20.緑の女

「けが人がいると聞いて、リンさまは迷わずに路地に飛び込んでいらした」
「私達に、すぐに助けを求めていらした」
「自分の医者をすぐに貸した」
「一介の薬師だってすぐに受け入れた」

 賞賛の声が高まるなか、リンは助けてくれた人々に感謝を述べる。まるで、青の国の王になったようだとリンは思った。

「……いつだって、本当に必要な人からのお褒めはいただけないのにね」

 レンの無事は嬉しい。でも、切なさも同時に身を切りつける。

「……王女でなければよかったのに。そしたら、純粋に、レンの無事を喜べたのに」

 青の人々の賞賛と注目が、痛くて切なくて苦しい。リンが黄の国でどんなに頑張っても得られなかったものだ。
 そういえば、青の皇子も自分を見てくれた。緑の女王、ミク様には負けてしまったけれども。ミク様も、青の皇子の次に、自分を見てくれている。いつだって、一番見てほしい人は、あたしを見てはくれない……

「リンさま」

 呼びかけられて、リンははっと振り向いた。路地から最後に出てきたハクが、リンを見つめて立ち止まっていた。

「……ハク、でしたっけ」

 ハクはうなずく。どうやらリンは気づいていないようだ。ハクが公式の場でリンに会ったのは、青の国に到着した時、そして、今日の昼間の樹を植えた時。
 公の場ではハクは髪を染めていない。だから今、ハクがミクの側に仕えている者だとリンは気づいていないのだ。

「リンさま。レンの怪我は、私のせいです」

 はっとリンがこわばった。その手がかたく握り締められる。

「泥棒にナイフで切りつけられた私をかばって、彼は刺されました。……リンさまにとって彼は大事な方とお見受けいたします……もうしわけありません」

 ハクは、丁寧に謝っている。やっと、下着姿になってまでレンを助けようとした事情も飲み込めた。しかし、リンの感情はささくれ立った。なぜだかリンにも分からない。分からないけれども、ハクに殴りかかりたくなるのを必死で抑えている。ハクが、口を開いた。まるで色を塗ったような美しい緑の髪が揺れた。

「どうぞ、私を存分にお責めください。私は、昨夜、レン殿に助けられました。今日再び会えるとは思わず、私は浮かれておりました。
 そのレン殿が目の前で大事な持ち物を奪われたのを見て、私が身の程もわきまえず追いかけたのです。……助けられた恩を返したいという、身勝手な思いで」

 リンは蒼白になって立ち尽くしていた。

「そして、助けられたのはまたもや私のほうでした。……そして、この事態です。リン様のご近侍を傷つけたことに、覚悟は出来ております」
「もういいわ」

 静かなリンの声が、ハクの鼓膜を震わせた。

「きっとレンは助かる。本当に恐ろしい偶然だけれども、きっと助かるわ。だから、もう良いのです。……ハク。あなた、あたしのレンに助けられたことを、誇りに思ってくださいね」

 リンが、涙をぬぐわずに顔を上げた。なぜだろう、とハクは思う。
 このリンは、今、なぜ、泣いているのだろう。レンは無事だと知ったことへの、安堵の涙であろうか。
 腑に落ちない思いをしつつも、ハクはうなずいた。この場面での正しい行動は、リン王女の言葉を受け取ってやることだと読んだのだ。
 そして、どうやらそのハクの読みは正解のようだった。

「ランプを支えてくれて、ありがとう。もう、行っていいわよ」

 私も、彼の目が覚めるまで側に居させてください。
 ハクは、喉まで出掛かったその言葉を飲み込んだ。

 ……ハクは、レンが目を覚ますまで側に居たかった。目を覚ましたレンに礼を言い、謝りたかった。なによりも、この目で無事を確かめたかった。
 初めての、男の子の友達だったのに。

 ……しかし、ハクは悟っていたのだ。リンは、ハクに居てほしくないと思っている。よく分からないが、それは確かだ。そして、リンはレンをどうやら大切に思っている。主従の絆や友情以上の確かさで。

 リンの表情を見ればよくわかった。必死さに隠れて、嫉妬が見えた。ハクが幼いころ、その刺繍のずば抜けた腕のおかげで被ってきたあの視線が、リンにも見えた。
 でも、さすが王女だ、とハクは思った。
 感情を押さえ込むことは一流だ。感情を『使うこと』に長けたミク様とはすこし違うな、とハクは思う。まったく王族って奴は、と、心の中で笑う。このリンも主人のミクも、我慢のたりない自分とはずいぶん違う。

「……可愛い方だな。そして、若いのに、すごいな」

 ハクは、顔を上げて、神妙にもう一度礼を取った。これ以上リンの時間を自分に使わせてはならない。一刻も早くレンに付き添いたいだろうに。

「どうかお大事に。私にとって、レンさんは恩人です。そうお伝えください。それと、」

 ハクがにこりとリンにむかって微笑んだ。

「リンさまが王女様であったからこそ、レンさんはあの怪我で助かったのです。
リン様。ご自身と、ご自身を支えている方がたを、どうかお信じくださいませ」

 そしてハクはきびすを返し駆け出した。しばらくは背中にリンの視線を感じていたが、それもやがて消えた。

             *          *

 リンは、駆け去るハクの背中を見送り、薬師とガクを追いかけた。
「あの娘……レンが、すきなんだ」
 美しい緑の髪。恩を返したいと泥棒を追いかける心根のまっすぐさ。そして、王女のリンに物怖じしない気の強さ。
 リンの唇に笑みが引かれた。乾いた笑いが漏れる。

「まったく……さすがね。緑の女は、……器が違うわ」

 レンを心配した時よりも濃い涙が、頬を伝っては濡らしていく。

「リン様!」
「今行くわ!」

 遠くでメイコが呼びかけた。リンが迷わないように曲がり角で待っていてくれるらしい。

 青の皇子の送り馬車はメイコたちが手配して帰したようだ。街が普段の姿と相応の賑わいを取り戻していく。その石畳の中を、豪奢なドレスに埃と酒と血と薬の匂いをまとったリンが駆けて行く。
 薬師の家の路地にリンのドレスが翻って消え、街はいつもの様子を取り戻した。

           *              *

 ハクは、噂話でにぎわう街を駆け抜けた。
 別の通りに出たところで、ハクは立ち止まる。夜の街の名物、強い酒に果汁を混ぜて売る屋台を見つけ、ある飲み物を迷わず注文し一気に飲み干した。
 青の国特産の蒸留酒『メウ・ナータ』と甘ずっぱい果実の味が喉を焼いた。消毒にも使われた強い酒が炎のように胃を焼き落とし、腹の底で燃え上がった。
 ぼろり、と涙がはじめて零れ落ちた。

「レンが助かってよかった。レンにあえてよかった。本当に、本当に……!」
 そして、もう二度と彼に会うことはない。
 相手は黄の国の王女のお付き。自分は緑の女王のお付き。あまりにも、遠すぎる。

「緑の姉ちゃん、大丈夫か」

 屋台の親父に声をかけられ、ハクは「ちょっと強かったかな」とぎこちなく笑った。
 流れる涙を強すぎる酒の所為にして、ぐいと笑った。
 レンを助けた酒の香り。楽しかった昨夜。ともに聞いた楽師の歌。

「一生忘れない。こんなに苦しいことも、こんなに泣いたことも、初めて……」

 親父がハクの側に水を置き、ぽんと無言で肩を叩いた。
 子供のころは周囲の人間に対して壁を作り、ミクの前では意地でも胸を張り、孤独を持ち前の気の強さで吹き飛ばしながら生きてきたハク。
 染めた緑の前髪が汗で張り付き、目を刺して痛い。ハクの、生まれて初めての素直な涙が、遠い異国の夜に吸い込まれていった。



 続く。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 20.緑の女

 あの名曲をエンゼルトランペットの花びら並みに曲解.
悪ノ娘と呼ばれた娘  1.リン王女
http://piapro.jp/content/f4w4slkbkcy9mohk

『この物語はファンタジーです。実際の医療行為、生物生理、現実の薬理学には一切関係ありません』

レティ「それでは、前回のうそっぱちだらけのガクの行為に隠された真実の発表です!」
アル「わー……まじかよ」
レティ「日常に使える知識だから覚えてね!生存テストに出るよ!」
アル「なんだそれッ!誤答すなわち死?!」
レティ「では行きます。まず1つ目『刃物で刺されたら抜かずに専門家へまかせよう』」
アル「腹が痛くなってきた……」

レティ「二つ目『エンゼルトランペット』はまんだらげといって、日本初の麻酔手術の主成分に使われたよ!ちなみに麻酔の効果が出るまで2時間から4時間!手術可能な時間は5,6時間といわれています!」
アル「麻酔というか、中毒の効果を利用したんだよな……てか、麻酔に使われたのは本当だけどその効果と時間はうそっぱちか!!なんだよ!!」
レティ「ちなみに園芸植物としても人気なので、誤って食べないように気をつけよう!」
アル「(本当に事故例があるらしいです……)」

レティ「そういえばもうひとつ!」
アル「げっ! まだあるのか!」
レティ「……腸を傷つけると大変です。いろんな中身が周囲の組織を汚染します。……だから今回レンは大変ラッキー」
アル「もう黙れえええぇぇえ!聞いているほうが痛いッ!!」

レベル1の性格王子様アルタイルと、凄腕卑屈剣士レティシアの活躍はこちら。
夢と勇気、憧れ、希望 ~湖のほとりの物語~
http://piapro.jp/content/tpbvhzoe5b6s6kem
別の意味で痛いということは十分に承知の上でございます……

閲覧数:581

投稿日:2010/07/30 23:46:19

文字数:3,161文字

カテゴリ:小説

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