44.晩夏の葬列 ~中編~
緑の国の王宮に居るリンに、ヨワネや他の職人町の自決の知らせが届いたころ。
ハクは、教会の敷地の隅に立つ、石造りの小屋の前にいた。
その小屋は、北向きの日陰に隠れるようにして立っている。緑の国の夏の太陽は、徐々に高く上り、輝きを増しつつあるが、常緑の大木に隠れるようにしてひっそりと建つその小屋の周りは、うっすらと冷たい風が吹いているようであった。
「……ふう」
ハクは、かんぬきを抜き、古びた木の扉をそっと押した。
わずかにきしんで扉が中へと開く。ハクがしばらく目を細めてみていると、ゆっくりと部屋の中が見えてきた。
壁際に、数着の黒い外套と、革の手袋、そして同じく革製の頭巾があった。頭巾は肩まですっぽりと覆うしっかりとしたもので、口元にも皮の覆いがついている。隅の小卓の上には、いくつかのランタンと、革の手袋、そして蒸留酒の瓶があった。
「……やっぱり、ここだったんだ」
目がだんだんと闇に慣れてきたハクは、部屋の中に入った。外は光に照らされ、気温がぐんぐん上がっているというのに、大きめの石を積んで造られているせいか、小屋の中はひんやりと涼しかった。
ハクの耳を静寂がそっと包み込む。ハクは壁に掛けられた革の服の一着に歩み寄り、小ぶりのものをひとつ手に取った。
「……少し、大きいかな」
ハクが黒い外套に袖を通す。少々肩が余るようだが、袖と丈は十分であった。
ここまで履いてきたスカートを脱ぎ棄て、下袴も小屋にあったものを身に付ける。
厚い布で作られた袴、そして厚い皮の長靴。
薄い下着の上に、ハクは重い黒の外套を着て、革の手袋を手にはめた。そして、革の頭巾をかぶったところで、小屋の外から声をかけられた。
「天使さま? 何をしているの? 」
教会に隠れていた子供たちだった。
ハクは振り向いた。
「私の仕事をするの」
自決してしまったヨワネの職人たちを、弔うこと。それがハクの決めた、当面のハクの仕事だった。
「たとえ良い思い出など無い町であっても、私を自決に巻き込もうとした町であっても、死んでいった人々を放っておくことはできない」
ハクは、そう判断したのである。
「それに」
ハクの目がすっと細くなる。
「逃げ込んだこの教会で、隠れていた子供たちを見つけてしまった」
ハクの思考が現実を直視する。
「この子たちも、放っておくわけにはいかない」
聞くと、もう数日何も食べていないという。
ハクは、一度町へと降りて様子を見に行った。どこも静まり返って、黄の国の兵隊もすっかり去ってしまったようだ。
町の職人たちも、死んでしまったか、去ってしまったか、通りもどの建物も静まり返っていたので、誰かが教会に子供たちを探しにやってくることはないだろうとハクは判断した。織物と工芸の町としてにぎわったヨワネの町は、どうやらハクと隠れていた九人の子供たちだけになってしまったようだった。
「襲われる心配が無いうちに、食糧だけはどうにかしないと」
そしてハクが考えたことが、ヨワネの街に降り、死んでしまった者たちを弔うことだった。
「ヨワネの工房の室内は複雑だから、黄の兵が見つけていない食糧も、まだあるはずよね。なら、少し、分けてもらいましょう」
ただし、ただで分けてもらうのは、真面目なハクにとっては相当に気が引けた。
「ならば、生きる糧を貰うかわりに、亡くなった人たちを弔おう」
今は夏。黄の国の兵が死体の処理をしてくれたとは思えない。厳しい仕事になると覚悟を決めた。
そうして、ハクは、墓守の外套を着込んだのである。先ほどハクが居た小屋は、墓守の小屋だ。革と外套と手袋ですっぽりと身を覆い、蒸留酒を吹き付けて消毒する。それがこの土地の墓守の、仕事のいで立ちであった。
完全防備のいで立ちで外に出ると、容赦ない夏の空気が襲い、汗がどっと噴き出してきた。
「髪、短くしておいてよかった」
ハクの腰には、しっかりとミクの短剣が装備されている。
黒の外套に革の頭巾をかぶって小屋から出てきたハクに、子供たちがびくりと身を引いた。しかし、それも一瞬のことで、おそるおそる近づいてくる。
「天使さま、仕事って何? 」
ひさしぶりに外の空気を吸い、水を飲み、人心地ついた子供たちが興味津々に近づいてくる。ハクが何度「天使ではない、私はハクという名の、ただの刺繍職人だ」と言っても、彼らはハクを天使さまと呼ぶ。朝日に照らされながら白く長い髪を肩口から切り落としたハクは、翼を切り落とした天使に見えたという。彼らにとって、やっとすがることのできる大人があらわれたのだから、その思いもあるのだろう。
「みんな、いい。つらいことだけど、受けとめて。私の仕事は、町の人たちを、弔うことなの」
子供たちが、目を見開き、ハクを見つめた。
「大きい子は、小さい子の手を握ってあげて」
そう前置きして、ハクはすっと息を詰めた。
「さっき街を見に行ったわ。たくさん、人が死んでいるの。みんな、ヨワネの職人たちよ」
子供たちの何人かが短く悲鳴を上げた。
「黄の兵隊がやったの!」
「違うわ。……みんな、自分で死んだの」
十歳にならないくらいの女の子が、ふらりとよろめいたのを、年長の娘が支えた。
「私は、その人たちを、ひとりひとり、埋めてこようと思うのです」
「天使様! 」
少年のひとりが手をあげた。
「僕も手伝います! 」
「私も! 」
「あたしも! 」
頬を紅潮させ、つぎつぎと手を上げる子供たちを、ハクは静かに見つめた。
「……君」
ハクは、はじめに手を上げた少年に問いかける。
「……もしかしたら、君の両親や兄弟が死んでいるかもしれない」
少年は、口を引き結んで頷いた。
「さっきも言ったように、彼らは、自分で死を選んだ。黄の国に自分たちが利用されるよりも、死ぬことを選んだのよ。そして、互いに刃物を刺し合い、ひどい死に方をしている。……状況は厳しいわ。大丈夫?」
ハクの視線が泳ぎ、幼い子らの間をさまよった。最年少の子はまだ七歳ほどだ。このような話をしてもよいのだろうか。
迷うハクへ、はじめに手をあげた少年が告げた。
「何もしないよりは、つらくても現実を知っておきたいんだ」
その言葉に、年長の数人がうなずいた。
「とにかく隠れろと言われ、騒ぎが聞こえ、急に静かになって、天使様、あなたが来た。……神父さんは僕らを守るために隠してくれたんだろうけど、隠れている間、何もわからないし、暗いし、とても、怖かった。だから、今度は」
少年の緑の瞳が、まっすぐにハクを射抜いた。
「僕は、本当のことを見ておきたい」
ハクは、少年を見つめる。少年もハクを見つめる。ふと見ると、九人、全員がハクを強い瞳で見つめていた。小さな子は、大きな子に背を抱えられながらも。
「……わかった。それなら、人数は多い方がいい」
ハクは九人をぐるりと見直し、うなずいた。
「十歳以上の子で、私を手伝いたいと思う人は、……さっきの小屋で、墓守の服を着て」
墓守と聞き、何人かがぎょっと竦んだが、すぐにハクにうなずき返す。
少年が二人、少女が二人の四人だ。
「小さい子は、教会を守って。出来るだけでいいから、焚き木と水を汲んでおいて。夕方、私たちが帰ってきたら、すぐ湯を沸かせるように。気をつけてね」
ハクがにこりと笑いかけると、残る五人のうち一番大きい女の子がうなずいた。
「うん! あたし、九歳だから! 大丈夫! 」
ハクが精一杯の笑みを向けると、あと三か月で十歳だったのに、ちょっと残念かな、と返された。
「ちびちゃんたちを、守ってね。大事な役だよ」
ハクの言葉に、真剣にうなずいたのを見て、ハクは年長組を墓守の小屋へ連れて行った。
「十歳以上、と言ったのは身長のこともあったんだけど」
なんとか小さめの服で間に合いそうである。
「しっかり着てね。それと」
ハクが、革の頭巾と黒の外套の子供たちの前に屈みこんだ。
「これは、祝福」
しゅっ、と蒸留酒の霧吹きを、子供たちに、順に吹きつけていく。
「これで、あなたは、私と同じ。どんな悪魔も取り付かない。どんな事も、恐れない」
四人の子供が、ハクにしっかりとうなずいた。
本当は、蒸留酒の使い道は、墓守の仕事が終わったあとに、消毒として使うものだ。しかし、ハクは、仕事に出る前に使った。
「お酒の香りと効果で、……心に暗示を」
ハクは、逃げてきたヨワネの工房で死体を見たときの自身を思い出した。自分ですら、思い切り悲鳴を上げて逃げて、吐いて泣いたのだ。
「私も、しっかりしなきゃ」
ハクは自分にも蒸留酒をふきつけた。午前の太陽が昇る中で、強い酒の香りが天に昇って消えた。自分についてくる子供たちの額に、そっと頭巾を上げてキスをする。
大丈夫。これで私も、大丈夫。ハクは自身にも言い聞かせた。
「よし。 いくよ」
ハクの後ろに四人の子供が、水や蒸留水、スコップを持って続く。黒の装束の列が影のように教会の丘を降りていく姿は、昼の光に照らされ不思議な夢のように揺らめいた。
いってらっしゃいと叫ぶ年少組の声がだんだんと遠くなっていった。
* *
「近いところから順番にいくよ」
ハクの方針は、まず本当に、自分たちに職人たちの埋葬が出来るかどうかの把握だった。重い墓守の服の下はじっとりと汗にぬれている。頭巾の口を覆う前に、薬草の煮汁に浸した布を巻き、その香りでどうにか目を覚ましている状態だ。
ハクが一軒の工房の前に立った。
「……ここは、いろんな繊維を扱う工房。みんな、口は覆った?」
子供ら四人がうなずくことを確認し、ハクは、糸巻きの看板の下の重厚な扉を押した。
「……!」
一瞬、ハクも良く知るきれいなままの工房に安心しかけたハクだったが、その希望はすぐに断ち切られた。少年たちが口の覆いを押さえてうめき、少女たちが顔を背けてうずくまる。
「……無理だったら、外に出て。無理はしないで」
ハクも気絶しそうになるところをどうにか持ちこたえ、部屋の中をひとまわりし、状況を確認する。
「中庭があるでしょう。準備、出来る?」
本当は教会の墓地まで運んで埋葬するのが筋なのだが、今は女性のハクと少年少女しかいない。墓地まで運ぶことは無理だ。
「出来ることしか出来ないなら、出来ることをしよう」
その家の死者は、その家の庭へ弔う。少年たちが中庭を堀り、ハクと少女が運び、そっと息絶えた職人たちを横たえた。
「……このひとはね、お客さんの好みの風合いの糸を見つけるのが、すごく上手だった」
ハクの手がスコップを握り、土をかけていく。
「この子はね、欲しい色にぴたりと染まる糸を選ぶのが得意だった」
少年も少女も、うなずきながらハクにならって土をかける。
「このおじさんはね、顔は怖いけど、外国の人と上手に話をするのよ。そして、来たお客さんはみんな笑顔で帰っていくの。いい商人でもあったのね」
ハクの話に、子供たちがうなずく。
「……天使様、よく知っているね」
ハクは、頭巾に隠された下で、ふっと笑った。
「うん。……よく、知っているよ」
少年の目が、ハクをちらりと見て、ふっと和んだ。
「やっぱり、天使様は天使様だ。……俺の、おやじなんだよ、これ」
ハクが町を離れてまだ五年。十二歳ごろの少年は、いじめられていたハクのことも知っているのだろう。ハクが、その才能を認められながらも、その白い髪のせいで嫌われていたことを。
「……そう」
埋葬が終わると、少年は、台所から小麦粉や芋や玉葱を運んできた。
「納屋に、野菜の種もあった。教会の畑で使うか」
「ありがとう……いただきます」
ハクと四人の子供たちは、そっと中庭に祈りを捧げた。
「次……あたしの家を、見にいってもいい」
少女がそっとハクに告げる。ハクはうなずいた。
いくつかの工房を回る。空の工房もあれば、ひどい場所もあった。
水を補給しながら、外套の下にびっしょりと汗をかき、厳しい状況ながらもハクと子供たちは弔いを続け、いくばくかの食糧を手に入れた。
そして教会に戻り、湯を沸かして体を洗い、久々にまともな夕食をとった。年少組が干していてくれた毛布にくるまって眠った。
「大丈夫だ。明日も、町へ弔いに出かけよう」
そう決めると、ハクはあっという間に眠りに落ちた。
明け方、気温が上がらないうちにと丘を降り、街道沿いの染色工房から仕事を始めた。しばらくしたのち、働いていたハクたちは、近づいてくる馬の蹄の音を聞いた。
……つづく!
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