばした手の先で、レンは何故か微笑みを浮かべる。
悲しみの色は確かにあるけれど、それが気にならないほどに嬉しそうな笑みを。
それはあの日、初めて光の中で見た彼の姿に良く似ていた。
透き通って、柔らかくて、暖かくて、かすかに霞んでいて…
「やっと、本当の気持ちを口にしてくれたんだね」
…まるで、お伽話の挿し絵のような。
「もう二度と会えなくても、僕はずっと君の事を忘れない。…どんなことがあっても、絶対に」
レンの言葉に対して私はしゃくりあげる動作しかできない。何か言わないと、なんて気持ちだけが先走る。
優しくて、とても嬉しい言葉だった。
だけど、とても痛い言葉だった。
言いたいことが多すぎて、結局どれも形にならず終いなのが苦しい。そのせいで余計に喉が詰まって、咳き込むはめになった。
「…だから」
優しい手が鏡面に触れる。
私の涙を拭おうと、仄かに揺れる。
「どうかきみも、僕のことを忘れないで」
言いたいことを言い切れた。そんな台詞でも言いそうなレンの笑顔が、不意に罅割れた。
時が止まったかのように鏡面に焼き付けられたレンの笑み。そして鏡の全面に刻み込まれた、「罅」。
…割れ、た?
「――――っ!!?」
顔から血が引くような恐怖と共に、慌てて鏡に指を当てる。
けれど、鏡面には罅どころか傷ひとつ付いていなかった。
―――割れたのは…向こう側の、鏡…
怯えに近い感情で改めて鏡を見る。
そこに映し出されたレンの笑顔と無惨な罅は、ゆっくりと、でも確実に薄くなっていた。
「…や、やだ…消えないで…」
無駄だと分かっているのに、鏡を指で押さえる。
きっとここに映っている姿は魔力の残滓に過ぎない。それは薄れていくというのは少しずつ鏡の力が失われていることの証なのだろう。
けれど。
「…いやだよ…!」
『忘れないで』
何を思って彼は、あんなことを言ったんだろうか。聞いた瞬間、実はレンはかなりの馬鹿だったのかもしれないと思った。
だって、忘れないで、なんてわざわざ言われるまでもないのだから。
「…ない」
完全に光を失った鏡の前で、私は床につっ伏した。
鏡を見るのも嫌だった。これから幾ら鏡の前で待ってみたとしても二度とレンには会えない―――それを思い知らされるような気がして。
「忘れられるわけなんか、ない…!…レンがいなくちゃ駄目なのに…レンがいなくちゃどんな奇跡も、魔法も、意味がないのに…!…どうして…どうして……!」
これが私の願いが叶えられたことへの代償だというなら、あんまりだ。
それなら叶わなくても良かった願いが幾つもある。
歩けないままでも良かった。
戦争が終わらなくても良かった。
他人の気持ちを無視した、なんて身勝手な思い。
けれど、その代わりにあの優しい時間がずっと続いてくれたのなら、私はそれで良かった。
本当は―――それだけで、良かったのだ。
コメント3
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ご意見・ご感想
アストリア@生きてるよ
ご意見・ご感想
レェェェェェェェェェェェェェン!!!!!!www
いきなりスミマセン、アストリアっす!ww
鏡がぁ…割れちゃった…
レンの「笑顔」がまた感動しちゃうんですよ…
次、頑張ってください!
2011/09/05 17:53:53
翔破
コメントありがとうございます!
これからレンサイドに入りますが、そちらも読んで頂けると幸いです。
でも書いてて思ったのですが、私が書くとどのレンもただのリン廃になってしまう不思議…
どうしてこうなるんだろうか…
2011/09/08 08:09:58
目白皐月
ご意見・ご感想
こんにちは、目白皐月です。
リンの心情がなんとも切ないですね。とはいえ、彼女にはまだ伏せられている事情が色々ありそうで、それがハッピーエンドに繋がって行くのでしょうか。
この次も楽しみにしています。
2011/09/05 00:30:19
翔破
コメントありがとうございます。
そうですね、確かにリンの知らない事情がいくつかあります。
レンサイドではそれを描いていきたいと思いますので、ゆっくりお待ち頂けると幸いです。
2011/09/08 08:05:32
ゼロ鳶
ご意見・ご感想
ヤバイ!!悲しい話すぎて・・。
ちょうどpixivで翔破さんの作品見ていたらいつの間にかうpされていた!!
2011/09/04 15:55:02
翔破
コメントありがとうございます!
ピクシブ見てて下さったんですか!うおおありがとうございます!
続きも早めに上げたいと思っているのでゆっくりお待ちください!
2011/09/08 08:02:35