45.5 間章 ~カイトとハク、それぞれの帰路~
すっと陸から風が吹いた。
「……緑の国に、秋がくるな」
そうつぶやいたのは、カイトである。
カイトは、緑の港の沖合に浮かぶ船の上にいた。カイトは、緑の国まであとわずかという所で、黄の国の港から回ってきた船団に、緑の港をふさがれた。使節団として緑の国を訪れる予定だったカイトには、黄の軍船を突破してミクを助けに行けるだけの兵力は無かった。
「青の本国からの援軍は間に合わなかったか」
「は……」
なんと高い技術力を持つ緑の国は、わずか一日で黄の国の物となった。
「せめて一週間、持ちこたえてくれていたならば」
カイトは緑の国の王宮の方角をじっと見つめた。ミクが守っていた王宮には、今や黄色の旗がはためいている。
カイトの脳裏には、つい先日、青の国で行われた自身の成人の儀の情景が思い出されていた。
樹を植える祭で、美しい青のドレスを着ていたミク。ドレスを脱ぎ棄て、男の身なりをして青の民とともに樹を植え、周囲を驚かせたリン。カイトとミクの手をとり、三つの国がずっと仲良くいられますようにと言って笑ったリンが、まぶたに閃いて消えていく。
「あのリン王女が、黄の王と王妃を殺し、リン女王として即位し……」
カイトが声を抑えてうめく。
「ミクを、暗殺した……!」
緑の国から飛んできた最後の鳩は、残酷な事実をカイトにもたらしていた。
それでも、カイトは待っていたのだ。ミクが生きているという情報が、再びもたらされる可能性を。そして、青の援軍が合流するのを。
沖に停泊し、緑の港を見つめ、ずっと待っていたのだ。
その時、ゆっくりと水面に何かが流れてきた。
それは、小舟に乗せられた花だ。大きいもの、小さいもの、木でできたもの、ガラスで出来たもの。さまざまな材質で作られた花が、緑の国の方から潮に乗って次々にたくさん流れてくる。
「あれは」
「カイトさま。乗り出すと危のうございます」
従者がそっと声をかけるが、カイトは構わず小舟の方に身を乗り出した。手のひらに乗るほどの小さな舟たちが、やがてカイトの乗る大きな船を囲んだ。
「これは」
あるひとつの舟が、カイトの目にとまった。カイトの目を引いたのは、灯篭のような骨組みに刺繍の描かれた布をまきつけた舟だった。カイトの視線は波間にゆれるその舟に釘づけだった。
白い布に十の花が、鮮やかに咲き乱れている。バラ、アネモネ、スミレ、エリカ、金魚草。緑の国に咲く花が、波間に揺れていた。
「全部、ミクの好きな花だ……! 」
緑の国に咲く九つの花に囲まれているのは、ミクの好んだ青色で描かれた想像上の花だ。海を渡る緑の民に語り継がれる、海の色をした伝説の花であった。
夏の終りの透き通った海を、花の刺繍をのせた舟が流れていく。沖へと向かう潮に乗るそのはるか彼方に、青の国がある。流れてきた小舟たちはまっすぐに流れに乗り、やがて周囲の青にまぎれて見えなくなった。
「……本当にミクは死んでしまったのだな」
かすれたカイトの声に、従者が痛ましげに視線を床に落とす。
「これは緑の国の王族の葬儀。……もうこれで確定、か」
カイトは、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。そして、言葉と思いをかみしめるように口を引き結ぶ。
「ならば、この状態で、急ごしらえでよこされた援軍を待つよりは、じっくりと確実に軍を整えて、黄を叩く方がいい。青の国の今後にとっても」
カイトは、船べりの陰で拳を強く握りしめた。
「……還るぞ! 」
やおらにカイトは、身をひるがえした。
「これから、忙しくなる。……黄の国の暴挙を止めるのは、我々、青の国の役目だ」
おお、とにわかに船上が慌ただしくなった。
「進路、西へ! 」
波を蹴立てて青の旗を掲げた船は旋回し、まっすぐに帰路へ向いた。
動きはじめた船は、工芸の花を乗せたたくさんの舟に追いつき、そして追い抜いていく。たくさんの花が、国へと帰るカイトの船を見送った。
黄と緑の国のある大陸から吹き始めた風が、追い風となってその帆を押した。
青の皇子を乗せた船が、青の国へと帰っていく。
カイトは、刺繍の花を乗せた舟を思い起こし、つぶやいた。
「ミクは、……ちゃんと愛されていたんだな」
カイトは、もう振り向かなかった。その視線はまっすぐに青の国へ向かっていた。
* *
ヨワネにたどりついたハクは驚いた。
町を覆っていたすえた匂いが消えていた。かわりに、それぞれの家の庭で、火を焚いた跡があった。
「なるほど……」
ハクは、ある一軒の工房に入り、状況を見て納得した。
「黄の兵は、すごいな」
死んでいた職人たちはすべて、ハクたちがしていたとおり、その家の庭に埋められていた。
火を焚いた跡があるのは、香りの強い煙を出す木で、匂いを消すためだと気がついた。
「よく、知っているなぁ……」
自決した者の、墓を作ることを禁ずる。
その命令通り、埋められた場所には石も花も、盛り土さえもなく、きれいに平らに慣らされていたが、その平らな場所に、小物がぽつぽつと置かれていた。
「このペンダント……マルカが小さな頃から持っていたお守りだ」
ハクはすぐに気がついた。
ハクたちが戻ってきた時に、どこにだれを埋めたか分かるように、黄の兵士たちは、埋めた場所に当人と解りそうな持ち物を残して行ってくれたのだ。
「……リア。ユン。おかみさん……親方」
ハクの手が、かつての工房仲間の埋められた土をそっとなでる。
「ハクさん……」
旅を終えた九人の子供たちが、じっとハクを見ていた。
ハクの手は、マルカの場所をするするとなでていた。その手はやがて、すっと引かれた。
ハクの手が、手近に落ちていた石を拾った。そして、その石で、たいらな土の上に文様を描いていく。
「ハクさん。それは?」
尋ねた少年に、ハクは目を上げて答えた。
「マルカの好きだった刺繍の柄よ。彼女はね、スミレの模様が大好きだった。他の柄はまるっきり下手くそだったくせにね」
スミレを描いたハクは、次の場所に移る。
「リアはよく人を描いたわ。私のことは一度も描いてくれなかったけど」
ハクの手は二人の少女を描いた。リアと仲の良かったマルカとユンだ。描き上がったのち、少し悩んでもう一人追加した。加えた一人は、男の子だった。
「ユンはね、新しい模様を考えるのが大好き。ただ勘に頼って勉強しないものだから、お客さんの評判はいま一つだったわね」
ハクの手が、サクサクと模様を彫っていく。みると、すでにはじめに描いたマルカの場所のすみれの絵は風に流されて崩れ始めていた。
「ねえ、ハクさん。消えちゃうよ? 」
「それでいいの」
ハクは土を見つめ、文様を刻んでいく。
「墓を建てるのは、禁止。だから消えてしまっていいのよ。ナユ、」
ハクが、熱心にスミレの絵を見ていた年長の少女を呼んだ。
「ナユ……ちゃん。……もしかして、花の絵、好き?」
ナユと呼ばれた少女はうなずいた。
「うん! これ好き、ハクさん!」
「なら、なぞって覚えてみる? マルカの好きだった柄。マルカは、スミレの造形だけは一流だったから」
はっとナユがハクを見た。
「うん! 」
他の子供たちの目が、あっ、と輝いた。ハクの思いに気づいたのだ。ハクは顔を上げて頷いた。
「土にかいた模様は消えてしまう。でも、何度もなぞって、覚えることはできる。
消えたら、また描き直せばいい。……今度は、自分で。」
ハクの手が、子供たちひとりひとりの胸を指さした。
わあっと頬を紅潮させ、少年が何か言いたげに口を開いた。
ハクはその様子を見て、皆に向かい、にこりと微笑んだ。
「私は、ヨワネの職人たちをみんな、よく知っている。
そして、私の得意は、刺繍。……どう。私に、図案を習ってみる?」
「うん! 」
間髪いれずに、全員が頷いた。
「俺、このユンってひとの模様が好きだ!」
「ねえ! ほかの人のもみんな覚えてる?」
「次行こうよ! 次はどんな人!」
急かされるようにハクは押され、そして再び土の上に屈み、絵を描いていく。
「このひとはね、ここのおかみさん。御主人とは、すっごい大恋愛の上、結婚したって」
ハクの言葉に吸い寄せられるように子供たちが押し合いながらのぞきこむ。
ハクの手元が滑るように動く。
「その人がどんなふうに生きたか、私が絵を描いて伝える。消えそうになったら、子供たちがまた描く」
いい思い出などひとつもなかったはずなのに、語るハクの口調は柔らかい。出来上がった絵を、子供たちが争うようにしてなぞり始める。
「ほら、ひとり一か所だよ。まだまだあるから」
恋人たちの図柄の周りにハクは簡単な蝶の図柄を足した。
「リュイちゃんはこれ」
「うん! 」
小さな子供たちも、次々に描かれる蝶や花の絵柄に、真剣な顔で挑戦していく。
「次は親方のを描くからね、ノルンくん。ちゃんと男の子向けもかっこよく書くから」
それは、ハクを殺そうとした工房主の墓だった。しかし、ハクの表情は真剣だった。
真面目に仕事に取り組んだまっすぐな人柄を表す、少し凝った剣の紋章だ。
「刺繍の工房主にしては、ちょっとカッコつけすぎたかな」
「一周目、終わった! 」
すみれをなぞり終えたナユの明るい声が響いた。ハクは、やったね、とうなずいた。
「上手に描けるようになったら」
ハクの目が、ふわりと和んだ。
「次は、本番の刺繍を教えてあげる。ヨワネをもう一度、工芸の町にしよう。
……私たちの手で。」
もうすぐ夏が終わって秋が来るだろう。しかし、この土地の冬は遅い。雪が降る前まで絵の練習を続ければ、きっとみんな上手くなるだろうなとハクは思った。
「……なんでかな」
ハクは自分の胸に手を当てた。
「……この町の人たちには、ひどい目に、遭わされたはずなのにな」
出来た、出来たと歓声が工房を取り巻いていた。
「よし、次!」
ひさしぶりに明るい声が出た
「! はーい!」
「……ハク!」
一番小さなリュイがハクを見上げて言った。
「ハク、笑ってる!」
ハクは驚いていた。思わず頬に手を当てる。
「本当だ……」
子供たちがその姿を大いにおかしがって、また笑い声が上がった。
丘の上からハクたちの住み始めたヨワネの教会が、町を静かに見下ろしていた。
ハクはふと吹き付けた風に誘われるように、丘の上の教会を見上げた。
ミクが逃がし、ネルが助け。そうして助かったことを、初めて心から感謝した。
秋に向かって高くなりはじめた空を、雲が流れていく。
海に向かって吹く風が、そよりと雲を導いていく。その風は、子供たちの声の響く、元工芸の町ヨワネにも、届いた。
つづく!
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