6.孤独の戦い

 マスターが作った次の曲は、エレキギターと私の競演によるロックでした。彼は物静かで穏やかな気性ですが、学生の頃からロックのとりこなのだそうです。
 マスターは打ち込んだエレキギターの音と私の歌声を何度も調整しながら、それぞれがもっとも良く響き合い、魅力を引き出し合うメロディを作り上げました。
 とても情熱的で、若々しく、活力に満ちた曲です。私のパートにはやはり歌詞がありませんでした。かわりに合いの手のような不思議な語が楽器と共に私の声で奏でられています。
 マスターの作った一つ目の曲『オリジナル1』を聞いてくれた人たちは、マスターが私を歌手としてではなく楽器として扱っていることを理解してくれました。それも一つの形だろうと。
 良曲だと前よりは再生数が伸びましたが、やはりVOCALOIDの少し変わった使い方に共感する人は少ないようでした。音楽のジャンル自体がポップスではない――つまりポピュラーではないことも要因だったかもしれませんが、とかく、みんな歌声やその声が語る言葉を聞きたがるのです。それで、この歌の意味は何なのか、と。
 ただ、ギターと私のパートのバランスが絶妙だと、ロックを好む人たちからはいくらかの称賛を得ました。力強いボーカルだけに目を奪われるのではなく、エレキギターの歌う間奏にも注目してその演奏にうなる彼らは、歌詞のない私の歌声を一つの楽器として認めてくれたのです。ギターと私のデュエットに拍手をくれましたし、カイトのカメラワークについては少なくとも非難されることはありませんでした。
 パソコンの画面の向こうにいるリスナーたちはマスターの様々なプロデューサー名を考えましたが、誰かが呼んだ「ミク奏者」という呼称がマスター自身は一番気に入ったようです。
 インターネットにつないだパソコンを前に、リスナーの反応をマスターに伝えていた私は、その時にふと思い当たってこんなことを尋ねました。
「マスターはどうして私を買ってくれたの? 女声が欲しかったなら、他にも女の子のVOCALOIDはたくさんあったのに」
 私のそんな問いにマスターは楽器のキーボードから指を離し、私の前にあるパソコンのキーボードをたたいて、その画面に「生きた人間らしくない声だったから」という文字を打ちこみました。
「生きた人間らしくない声って?」
「アニメ声」
 マスターはそう答えて手を止めたので会話はこれで終わりかと私は思いましたが、口数の少ないマスターにしては珍しく、わずかな間をおいてさらにこんな言葉が続きました。
「機械でも人間でもない感じが気に入ったんだ。楽器として面白い。それに、名前が気に入ったから」
 と。
 彼はそれ以上は語りませんでしたが、マスターがどれほど楽器や音楽を愛しているかは、その音を聞けばすぐに判ります。私は曲に合わせて調整された音を聞いて、いかに自分が彼に愛されているかを知りました。彼の愛はそれぞれの音の魅力を引き出すこと。そんな音楽を作ること。
 私はマスターの作る曲を聞くと、体の中のバネやネジがふるえるのが判ります。きっと人間の言葉で言えばそれは、喜びや感動といったものに違いありません。
 私はもっとマスターの作る曲を歌いたいと思いました。
 そして幸いにも、次の曲はこれまででもっとも早く完成したのです。マスターのオリジナル曲三作目(題名は『オリジナル3』)は、『オリジナル2』からわずか三日で発表されました。
 ロックではなかったので前回の曲のようなものを期待していた人たちにはがっかりされましたが、私の声に合った明るい曲調のポップスで、今までで一番人気が出ました。もちろん歌詞はありません。「詞があればもっとのびる」という意見もこれまでで最多数となりましたが、マスターは気にしていないようです。
 しかし四曲目は、なかなか仕上がりませんでした。
 マスターは様々な音を選んではキーボードをたたき、たたき、最後は本当にたたき壊してしまいそうな勢いで、作っては消しをくり返していたのです。
 私にはその音から彼が何かに悩んでいるのが判りました。いえ、何かと向かい合い、苦しんでいるのが判ったのです。
 ですがその何かは私には判りませんでした。
 未練がましく長引いた夏がすぎ、秋が紅の衣を引いて郊外の木々に残った葉を染めては払い落とし、ひっそりと静かな足音をたてて遠ざかっていきます。そのあとを寡黙(かもく)な冬が分厚い北風のコートをひるがえしながらせまっていました。
「もう秋も終わりそうだけど、曲は完成しないね」
 私がそう言うと、カイトは「そうだね」と穏やかに答えます。
「マスターは悩んでるみたい。曲じゃなくもっと別のことで」
 私は無線通信を使ってカイトにそう言うと、お菓子を作っている彼の手元をのぞきこみ、それからその青い目を下から見上げました。
 カイトは判っているというようにそれにうなずいてみせます。
 マスターは曲作りに行きづまって疲れたのかソファの上でお休み中なので、彼の目が覚めたらお茶にしようと、カイトは焼き菓子を作り始めたところでした。 VOCALOIDなのに、すっかり家事が板についているようです。カイトは何でも作れるし何でもできるし、それに何でも知っているような雰囲気を持っていました。
「前にカイトが言ってたのってこのこと? 何かを待っているみたいだったけど」
 私が尋ねるとカイトはかすかに笑ってみせます。今度はうなずいたりはしませんでしたが、それは確かに肯定の笑みでした。
 マスターは三曲目を発表してからというもの、精神的に不安定な状態が続いています。一見しただけでは判りませんが、この数ヶ月で知った日常と比べてみると、普段は落ち着いたやわらかな物腰の彼がいらいらした様子でピアノに向かっていたり、バッテリが切れかかっているかのように落ち込んでいたりと、間違いなく何か大きな壁に突き当たっているのが見て取れました。
 彼は一人で時々、じっと家の中をにらんでいることがあります。誰もいないリビング、空っぽのピアノの椅子、たたずむ人のない窓辺――もう何も見えないはずの彼の目は、私の目には見えない敵をねめつけている風でもあり、またあるいは見失ってしまった大切な何かを探している風でもありました。
「私に何かできることはないのかな」
 ぽつりと私が言うと、カイトはお菓子の生地をこねる手を止めずに「何かって?」と訊き返してきます。
「判らないけど、マスターの手助けとか、負担を減らせるような何か」
「それは難しいと思う。これは彼自身が乗り越えないといけないことだから」
「じゃあ、私には何もできない?」
 そんな私の言葉に初めて彼は作業を中断し、私の顔を正面から見ました。
「君は何かしたいと思うんだね」
「だって、つらそうなんだもん。今のマスターを見ているとね、何だか歯車の間に小石でもはさまったみたいな感じ。私の中のプログラムが何とかしなくちゃって言ってる気がするの」
 私のその答えにカイトはまた静かに笑い、こう言いました。
「それじゃあマスターのそばにいて、あとは彼の望む歌を歌ってあげてくれ」
「それだけ?」
「それが一番必要だよ。自分で立って歩いて行かなければいけない時、孤独な人にはつく杖すらないんだから」
「……カイトは何をするの?」
「僕も同じ、普段通りさ。朝、マスターを起こして着替えを手伝って、食事を作って掃除と洗濯をする。習慣は日常や現実の象徴だからね。見失わない目印なんだ」
「カイトの言うことってよく判んない」
 首をかしげながら正直に私が言うとカイトはまた笑って、
「マスターの声になってくれればいいよ」
 とだけ答えました。
「カイトじゃだめなの?」
「何故マスターが君を買ったか、その理由は本人から聞いたんだろう?」
「そうだけど、カイトじゃだめな理由は知らない」
 作った生地を型に流しこみながらカイトはしばらく黙っていましたが、やがてこう言いました。
「前に君は言ったよね。マスターと僕は似ていると。雰囲気や仕種(しぐさ)が似てきたのはあとからだろうけど、マスターの友達――楽器屋のあの人から聞いた話では、元々僕は、KAITOはマスターと少し似たところがあったらしい。それで、日常のサポートと声の代役として僕を買ってマスターにプレゼントしたんだそうだ。他の友人たちとお金を出し合ってね。だけどマスターは、僕に失った声のかわりの役は望まなかった」
「それだよ、その理由が知りたいの。どうして?」
「僕も知らない。誰も教えてくれなかったから。でも僕はこう思っている。マスターは奥さんと娘を亡くした時、まるで花をそえるように、自分の声を彼女たちと一緒に思い出の中へ永遠に眠らせたんじゃないかって。彼がもっとも愛していると言葉にして伝えたかった相手はその二人なんだから」
「二人ともいなくなったから、いらなくなっちゃったってこと?」
 これにカイトは静かにほほえんだだけでした。うなずきもしなければ首をふりもせず、ただ黙って笑っていましたが、やがてこう続けました。
「もし本当に僕とマスターが似ていて、声も似ていたなら、僕の声がなくしたものを彼に思い出させるのかもしれない。それが気に入らなかったんじゃないかと僕は思う。だけど彼は目が見えないことや、話せなくなったことを悲観したことは一度もないよ。僕が見る限りではね。両方とも受け入れているんだ。受け入れられていないのは別のこと。それが今彼を苦しめている」
「それは何?」
 私の問いにカイトはやはり答えてくれませんでした。かわりに――まるで人間のように一つ息をつき、型に流しこんだお菓子の生地をオーブンに入れてこう話し始めます。
「事故があったあと、マスターは周りが驚くくらいすぐに立ち直ったたらしい。奥さんと娘のお葬式をするまではひどく悲しそうにしていたそうだけど、それからは普段通りに戻ったと聞いたよ。声が出なくなっていたけど、それも気にした風じゃなかった。話しかければ普通に笑うし、機械を通じて冷静に言葉を文字で返した。すっかり受け入れてしまっている様子の彼に、医者は誰もが心配ないと思ったみたいだ。事故で負った怪我が治って退院したあと、国からもらえる金でサポート用のロボットを買って一人で生活するという彼の主張をさほど問題にしなかったのもそのためだ。でも友人たちは立ち直るのが早すぎると心配になった。そして、普通の家事をこなすだけのロボットではなくVOCALOIDの僕を買って彼に贈った。家事全般のプログラムをわざわざ乗せてね。それもこれも、VOCALOIDの方が音声に関しては他のロボットより優れていたからだ」
 カイトはそう言ったあと、少しの沈黙をはさんでまたこう言いました。
「それから二十年ほど、僕らはずっと一緒にいる。僕も、彼が今ほど苦しんでいるところはこれまで見たことがない」
「どうして今なの?」
「それは彼に聞くしかないけど、たぶん答えは返ってこないと思うよ。人間には時間が必要なんだ。タイミングも大事だろう。あるいは特に何もなくても急に思い立つ、なんてこともあるかもしれない。ただその時が今だったというだけなんだ」
 カイトはそう言うと、今度はポットにお茶をいれ始めます。いつの間にか足下に来ていた猫には、専用の器に牛乳を少し分けてあげました。
「カイトはそれを待っていたの?」
「そうかもね」
 機嫌良さそうに器をなめている猫の背をなでながら尋ねた私に彼が返したのは、やはり猫の毛先をなでるような、そんな答えでした。



7.失われた日々へ
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【小説】リトル・オーガスタの箱庭(6)

閲覧数:153

投稿日:2011/09/10 18:56:50

文字数:4,800文字

カテゴリ:小説

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