第六章 遊覧会 パート6

 その後晩餐会はつつがなく進行した。ミク女王も単なる一時的な離席だったらしく、騒ぎが起こってから数十分後には再びその姿を晩餐会会場へと現しており、僅かに不安を感じていた一同を大いに安堵させた。一体何をしていたのかをミクは一切話さなかったが、その件に関しては大した話題にもならずに、やがて晩餐会の閉会の時間となった。一部の貴族たちは夜を徹して飲むつもりらしいが、リンにはその様な趣味はない。早く私室に戻って一息つきたいと考えたリンは晩餐会の閉会が伝えられるとすぐにその場を離れることにした。晩餐会の会場となっている別荘三階奥の大広間から、リンの退席を惜しむ声に包まれながら扉を出る。木造の廊下がリンの歩調に合わせて小さく擦れる音が響いた。階段は別荘の中央部に用意されているから、その場所まで歩き、そして用意されている別荘二階の奥にあるリンに用意されている私室まで歩いてゆくことになった。その私室の扉で待機している人物はレンである。
 「お帰りなさいませ、リン女王。」
 そのレンの態度に、リンは僅かに違和感を覚えた。頬を上気させたレンの姿を見るのはこれが初めてのことだったのである。
 「何かいいことでもあったの?」
 何があったのかを具体的に想像できる訳ではなかったが、レンがリンの為に開けた私室の扉を通過しながら、リンはレンに向かってそう訊ねた。
 「特に、変わったことは。」
 レンがリンの背後からそう述べる。ふうん、と訝しげに返答しながら、リンはレンに向かってこう告げた。
 「あたしが着替えたら、もう一度来て頂戴。」
 なんとなくゆっくり話せる相手が欲しいと考えたリンはレンに向かってそう言った。今から話し始めても構わなかったが、その前にこの窮屈なコルセットを外すことが先だ。
 「畏まりました。」
 深く一礼したレンは、そう言って扉を閉めた。それからすぐに、リンの着替えを手伝う為に数名の女官が入室して来る。レンが手配したのだろう、とリンは考えながら、背中の部分を靴紐と同じように糸一つで縛り付けているコルセットを取り外させ、スカート部分も脱ぐとラフな服装を用意させた。女官が用意した服はネグリジェ、要は寝巻であったが、今更レンにみられて恥ずかしい服装でもないと考えて、素直に白色のネグリジェを羽織る。その着替えが終わってから、リンは女官に退出を促すとともに、レンを呼び出す様に指示を出した。レンならばこちらの心理を推測して、特に指示を出さずとも的確な行動をとってくれるが、他の人間ならばそうはいかない。その行為が終わると、リンは部屋の右端にあるソファーに腰掛けて、のんびりとレンの到着を待つことにしたが、少し飲み過ぎたか、それとも旅の疲労が溜まっていたのか、ふかふかのソファーに腰掛けた瞬間にリンは猛烈な眠気に襲われることになった。そうして僅かにリンの首が船を漕いだ時、私室の扉が軽くノックされた。
 「入っていいわ。」
 ノックの音で目を見開いたリンはそう告げる。入室してきたレンを見ながら、リンは早速とばかりに口を開いた。
 「晩餐会の間は何をしていたの?」
 リンがそう訊ねると、レンは少しだけバツの悪そうな表情を見せてから、諦めたようにこう言った。
 「パール湖の湖畔まで、散策に出かけておりました。」
 「あたしですらパール湖はまだ見ていないのに。」
 僅かに非難の色を込めた声で、リンはそう言った。
 「申し訳ございません。」
 「まあいいわ。どうだった、パール湖は。」
 「暗くて良くは見えませんでしたが、湖に映る月はとても綺麗でした。」
 そこでリンは僅かに視線をリンから逸らせた。よく注意して観察しないと分からない程度に。その行動に何かを感じることがあったリンは、少し意地悪くこう尋ねた。
 「それだけ?」
 その問いに対して、レンの口が僅かに止まる。そして何かを思い出したかのように少しだけ上気した表情を見せたが、ややあって諦めたかの様にこう言った。
 「ミク女王とお会いしました。」
 「ミクと?」
 意外な名前を聞いて、リンは思わずオウム返しにそう訊ねた。成程、晩餐会の途中で席をはずしていたのはパール湖に向かっていたからか。まさかミクがレンと待ち合わせをする訳がないから、出会ったのは本当に偶然だろうけれど。そう考えながら、リンは続けて口を開いた。
 「ミクは一人でいたの?」
 「いいえ、グミ様と名乗る女性と一緒にいらっしゃいました。」
 何かを相談でもしていたのだろうか、とリンは少しだけ考えた。確かグミは緑の国の魔術師だと聞いたような記憶もあるが、どうも定かではない。直接会話した関係ではないから、印象に残っていないのも道理ね、と考えながら、リンは無自覚に一つ、欠伸をした。
 「もう、お休みになられますか?」
 レンが直後にそう訊ねてくる。瞳が欠伸の所為で少し湿ったことを認識したリンは、素直にそうするわ、とレンに伝えた。

 さて、一体どう対処すればよいのだろうか。翌日、パール湖湖畔で開催されたお茶会の中で、桃色のドレスに身を包んだリンの脇に護衛として周囲に注意を向けながらも、ガクポはその様なことを考えた。昨日アクから淡々と述べられたカイト王の父親殺しに関して、どう処理をすればよいのか的確な考えが浮かばなかったのである。このことを直接リン女王に伝えればどうなるかと想像してみる。少なくとも、大混乱が起こるだろうことはガクポであっても容易に想像がついた。せめてルカ殿がいれば相談もできように、とも考えたが、この場にいない人物に救いを求めても仕方がない。そもそも、実の父親を殺す益がどうしてカイト王にあると言うのか。アクの妄言とも考えたかったが、あの娘に限って嘘をつくとも思えない。結局、暫くは私の腹の内に納めておくしかないか、と考えて、ガクポは視線をつい、とカイト王へと向けた。当のカイト王は相変わらずの優しげな瞳で周囲の人間と会話を交わしている。とても父親殺しの表情とは思えない態度であった。それでもリン女王の婚約者であるならばもっとリン女王と接するべきではないかとも考えはするのだが、そもそもガクポの本職は傭兵であり、得意な分野はペンではなく剣である。戦ならば相当のことが無い限り負ける気はしないが、政治となると完全な専門外である。カイト王はカイト王で何か腹積もりがあるのだろう、と喉に小骨をひっかけたような違和感を覚えながらも、ガクポはそう決めつけることにした。そして、視線をカイト王の傍で護衛の任務に励むアクに移す。アクは昨日と変わらずに無表情にカイトの傍に控えているだけであった。それでも隙は全くない。一流の武人に成長したことは一目で分かるが、それは喜ばしいことなのか、それとも憂慮すべき事態であるのか。それすら判別できずに、ガクポは小さく、隣で他国の官僚からの挨拶を受けているリン女王に聞こえない程度の溜息を漏らした。
 「ご機嫌は如何ですか、リン女王。」
 不意にかけられた優しい声に、無意識に地面へと視線を落としていたガクポは顔を上げ、その声の主の表情を瞳に納めた。ミク女王である。今日は純白のドレスに身を包んでいる彼女は、夏だと言うのに一切暑さを感じさせない爽やかな表情でリン女王に向かって笑顔を向けた。
 「普通よ、ミク女王。」
 リン女王が短くそう答える。直射日光を避けるためにパラソルを展開してはいたが、それでも夏の日差しは相当に応えるらしい。そもそも黄の国の王宮はミルドガルド大陸の北方に位置しているから、ミルドガルド南部に位置する緑の国を訪れて暑さを感じない訳がないのだが。
 「そういえば、昨夜レン殿にお会いしましたわ。」
 少し目を細めたミク女王は、唐突にその様に口を開いた。
 「レンから聞いたわ。一体夜のパール湖で何をしていたのかしら。」
 「遊覧会の準備に、少し不手際がありましたので、部下のグミと会話しておりました。」
 リンの言葉を受け流すような笑顔のままで、ミクはそう答えた。
 「レンに不手際が無かったか不安だわ。」
 「何も。むしろ、素敵な殿方だと思いますわ。」
 それは本心なのだろうか。それとも社交辞令なのだろうか。その様なことをリンは僅かに思索したが、どちらでも構わないか、と考えて言葉を続ける。
 「彼が貴族なら良かったのに。ミク女王もそろそろご結婚を考える時期ではないの?」
 リンがそう訊ねると、ミク女王はそれまでの笑顔を途端に暗くした。流石に場をわきまえない質問だっただろうか、とリンが考えていると、ミク女王はリンが全く想像もしていなかった質問を投げかけて来たのである。
 「レン殿は、本当にリン女王の従者様なのですか?」
 「そうよ。」
 こんなことを訊ねて何になるのだろう。リンは思わずそう考えて、少し語気を強めながらそう答えた。それに対して、ミク女王はほんの少し声を落としながら、言葉を紡いだ。
 「そうでしたか。いえ、余りにもお姿がリン女王と似ていらっしゃるので、或いは王族の方ではないかと考えたのです。」
 なんだ、そんなことか、とリンは考え、そして口を開く。
 「良く言われるわ。でも、残念だけどあたしとレンは兄妹ではないの。」
 「それは失礼致しました。」
 最後に、ミクは悲しげに微笑むと、それでは、と言い残してリン女王から立ち去って行った。一体ミクはあたしに何が言いたかったのだろう、という疑問だけがリンの心の片隅に残った。

 それから三日間、遊覧会は当初の予定通りに粛々と進行していった。重要な外交会談はたいていが遊覧会の前半には終了するから、後半ともなると物見遊山が主目的となってくる。晩餐会は毎夜開かれていたが、その都度、レンは別荘を抜け出してパール湖を訪れていた。またミク女王に会えるかも知れないという淡い期待からだったが、その想いもむなしく、その後ミク女王と会話をする機会をついに得ないままに最終日前日の夜を迎えることになったのである。流石に最終日とあって、それまでの一週間よりも盛大な晩餐会が開かれることになった。この日ばかりは無礼講と決まっていて、平民出身であるレンにも特別に酒が振る舞われたのである。女王という立場上酒を嗜む癖をつけているリン女王とは違い、レンにはアルコールを摂取する習慣が無い。ぶどう色に輝く高級ワインを一口含んだだけで途端に身体が暑くなり、夜風に当たりたくなったレンは、相変わらず強張った笑顔で別れの挨拶を繰り返しているリンの表情を眺めた。
 「酔ったの?」
 レンの視線に気が付いたのだろう。不意にレンに視線を移したリンはレンに向かってそう訊ねた。
 「はい、少し。」
 熱っぽい身体から少しでも熱を出したくて、軽い吐息を漏らしながらレンはそう答えた。
 「なら、もう少し待っていて。あたしも夜風に当たりたいから。」
 リンはそう言うと、目の前に現れたもう一人の貴族との談笑を始めた。そう言われれば仕方ない、もう少し我慢するかと考えて、レンはもう一度アルコール混じりの吐息を漏らした。アルコールのせいで、顔が真っ赤になっている気がした。

 その頃、晩餐会会場の別の一角で、ミク女王は自身と同じように長い髪をツインテールにした少女から、一枚の紙を手渡されたところであった。現れたのはアクである。無表情に、無言のままで差し出されたメモ用紙の切れ端を戸惑いながら受け取ったミクは、その紙の上に踊る流暢な筆記体を見て僅かに息を飲んだ。
 先日の回答をお伺いしたく、パール湖湖畔にてお待ちしております。
 カイト
 短く、それだけが記載された紙を見て、ミクは無意識のうちに溜息を漏らしたことに気が付いた。これまで回答を引き延ばすべく、出来ればその話題にならぬように上手くカイト王を避けて来たつもりだったが、とうとう強硬手段に出るつもりになったらしい。その溜息に反応したのか、相変わらず目の前で無言のままミクを眺めていたアクが口を開いた。
 「急ぎと言われた。」
 「ええ、そうね。急ぎの用件よね。」
 それは分かる。が、方針は再度の引き延ばしを行うことしか決定していない。この状態でグミにも妙案があるとは到底思えなかったが、何も相談しないでカイトの元に行くことは不安要素が強すぎる。最後にもう一度グミに相談したいと考えて、ミクはグミの姿を探し求めた。幸いにもグミの姿はすぐに見つけることが出来たので、そのままグミを引っ張る様にして晩餐会会場から二人で抜け出す。人で溢れる別荘の三階で会話することは危険だと判断したミクは、そのままグミを連れて別荘の一階、玄関ロビーまで到達し、人気が無いことを確認してから、ようやくカイト王から届いたばかりのメモ帳をグミに見せることにした。そのメモを見て、グミもミクと同様に眉をひそめる。
 「強硬手段に出られたようですね。」
 メモをミクに戻しながら、グミはそう言った。
 「どうしたらいい?」
 珍しく泣きだしそうな表情を見せたミクは、救いを求めるようにそう言った。
 「落ち着いて下さい、ミク女王。一つ深呼吸して。」
 グミに言われるままに、ミクは大きく呼吸を行うことにした。おかげで、緊張が僅かにほぐれて冷静さが再び蘇って来る。その様子を確認したグミは、続けてこう言った。
 「まずはカイト王の真意をお伺いするまでは回答が出来ないと突っぱねてください。カイト王がミク女王を求める理由は何なのか。ミルドガルド大陸をより住みやすい大陸にするとはどの様な意味なのか。」
 「分かったわ。」
 「そして、全てを聞きこんだ上で、今すぐの返答が出来ないと伝えてください。私の予想では先日申し上げた通り、カイト王はミルドガルド大陸の統一を目指されていると考えられます。事が重大すぎる故に返答しかねる、と。」
 その言葉を聞いた途端に、ミクの心の中の視界が晴れるような気分を味わった。こんな時でも的確な助言をしてくれる軍師の存在はミクにとってはかけがえのないものだったのである。
 「そうするわ。ありがとう、グミ。」
 ようやくカイト王と対面する決心を固めたミクは、それでも固い笑顔でグミにそう伝えると、別荘の扉を開けて一人、闇夜の中を歩き出した。夜風が吹き荒れる。
 まるで嵐が訪れたかのように。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン22 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第二十二弾だよ!」
満「朝早くからまあ・・。」
みのり「情けないことに自分で書いているのに続きが気になって熟睡できなかったのです。」
満「起きたの四時くらいだったからな。」
みのり「遠足前の小学生みたい。」
満「ま、久しぶりの二連休で興奮しているところはあるが。」
みのり「で、実は調子に乗りすぎて次回分も書きあげてしまったと言う訳です。」
満「そういうこと。」
みのり「ということで次回分は十分後位に投稿されます☆」

閲覧数:352

投稿日:2010/03/22 08:00:00

文字数:5,857文字

カテゴリ:小説

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