第八章 決意 パート2
「あんた、また来たのか。」
レンが略奪を行ってから数日後のことになる。メイコが行きつけとなっている酒屋に顔を出すと、酒屋の主人は呆れたようにメイコに向かってそう言った。除隊してからというもの毎日のように訪れていたものだから、いい加減顔を覚えられたらしい。僅かに苦笑しながら、メイコは主人に向かってこう言った。
「いつもの、お願い。」
「ほらよ。」
そう言って手渡されたものはウィスキーの瓶である。その瓶を握りしめると、メイコは数枚の銅貨を主人に渡した。
「あんたも若いのに、毎日飲んでいたら体に悪いぞ。」
「飲まないと眠れなくて。」
「少しは控えろ。まあ、俺もいつまで商売を続けられるか分からないがね。」
「何かあったの?」
「あんた、知らないのか?」
呆れたように主人はそう言った。
「ごめんなさい。」
「略奪だよ。とうとうリン女王陛下は俺達の息の根を止めようってお考えらしい。」
「略奪・・?」
まさか、信じられない、というようにメイコはそう言った。
「そうだよ。三日程前から大富豪を中心に次々と略奪を受けているそうだ。俺のような小さなところはまだ対象にはなっていないが、いつ王国軍がやって来るやら。」
「そう・・嫌な世の中になったわね。」
メイコはそう言い残すと、逃げるように酒屋を後にした。
とうとう略奪まで始めたのね。
帰宅への道を急ぎながら、メイコはそう考えて力の無い溜息をついた。黄の国の国庫が残り少ないという話は父親であるアキテーヌ伯爵が存命していたころから認識はしていたが、とうとう底をついたということだろう。
もう、誰もリン女王をお止めできる者がいないのね。
自宅への道を急ぎながら、メイコはそんなことを考えた。冷たい秋風が通り過ぎ、メイコは思わず体を縮める。早く家に戻ろう、とメイコは考えて僅かに歩く速度を上げた。
メイコは除隊後、城下町に一室を借りて一人暮らしを行っていた。除隊した騎士には年金が付く為に生活には困ってはいないが、だからと言って別に何かを行うわけでもない。ただ、毎日することと言えば酒を飲むことだけだった。それでも、酔えない。メイコは未だに緑の国の市民を虐殺してゆく夢に悩まされ、そして起きている間は父親のことを思い出しては深い後悔に陥るのである。
この状況は一体いつまで続くのだろう。
メイコは、自身の心理状況を端的に表しているような曇った空を見上げながらつい、そう思った。
リンを倒すか、もしくは呪いの元凶を断つ以外に方法はないのかしら。
どちらにせよ、騎士を捨てた私にできることは何もないけれど。
その様に思索に耽りながら自宅に到着した時である。メイコは自宅の前に、一人の女性が所在無げに立っていることに気がついた。濃緑の髪を持つ、メイコより僅かに年若く見える女性である。見たことのない人間だな、と思いながらメイコはこう声をかけた。
「私の家に、何か御用かしら?」
すると、その緑髪の女性は安堵したような笑顔を見せて、こう言った。
「赤騎士団隊長、メイコ殿でいらっしゃいますね?」
「昔の話よ。」
まだ赤騎士団隊長の肩書で呼ぶ人間がいたなんて。僅かな戸惑いを感じながら、メイコはそう答えた。しかし、その後に続いたその女性の言葉は、更にメイコを戸惑わせたのである。
「私は緑の国の魔術師グミ。メイコ殿に重要な話があってここまで参りました。」
緑の国。
その言葉を聞いた瞬間、メイコの表情が苦痛にゆがんだ。
私が虐殺をした国。もう一カ月も前に滅びた国。
「・・復讐に来たの?」
メイコは乾いた喉から絞り出すようにそう言った。未だに夢に現れる緑の国の市民たちの姿が網膜に映るような気がしたのである。しかし、グミと名乗るその女性はこう答えた。
「いいえ。貴女に対して復讐の意図はございません。」
「なら、何の用なの?」
「できれば、人気のない場所で。」
グミは声をひそめると、そう言った。何事だろう、とメイコは考える。
少なくとも罠ではなさそうね。
「なら、家の中なら安全だわ。私一人だし、今の女王に私への監視をつけるという発想はないみたいだから。」
メイコはそう言って自宅の扉を解錠すると、グミを自宅に招きいれた。
質素な部屋だな。
メイコの自宅に招かれたグミは思わずそんな感想を持った。一人暮らしには広い部屋だが、装飾品は必要最低限にとどめられている。逆に目立ったものがところどころに散乱しているからの酒瓶であった。どうやら、相当の酒豪らしいとグミは推測を付けた。
「ごめんね、どうも掃除は苦手で。」
メイコは苦笑しながらそう言うと、グミにテーブルに着席するように促した。
「お茶でいい?」
グミが着席したことを確認すると、メイコはそう言って笑顔を見せた。
「構いませんわ。」
「そう。」
メイコはそう言うと奥の厨房へと歩いて行った。片手にウィスキーの瓶をつかんだ姿はグミの想像していたメイコの姿とは大分異なる。
ネル殿を打ち破った騎士というから、どれほどの女性かと思ったけれど。
軽い失望感の様な感覚を味わいながら、グミが待つこと十分余り。いかにも慣れない手つきでお茶を運んで来たメイコがグミの真向かいに席をとった。お茶は一つだけ。メイコ殿は何を飲まれるのだろう、と観察していると、メイコはおもむろに片手にしたウィスキーの瓶の蓋をあけて、原液のまま飲みだしたのである。
「ふふ。飲んでも酔えないのだけどね。」
驚いたグミが目を丸くしていると、ウィスキー瓶から口を離したメイコがそう言って自嘲するような笑みを見せた。
「酔えない?」
不思議に感じたグミがそう訊ねる。
「ええ。あの戦争以来、酔わない体になったみたい。」
あの戦争。黄の国と緑の国との戦争か、と思い当たり、グミは僅かに唇を噛みしめた。
「で、要件というのは?」
押し黙ったグミに向かって、メイコはそう言った。グミはどの言葉を選ぼうかという様子で、僅かに思案した後に口を開いた。
「アキテーヌ伯爵の件はお伺いいたしました。」
「・・そう。」
僅かに、メイコの視線が下がる。まだ父親の死から立ち直っているわけではないのだ。そのメイコに向かって、追い打ちをかけるようにグミは更にこう言った。
「お父上の仇をとられないのですか?」
「とる気はないよ。あの娘も一応私の主君だったから。それに、お父様が復讐など喜ぶはずがないもの。きっと、最後まで黄の国を案じられていたに違いないわ。」
成程、良くできた人物だわ、という感想をグミは持った。なら、説得するには別の角度から話を進めるしかない。
「そうですね。でも、アキテーヌ伯爵が今の黄の国の状況をご覧になられたら、どう思われると思いますか?」
「・・悲しまれる、でしょうね。」
メイコは小さくそう言うと、再びウィスキーの瓶に口を付けた。
「メイコ殿は、黄の国をお救いになるつもりはございませんか?」
「どうやるの。今の私はただの一般人よ。」
「一般人ではありますまい。メイコ殿には黄の国を救う義務があると思います。」
「義務・・ね。」
「そうです。アキテーヌ伯爵の愛娘であり、跡取りでもあるメイコ殿には、その義務があると思うのです。そして、その実力もある。」
「・・グミ殿は一体私に何を求めているの?」
来た。
グミは思わずそう思った。ここから先は私たちの仲間に引き入れるだけだ。
僅かに興奮しながら、グミは単刀直入にこう言った。
「今の黄の国に必要なものは政変です。」
その言葉に、メイコは沈黙を返した。グミもまたメイコの反応を窺うように、口を閉ざす。数十秒の沈黙の後に、メイコは沈黙に耐えられなくなったかのようにこう口を開いた。
「私に反乱を起こせ、ということね。」
「反乱ではございませぬ。革命でございます。哀れな黄の国の国民を救う勇者として、立ち上がって頂きたいのです。」
「仰ることは分かるけれど、勝算がないわ。今の私には兵がいないのよ。」
「それでしたらご心配ございませぬ。既に目処が立っております。」
「目処?」
「こちらを。」
グミはそう言うと、一枚の羊皮紙を懐から取り出し、メイコに提示した。その羊皮紙を見て、メイコは驚愕の為に目を見開いた。
カイト王からの親書であったからである。
「青の国が・・黄の国を攻めるというの?」
「全てはミルドガルドの安定と平和のためでございます。青の国が黄の国へと進軍したタイミングを見計らって、メイコ殿には蜂起して頂く。その中核メンバーとして考えているのはメイコ殿と同じように除隊していった元赤騎士団の隊員です。すでに複数名に声をかけ、我々の意向に同意して頂いております。しかし、蜂起の中心人物に耐えうる人物は黄の国広しといえども、メイコ殿以外に適任者がおりません。」
「用意が良いのね。でも、私は騎士を捨てた身だわ。」
「成程、しかし、剣士は捨てておりますまい。」
グミはそう言うと、部屋の片隅に安置されている剣に視線を移した。そして、こう言葉を続ける。
「あの剣は何のためにあそこにあるのですか?」
メイコは再び沈黙した。瞳に、僅かな悩みが見える。後ひと押しね。グミがそう考えて、そしてこう言った。
「ご決断を。」
「・・・分かったわ。カイト王に伝えて頂戴。剣士メイコは黄の国の国民の為に立ち上がる、と。」
その言葉を聞いた瞬間、グミの表情が輝いた。
「ご決断ありがとうございます。では、具体的なお話をさせていただきたいと思います。」
グミはそう言って一礼すると、反乱の詳細についてメイコと打ち合わせを開始したのである。
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ご意見・ご感想
wanita
ご意見・ご感想
初めまして。wanitaと申します。
悪ノ娘、わくわくしながら拝見させていただいております。
レイジ様は営業のバックグラウンドがあるのですね!
ではこれから参謀グミの説得術も楽しみにしながら読み進めようと思います。
黄の国の危機が農政壊滅から始まったというあたり、気候設定あたりも、読んでいて本当に気持ちよかったです。では、素敵な長編をありがとうございます。
2010/01/31 12:23:08