22.海辺にて 前半
それからのリンの七日間は飛ぶように過ぎた。メイコが当然のように、「民間においてどのような医療が現実的なのか、様子を見たいですから」とレンが入院している薬師の家を見学場所に指定した。おかげで、リンは思う存分にレンに付き添うことが出来た。
「おなかを刃物で切って、針でぬったりして、あんなに痛がっていたのに。痛み止めも3回しか使えないと聞いて、すごく不安だったのに」
青の国で行われている新しい医療『手術の現場と患者の回復』をまさに目の当たりにしたのだった。
レンは、すでに3日目にして起き上がれるようになっていた。そのけろりとした立ち直りぶりに、リンは日々驚きを隠せない。
「損傷が内臓に及びませんでしたからね。消毒をしっかりすれば回復は早いでしょう。ご安心ください、王女さま」
と、麻酔と痛み止めを処方した薬師のボルカが微笑んだ。
4日目以降は、ボルカの家だけではなく、この栄える港街の主要な病院や薬剤工房を見学して回った。近隣の医師や薬師が三十名ほど集まる医師の勉強会も、ガクと共に見学することができた。植樹をした山に近いところにある、青の国最大の薬草園の見学も許可された。
「リン王女様には、ぜひ、良い王様になって欲しいですから、青の国に出来ることがあればぜひお力になりたいのです」
青の皇子カイトがずいぶんと融通してくれたのだ。相変わらず優しい彼に、リンは切なく疼く心を隠して、にっこりとその親切に礼を返した。
「やぁ王女さま。私の道具が役に立ったようでなによりです」
視察が始まって四日目。医師らの勉強会に参加したリンに、レンの手術の道具を貸してくれた街医者が挨拶にきた。
「すみませんね、あの日は早々に酒を入れてしまって、お手伝いできなくて」
「いいえ」
リンは、首をふる。
「あなたが薬師のボルカさまに道具を貸してくれた医師なのですね。手入れも独自の工夫も見事なものだと、ガクが申しておりました」
リンの笑顔に、街医者もほっと笑顔になった。元来気さくな人物のようで、勉強会の間もリンに分かるようにいろいろと青の国の医師の事情を説明してくれた。
「青の国はたしかに、手術の手法は定着している。ただしそれは、流通の整った街の周辺のみで、田舎ではまだまだといったところだ」
「どうして? それは腹を開いたりするのは正直怖いけれども、レンみたいに、刃物で刺されても、生き返る現場をみたら、誰だって信用するでしょう?」
「意識の問題だけではないんだよ」
薬師のボルカが言い、側で聞いていたガクがうなずく。
「薬や蒸留酒が、高価なのだ」
え、とリンが戸惑う。
「そんなに高いものなの?」
「そりゃあもう!」
勉強会の終わりに、一行は薬草園に出た。
集まった医師たちは、植物の間をてんでにまわり、それぞれに立ち止まり議論している。
「ほら、リンさま。ごらんください」
リンが見回すと、たくさんの植物が、区画を区切られて植えられている。
「こちらのね、温かく湿った地方の植物は、われわれ青の国に自生するものです」
ボルカが、その長く白い花を撫でた。
「これが、レンさんを一番最初に眠らせた薬の元ですよ。麻酔の、主成分です」
「これが……」
「『天使のラッパ』と呼ばれている。花の形がそっくりであろう」
ガクの説明を受け、リンが手に取る。
「ラッパのように鳴るのかしら」
「ダメです!」
ボルカが強い調子で怒鳴った。リンはびくりと花から手を離す。
「猛毒ですよ! 子供なら種の数個で死ぬといわれます!」
「ごめんなさい……」
おもわず謝るリンに、ボルカも我に返り、ほっと額の汗を拭った。
「花も葉も茎も根も、すべて毒です。私も、何年も他の医者の処方を見、何件もの症例を手伝った後に使えるようになった草です。……歴史の中で、たくさんの犠牲者が出た、危険な植物です」
ボルカがそっと花と茎を、もとの茂みに引き戻す。
「……それでもね。そうして作られた薬は、今まで助けられなかった人を助けてきた。先のレンさんの怪我も、今までに比べて格段に簡単に治せた。これは、大きいです」
ボルカが、リンの護衛兼医師のガクを振り仰ぐ。ガクもうなずいた。
「私のように町に定住せず、流れて雇われる医師が、青の国で作られたこの薬をだんだんと広めている。」
「……そう。この『テンシノラッパ』で作られる薬は、青の国の誇りです」
一通り話し終えたボルカが先に立って歩き出す。海に面した場所に出た。先ほどとは打ってかわって乾いた土地に、植物が茂みを作っている。
「こちらはね、みな、外国から来た植物なんですよ。水はけがよく、風通りの良い土地に、とても気を遣って植えています」
えっ、とリンは驚いた。
「これ、わざわざ育てているのですか!」
どれも、黄の国では雑草のように扱われている草だった。香りが強く食用にするものもあるが、黄の国ではわざわざ育てるなどしない。道端のものを使うときに勝手に取っていくのだ。
「これ、食べはしないけど、黄の国の町や道端によく生えているわ」
うすい花弁をもつ草が揺れていた。
「ああ、それね、痛み止めの薬ですよ。レンさんにも、術後に飲ませたものです。何度も使うと、意識が薬に飲み込まれて戻れなくなってしまう、難しいものです」
「だから、三回しか使えないと言ったのね」
ボルカはうなずく。
「しかし、この花は、青の国にはなかった。」
ボルカが、優しくリンを見た。
「あなたの国の、黄の国の植物ですよ、リンさま」
ボルカが両手を広げた。
「この海に面した畑の全てが、乾燥した黄の国の植物です」
腕を広げ、海にむかって羽ばたくように語るボルカに、リンは目を丸くしたままだ。
「だって……いくつかは香草だけれど、ほかのは苦かったり、毒があったりして誰も見向きはしないわ」
「それなんです!」
ボルカがリンに向き直る。
「……黄の国は、気候の厳しい土地だけれども、こんなに魅力的な薬草がたくさんある! 一介の町医者からすればね、うらやましいですよ。
ここの薬はどれも高価だ。理由は、黄の国が遠すぎることと、なかなかまとまった量が手に入らないこと。
私の意見を言わせていただけるならね、黄の国で育てて加工して運んでくれたら、どれほど楽になるだろうかと思います。……リン王女様に願うなら、そういうあたりでしょうかね」
ボルカは軽い調子で笑って見せる。しかし、リンには彼の心が届いた。それは、青の国の大きな街で薬師として働いているボルカの切なる願いだ。
そして、わざわざ薬草園に集まり、熱心に議論を繰り広げている医師たちの願いでもあるのだろう。
「ありがとう。ボルカさま。……しかと心に留め置きます。黄の国の、王女として」
病院や医師の勉強会、薬の工房や畑、そして港にて荷揚げの様子や取引のされかたも教わった。瞬く間に、青の国で過ごす最終日がやってきた。
レンは、ゆっくりとだが、杖をつきつつ歩けるようになっていた。最後の日ということで、レンも世話になった薬師ボルカに別れを告げ、本来用意されていた、あの海の見える木造の宿に戻ってきた。
後半へ→
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