第三章 千年樹 パート3

 少し、寝坊したかしら。
 そう思いながら、ミクは寝台から起き上がり、上半身を思い切り伸ばした。心地よく身体が伸び、それによってまだ目覚めていない細胞が活動を開始するシグナルを感じてからミクはベットから降りた。ハクと同じベットに寝ていたはずだが、ハクの姿はない。朝の準備に出かけたのだろうか、と思いながらミクは寝室を出ることにした。寝室の隣はリビングになっている。昨日の深夜に見たハルジオンの花瓶は変わらずにそこにあったが、リビングにもハクの姿は見えなかった。周囲の気配を注意深く探った後、人の気配が無いと判断したミクはそのまま家の外に出ることにした。王宮暮らしが長いミクにはこのような朝の経験が少ない。朝から晩まで必ず誰かが控えているものだから、こうして自由に動き回れる経験はミクにとってはひどく新鮮な出来事だったのである。まずは早朝の清涼な空気を一度吸ってみたいと思いながら、ミクはハクの自宅の扉を開けた。
 うわあ、空気がおいしい。
 外に出て、一つ深呼吸したミクは思わずその様な感想を持った。昨晩感じた真水の様な息苦しさは残っているものの、昨晩程ではない。それよりも、朝露が程良く交じった心地の良く湿り気のある空気が肺を満たしてゆく満足感の方がミクにとっては重要だった。念のためと思い、昨晩馬を繋いだ木を眺めると、愛馬も満足そうに足元の草を食んでいた。今日は王宮に戻れそうね、とミクは考えたが、それはそれで少し物足りない気がする。王宮に戻ればまたいつもの日常が待っていると考えると、少しだけ羽目をはずしたい気分にミクは陥った。少しなら散歩をしてもいいかしら、とミクは考え、足の赴くままに村を歩き出した。そして、ミクは気が付いた。この村の特殊性に。
 全ての村民が緑の髪をしているのね。
 ミクと同じような緑の髪の人物はミルドガルドのそこかしこに存在しているが、緑の髪の人間で統一されている村は初めて見る。一体この村はなんなのだろう、と昨晩から感じている疑問をもう一度考えながら、ミクは村の観察を続けることにした。ミクを見るたびに、村民が奇妙な視線を向ける。珍しいよそ者に対する非難の目かとも思ったが、そればかりではないらしい。一人の同世代に思える女性がミクに近付くと、彼女はミクに向かってこう言った。
 「綺麗な緑髪ね。でも、初めて見る顔だわ。」
 その女性は物珍しいものを見るようにミクの姿を観察した。悪意は感じない。私が本当に久しぶりの外から来た人間だからだろう、と考えながらミクはこう答えた。
 「昨日、道に迷ってこの村に迷い込んだの。」
 「それは大変だったわね。でも私、あなたみたいに綺麗な緑髪に出会ったことなんてないわ。羨ましい。」
 「ありがとう。」
 ミクはそう言ってその女性に微笑みかけた。褒められて嬉しくない訳が無い。非難ではなかったという安堵感も交じりあった、自然に零れた笑顔を見て、その女性が溜息をついた。
 「本当に素敵な人ね。せっかくならビレッジで暮らせばいいのに。」
 「ありがとう。でも、待たせている人がいるから。」
 「そうよね。ごめんなさい、突然変なことを言って。でも、しばらくはゆっくりされるといいわ。ぜひ今度お茶でもご一緒しましょう。」
 その女性はそう言うと、朝の準備があるから、と言って立ち去って行った。いい村ね、とミクは考えて、再び歩み出す。そろそろハクが自宅に戻って来るころだろうか、と考えながら足の赴くままに進んで行くと、水を汲んでいるのだろう、井戸端にいるハクの姿を見つけた。
 「ハク、おはよう。」
 ミクがそう声をかけると、ハクが水を汲む作業を止めてミクを振り返った。
 「おはよう、ミク。よく眠れた?」
 「お陰様で。ありがとう。」
 「良かった。なら、朝食を作るわ。少しだけ待っていて。」
 ハクはそう言うと、水を汲む作業を再開した。木製の桶を井戸の奥に放り込み、滑車に掛けられている麻の紐を引きずり上げる。井戸から引き上げられた桶にふんだんに満たされた水を、桶と同じような褐色を持つ木製のタライに移し替えたハクは、両手でそのタライを持ち上げてから、ミクに向かってこう言った。
 「戻りましょう、ミク。」
 「ええ。」
 ミクがそう言った時である。幼い男児が近付き、ハクに向かってこう言った。
 「ハクだ!シラガのハクだ!」
 無邪気にそう告げる言葉は、その分鋭利な刃を持ってハクに突き刺さる。表情を苦痛に歪めたハクは、逃れるように視線を男児から背けると、ミクに向かって小さくこう言った。
 「・・急ぎましょう。」
 「やーい!白髪のハク!老婆みたいなハク!」
 自宅への道を急ぎ出したハクに向かって、男児が言葉を続ける。ようやく、ミクにも異常な事態であることが把握できつつあった。その男児の母親らしき人物は男児の暴言を止めようともせず、ただ表情を嫌らしく歪めて男児の様子を眺めているだけ。周りには他の大人達がいるが、誰も止めようとしない。送る視線はハクに対する同情ではなく、まるで全員でハクをいたぶるようなニヤケ面。
 「こら!なんであなたはそんなことを言うの!」
 気が付いたらミクは叫んでいた。単純に許せなかったのである。
 「な・・なんだよお姉ちゃん!だって白髪はハクだけだもん!汚い白髪だもん!」
 突然怒鳴られて戸惑ったのか、男児は強がるにそう言った。その様子を見て、慌てたように母親らしい女性が飛び出してくる。
 「あなたがこの子の親ね。躾くらいして欲しいものだわ。」
 ミクが半ば睨みつけるように母親を見たが、母親は意を返す風でもなく、こう言った。
 「ハクを庇うなんて、変な人ね。」
 悔し紛れの様にそう言い残した母親は、男児を連れてそそくさと立ち去ってゆく。その様子を見て、周りで傍観者となっていた大人達も興ざめた様子でそれぞれの作業に戻って行った。逃げるなんて卑怯よ、と思わず叫びたくなったが、流石にそれは押さえた。仮にも一国の女王がこんなところで、しかも平民相手に取り乱す訳にはいかないという理性が優先したのである。
 「ハク、大丈夫?」
 一通りの騒ぎが落ち着くと、ミクはハクに向かってそう訊ねた。その言葉に対して、ハクは小さく、こう言った。
 「・・いつもの、ことだから。」
 そしてハクはミクを振り返ろうともせず、急ぎ足で自宅への道を歩き出した。

 「私がミク女王を見失ったのはこのあたりよ。」
 先頭を切っていたネルがそう言って馬の手綱を引き絞ったのは、グミ達が野営陣地を出発してから小一時間程が経過した頃になる。既に一向は見渡す限りの広い草原から深い森の中へと侵入していた。草原に設営された野営陣地からは鬱蒼とした森林の様子しか確認できなかったが、森に侵入した瞬間にグミは違和感に包まれた。魔術の気配を感じ取ったのである。
 「ネル殿、少し待って下さい。」
 更に森の奥へと進もうとしたネルに向かって、グミはそう言った。これ以上進むと危険だと感じたのである。
 「どうしたの、グミ。」
 馬上から振り返ったネルが不満そうな表情でそう言った。
 「魔術の気配が森全体に満ちています。下手に進むことは危険です。」
 「魔術の気配だって?近くに魔術師がいるのか?」
 「違います。これは・・。」
 まるで森全体に魔術がかけられているみたい。グミはそう感じ、注意深く周囲を観察した。周囲に見えるものは果ての見えない深い森を構成している木々の姿だけ。おそらく私以外の魔術師は近くにいない。この森自体が結界となっているのだろうか。そう考えてから、グミは一度閉じた唇をもう一度開いた。
 「迷いの森かも知れません。」
 「迷いの森?」
 初めて耳にした、という表情でネルが眉をひそめた。
 「そうです。私も噂でしか聞いたことがありませんが、訪れた者を拒む森があると聞いたことがあります。この森の奥には隠された村があり、そこに侵入できないように森自体に結界をかけたという噂です。」
 一つ一つ言葉を選ぶように、グミはそう言った。
 「なら、ミク女王はどうして行方不明になったの?私と同じように森の外に戻ってくるはずなのに。」
 癇に障ったのか、ネルが唇を尖らせてそう言った。
 「何かがミク女王と共鳴した、か・・。忽然と姿を消されたと仰いましたね?」
 「そうよ。」
 「その時、何かの異変はありませんでしたか?」
 「分からない。」
 「成程。」
 ネルには魔術の才能が全くない。その分戦闘力は緑の国一を誇っているが、今だけはそのことが惜しい。せめて私がその時一緒にいれば何かの異変を感じ取れただろうに、とグミは後悔したが、今から惜しんでも時間が無駄になる。グミはそう考えて、もう一度言葉を紡いだ。
 「とにかく、全員ここで待機して下さい。私が詳細に調査をします。何か痕跡が残っているかも知れません。」
 グミはそう言うと馬から降りた。魔術の痕跡を探るには馬から降りた方が都合良いと考えたのである。地面に両足を付けた瞬間に感じた、グミの足から伝わる腐葉土の柔らかい感触は、心地よさよりも一種の気色悪さをグミに伝えた。地に足を付けると違和感がより一層深くなる。軽い吐き気を覚えながら、グミは周囲を注意深く観察することにした。眉をひそめたネルの表情を横目に捕えながら、グミは今いる獣道から一歩、森の奥側面へと踏み出す。そうすると、違和感がより深くなった。
 位相が狂っているわ。まるで、ワープの魔術を唱えた時の様に。
 グミはそう考えて、右手を一つの樹木に向かって翳した。神経を右手に集中させ、五指を開いた右手の隙間から樹木を眺める。その瞬間、景色が揺らいだ。位相のずれ。ワープの魔術と同じ原理がこの場所で働いている。
 「ネル殿。」
 グミは翳していた右手を下ろすと、首だけで後ろを振り返り、ネルに向かってそう声をかけた。
 「何か分かったの?」
 騎乗したまま、ネルはそう答えた。
 「はい。この場所にワープとほぼ同じ原理で働く魔術の痕跡があります。この先に飛び込めば、あるいはミク女王がいらっしゃるかもしれません。」
 「私には何も見えないよ。」
 「おそらく私にしか感じ取れないものでしょう。ですので、ここから先は私一人で追跡します。」
 「無茶を言わないで。一人では危険よ。」
 「大丈夫です。私も魔術師ですよ。」
 グミはそう言って悪戯っぽく笑うと、そのまま位相のずれを発生させている樹木に飛び込んだ。その瞬間、グミの身体を重圧が襲いかかる。まるで台風の最中を突進する小型船に乗り込んだような激しい揺れと酔いを感じながら、グミはそのままネルの目の前から消え去った。
 「仕方ない。全員ここで待機。」
 グミの身体が忽然と消滅すると、ネルは諦めたように部下に向かってそう言った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン⑨ 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第九弾です!ってあれ?」
満「どうした?」
みのり「今日月曜日だよね?なんで投稿してるの?」
満「答えは簡単だ。昨日月末最終日ってことで仕事だったんだよ。」
みのり「うわぁ、悲惨。」
満「で、今日は代休ってことだ。」
みのり「とりあえず休めて良かったのね。」
満「そうだな。ただ、今月は投稿ペースが落ちるかもしれない。」
みのり「どうして?」
満「三月は決算月なんだよ。休みがまともに取れるかどうか・・。」
みのり「きっついね・・。」
満「ま、気合で投稿してもらうしかないな。とりあえず今日はまだ時間が早いし、まだまだ書けるだろ。それよりもいつになったら書き終わるんだ?」
みのり「さあ・・?」
満「大体、なんでこんなに文章が長くなっているんだ?」
みのり「友人にきっついこと言われて。」
満「きついこと?」
みのり「うん。友人に自分のオリジナル小説を読ませたら、こんなことを言われたの。『会話だけでストーリーを勧めるなら漫画の方がいい』って。(リアルの話です・・。by作者)」
満「確かに会話シーンが多い。」
みのり「で、レイジさん心深く反省して、状況描写と心理描写にこだわることにしたの。」
満「だから唸っていたのか。」
みのり「そう。」
満「で、こだわった結果がこれだよ、と。」
みのり「そういうこと。」
満「ま、せいぜい頑張ってもらうしかないな。」
みのり「そうだね。ご覧頂いている方にはご迷惑おかけしますが、長い目でご覧下さいませ☆」

閲覧数:379

投稿日:2010/03/07 09:31:13

文字数:4,452文字

カテゴリ:小説

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