第六章 消失 パート2
彼を排除する。
その決意を固めたアキテーヌ伯爵が黄の国の王宮に戻ったのは遠征軍が出立した三日後のことであった。そのアキテーヌ伯爵は閑散としている王宮を見て不信に思い、偶然近くを通った官吏に何事があったのかと尋ねた。
「は、先日緑の国へ遠征軍が出立致しました故に。」
官吏の言葉を受けて、アキテーヌ伯爵は背筋が凍るような感覚を覚えた。今の黄の国に他国に遠征するだけの財務的余裕は残されていない。第一、なぜ緑の国を攻める必要があるのか。
「そ、それはまことか?」
「真実でございます。ロックバード伯爵以下、メイコ殿とリン殿が軍を率いて出立致しました。」
「ど、どうして誰もお止めしなかったのだ!」
「それが、何よりも優先して取り掛かれとのことでしたので・・。」
官吏のその言葉を受けて、アキテーヌ伯爵は唇を噛みしめた。ロックバード伯爵ではリン女王を止めることができなかったらしい。
こんなことが起こるなら、王宮を離れるのではなかった。
そう後悔したが、後悔したところで何が起こるわけでもない。とにかく、今からでも軍を引かせなければ、と考えてアキテーヌ伯爵は小走りに謁見室へと向かったのである。
「リン女王、聞きましたぞ!」
謁見室に入り、リンの姿を確認した瞬間にアキテーヌ伯爵は半ば叫ぶようにそう言った。
「内務大臣。呼んでいないわ。」
うるさそうにリンはそう言った。
何があった?
そのリンの姿を見て、アキテーヌ伯爵は一瞬息をのんだ。
まるで修羅の表情だ。
そう考えたのも一瞬、とにかく次に言うべき言葉は決まっている。
「緑の国に軍を派遣したとか!一体何をお考えなのですか!」
「あたしが決めたことよ。異論は許さないわ。」
「おふざけもいい加減になさってください!我が国に遠征をするだけの財力はもうないのですぞ!」
「五月蝿い!」
その声は余りにも大きく、謁見室に響いた。
言葉を間違えた。
アキテーヌ伯爵がそう感じたのは、リンの瞳に宿る、今にも飛び出しそうな憎悪の炎を確認したからであった。
「皆、皆あたしの邪魔ばかりするのね!もういいわ。皆死んでしまえばいい!ガクポ!アキテーヌ伯爵を処刑しなさい!」
その言葉を受けて、謁見室の裏からガクポが現れた。ガクポは同情するような瞳でアキテーヌ伯爵を見つめた。
「何をおっしゃるか!自らのお言葉を理解されているのか!」
負けじと、アキテーヌ伯爵はそう叫ぶ。
「理解しているわ。あたしの邪魔をする人間は排除する。それだけよ。」
妙に静かに、リンはそう言った。その言葉を受けて、唖然としたアキテーヌ伯爵の肩をガクポが掴む。
「申し訳ありませんが、我が主のお言葉です。ご同行願いましょう。」
ガクポは静かにそう言った。
「傭兵風情に処刑されるとはな。」
「これも運命でしょう。」
「好きにせい。」
アキテーヌ伯爵はガクポに向かって静かにそう言うと、リンに向かってこう叫んだ。
「女王陛下!この様な統治を続けていたらいずれ家臣も民衆も女王陛下を見限りますぞ!今一度ご再考を!」
今のリン女王には何を言っても無駄だろう、とは分かりきっていたが、それでもアキテーヌ伯爵はそう叫ばずにはいられなかった。自らの命よりも、守るべきは黄の国であり、リン女王であるという覚悟を決めていたアキテーヌ伯爵は本当の意味での忠臣だった。
だが、リンはその言葉すら暴言として受けとった。
「減らず口を!もういいわ、ガクポ、この場で処刑しなさい!」
その言葉に、流石のガクポも戸惑ったように、こう言った。
「ここで殺せば、お部屋が汚れます。」
一度身柄を預かればアキテーヌ伯爵を逃がすこともできる。ルカなら、なんとかするはずだと考えていたガクポはその様に反論した。
しかし。
「構わないわ!いいからその目障りな男を殺して!それともガクポも処刑されたいの?」
もはや正常なご判断もできぬのか。
ガクポが絶望を感じながら戸惑っていると、アキテーヌ伯爵はなぜか晴れやかな声でこう言った。
「もうよい。とにかく私が死ねばこの場は収まる。どうせ残り少ない人生だ。私は人柱となって黄の国を見守ろう。」
「・・しかし。」
「貴殿は優しい男だな。」
僅かに、口元を緩めながら、アキテーヌ伯爵はそう言った。
「そんなことは、ございません。」
「いいや、十分に優しい。その優しさを、リン女王陛下の為に使ってくれ。」
なんということだ。
ガクポはそう思わずにはいられなかった。
私よりも剣では弱いだろうこの男に、俺は完全に負けている。
器の大きさという意味で。
「ガクポ!早くしなさい!」
リンが再び叫んだ。ヒステリーを起こしたかのような金切り声を受けて、ガクポは諦めたように倭刀の柄に手をかけた。
彼を排除しようとした私への罰かもしれんな。
アキテーヌ伯爵がそう考えた瞬間に、ガクポの剣がアキテーヌ伯爵の胴体を真っ二つに切り裂いた。ずれ落ちる視界の中で、アキテーヌ伯爵はリンの姿を捕え、そして最後に娘であるメイコの姿が網膜に浮かんだ。
その頃、緑の国の王宮では天地が逆転したような大騒ぎとなっていた。
黄の国の軍勢三万が進軍している。
その報告がミクの元にもたらされたのは今日の朝だった。それから、延々と軍議が繰り広げられている。
しかし、緑の国の総兵力はかき集めても一万に満たない。しかも、黄の国の軍を率いるのは歴戦の騎士であるロックバード伯爵に、黄の国一の精鋭といわれている赤騎士団の隊長メイコという。
「私たちだけじゃ勝てないわ。」
冷静に、ネルはそう言った。
「そ・・そうだけど・・。」
ハクが戸惑ったように応える。
ミクはそんなやり取りを耳にしながら、一人物思いにふけっていた。
レンが攻めてくる。
他の誰もが注目しなかったその人物に、ミクは心を奪われていた。
あの、悲しそうな瞳をしたレンが。
どうして、こんなにも気になるのだろう。
たった一度、会話しただけなのに。
「ミク!聞いているの!」
ミクがそうやって思索の海を漂っていると、その中から引きずり出すような声が響いた。視線を向けると、怒った表情のネルの姿が見えた。
「聞いているわ。」
「なら、あんたの意見を聞かせて!私たちはかき集めても一万よ!実際に戦闘に参加できる兵士は五千程度でしょうね!どうするの?今から尻尾を巻いて逃げることを選択肢に入れてもいいから、とにかく決裁をして!時間がないのよ!」
「方針は決まっているわ。」
ミクは静かに、そう言った。
「どうするの?」
ネルが畳みかける。その視線から目を逸らしたミクは、代わりに沈黙を保っているグミに視線を向けた。
「グミ、今から青の国に走って、援軍を要請して。」
「はい。」
「極力急いでね。私たちは頑張っても一カ月も持たないと思うから。」
「畏まりました。カイト王がすぐに動いてくれればいいのですが・・。」
「救援条件は私との婚約。それでカイト王は動くはずよ。」
達観したような笑顔で、ミクはそう言った。
「・・身売りする気なの?」
ネルがそう言った。
「仕方ないわ。守るべきは私じゃない。緑の国の民衆だから。」
「分かったよ、ミク。それじゃ、グミ、頼んだ。」
ネルはそう言ってグミに向かって笑顔を見せた。真剣な眼差しでグミは頷くと、席を立ち、会議室を飛び出していった。
援軍が来るまで最速二週間、といったところね。
グミの後ろ姿を眺めながら、ミクはそう考えた。
「私たちは・・どうしますか・・?」
グミの姿が閉じられた扉の奥に消えると、ハクはそう言った。
「極力城下町での戦闘は避けたいの。」
ミクがそう答える。
「なら、打って出るしかないね。」
ネルがそう言った。
「いいの、ネル?」
ミクがそう訊ねる。
「そりゃ、青の国の援軍が期待できるなら籠城の方がいいけどさ、それでもどこまで持ちこたえられるか分からない。時間稼ぎするなら野戦で足を止めた方がいいよ。」
「ありがとう。では、細かいところはネルとハクに任せるわ。青の国の援軍が到着するまで、少なくとも二週間は時間を稼いで。」
「了解したよ、ミク。」
ネルはそういうと、ハクを連れて会議室を退出していった。
一人残されたミクは、おもむろに立ち上がると窓際に立ち、そしてやや呆然と城下の様子を眺めた。城下町はまだ大きな混乱を見せてはいないが、明日にもなれば避難民で混乱をしはじめるのだろう。
レン、あなたは私を殺しにくるのね。
遠く、西の彼方を眺めながら、ミクはその様なことを考えた。
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