第五章 緑の国 パート1

 ハクがミク女王に仕えるようになってから、瞬く間に一カ月の時間が過ぎ去った。近頃はようやく周囲を観察するだけの余裕を持つようにはなっていたが、これまでビレッジの外へ出たことの無かったハクにとって緑の国の王宮は驚きの連続であった。ミクの統治する緑の国は、ミルドガルド大陸の南東部にある、ミルドガルド三国の中で一番の小国ではあるものの、その城下町は他の二国と比較しても遜色が無い程の規模を誇っていたからである。鳥瞰図で覗き見ると、緑の国の城下町は一番奥に王宮を控えた正方形の形をしている。現代日本で表現するなら京都市がその形に最も近い都市だろう。現代日本に存在する京都市と変わらず、緑の国の城下町の中は、王宮から真っ直ぐに南正門へと向かう大通を中心とした幾多の通りが碁盤の目の様に整備されている街であった。馬車が通過しやすいように石畳を全面に敷いた通りは常に人通りが多く、地方から行商に来た商人や、他国からの外交の使者や、日々の生活用品を求める庶民達で溢れかえっているのである。
 その人通りの激しい大通を、ハクは片手に藁編みの手提げ鞄を持ちながら歩いているところであった。緑の国の城下町を訪れたばかりの頃は街ゆく人の多さに心底辟易したものであったが、最近はようやくその景色に身体が慣れつつある。人は何でも慣れるのね、と考えながらハクはいつも通っている紅茶専門店の暖簾をくぐった。最近はこの紅茶店に茶葉を求めに訪れることが日課になっている。もちろん、ミク女王がアフタヌーンティーとして飲むものだ。
 「こんにちは、ハクさん。今日はいいお茶があるよ。」
 ハクの姿を見た瞬間、店主の女性はそう言って笑顔を見せた。螺旋階段の様に巻いた濃い桃色の髪をツインテールにしている、中年の女性である。
 「いつもありがとう。なら、そのお茶を下さい。」
 店内に充満している芳醇な茶葉の香りを呼吸と共に堪能しながら、ハクも笑顔でそう答えた。最近は自然に笑顔を見せる様になってきている。ほんの一カ月前には考えられなかった現象に微かに戸惑いを感じながら、ハクは手際よく紅茶を包んでゆく店主の姿を眺めた。丁寧に整列している瓶入りの茶葉はその色も香りも全てが異なる。ミルドガルド大陸で生産されている茶葉のほとんどを扱っている、緑の国でも有名な店舗であったが、どうやら店主は全ての茶葉についての特徴を記憶しているらしい。今日のお勧めだと言う茶葉を包み終えると、店主は満面の笑みでハクに向かってこう言った。
 「これはセネガル産の特級品だよ。少し熱めのお湯で汲むと茶葉が開きやすいわ。」
 「アドバイスありがとう、テトおばさん。」
 金銭と引き換えに、テトと呼ばれた店主から持ち運び用の小瓶に包まれたばかりの茶葉を受け取ったハクは、素直にそう言った。テトが「おばさん」と言われた瞬間に笑顔が凍りついたことには、残念ながらハクは気が付かなかったが。

 ハクの王宮での立場はミク女王付き女官という立場であった。本来であるならば厳しい礼儀作法を叩きこまれた貴族の子女にしか付くことのできない役職ではあったが、ハクはミク女王失踪事件の際に功績があったとして、特別にミクの直属女官として仕えることになったのである。果たして王宮女官とはどのような存在かと当初は失神寸前まで緊張していたものだが、拙い礼儀作法でも笑顔で応えるミクに助けられながらハクは日々の生活を過ごしていた。毎日のように行われる女官長による作法指導には正直辟易する部分はあるものの、それ以外の生活は歓喜で満ちていた。ハクのことを初めて美しいと認めてくれたミクはもちろん、グミも、当初はぶっきらぼうだったネルも優しい人間であったからだ。
 今日のミクさまはどんな笑顔を見せてくれるのだろうか。
 そう考えると自然に心が躍る。早く帰ってあたしの得意の紅茶を召しあがって頂きたいわ、と考えながらハクは大通りを北上して緑の国の王宮へと戻ることにした。
 その緑の国の王宮と城下町は堅牢な城壁で区分けされている。緑の国の城下町には城壁が二つあり、一つは城下町全体を取り囲んでいる外壁、もう一つは今ハクが通過した、緑の国の王宮を取り囲む内壁である。その内壁を越えると、数千人は一同に会することができる程の面積を持つ前庭が広がっている。前庭は一面を石畳で多い、中央に大理石で拵えた噴水が配置され、その周囲に意匠を凝らした複数の造形物が設置されていた。その奥、緑の国の城下町最深部に広がる三層立ての建物が緑の国の王宮であった。城と言うよりは巨大な屋敷と表現する方が的確な緑の国の王宮はその部屋数だけでも百を数える。横幅は三百メートルを越え、奥行きは五十メートルに近い。白を基調とした、建築技術の粋を込めて建設された緑の国の王宮はミルドガルド大陸一の芸術作品と評価されることも多い。初めてハクが緑の国の王宮を目にした時はその美しさに思わず足を止め、しばらくの間まるで見惚れたかのように呆然と立ち尽くしたものだった。流石に今は立ちつくすということは無くなっていたが、まるで夢を見ているような気分に陥ることは今もなお継続している。今日もその様な気分に陥りながら、ハクは王宮の正面玄関に足を踏み入れ、王宮の奥へと続く廊下へと足を踏み入れた。厳重な警戒態勢を敷いている兵士がハクに向かって敬礼をする。ミク女王直属女官ということで立場は王宮に仕える他の人間よりも一段上の立場にいると解釈されているようだが、その行為はハクにとっては僅かにこそばゆい。ビレッジの中では間違いなくコミュニティの底辺にいた自分が、今は敬礼を受けている立場にある。人生とは何が起こるか分からないものね、と自身を納得させる為にその様に考えたハクは外観と同様に白を基調とした内装が施されている廊下の最奥、三階へと続く螺旋階段を上り始めた。謁見室も、ミクの執務室も、ミクの私室も全て三階に用意されているからであった。
 この時間ならミクさまは私室で休まれているはずね。
 ハクはそう考えて、ミクの私室へと直接に向かうことにした。ミクの私室には簡単な調理場も用意されている。ミクはいつもハクが紅茶を汲む姿を見たがるのだ。少し緊張するけれど、今日もミクさまの目の前で紅茶を入れて差し上げるわ、と考えながらハクは三階へと上り、左手に向かう廊下を歩き始めた。三階は王族専用のフロアだ。右側は謁見室、左側はミクの執務室と私室という構造になっているのである。そして毎日訪れているミクの私室の前に立ったハクは、一本樫で作られているミク女王の私室の扉をいつもと同じようにノックした。
 「入って。」
 扉越しに、少し籠ったミクの声を確認したハクは扉を開け、ミクの私室へ入室する。窓際にある天幕付きの大きなベットがハクの目にまず留まった。当のミク女王は部屋の右端、本革張りのソファーに腰掛けて、何やら手紙の様な文章を黙読していた様子であった。
 「紅茶をお持ちしましたわ、ミクさま。」
 ミクの姿を見ると安心する。
 いつの間にか身体に刷り込まれていた感覚を味わいながら、ハクはミクに向かってそう言った。
 「ありがとう、ハク。丁度詰まっていたところなの。」
 ミクは季節を外した、苦みの多い紅茶のような笑顔を見せながら、ハクに向かってそう言った。
 「何か難しい問題でも?」
 ミクの私室と続きになっている小部屋に向かいながら、ハクはそう言った。その小部屋が調理室となっているからである。
 「少し、ね。せっかくだから、お茶を飲みながらお話しましょう、ハク。」
 報告書をソファーの目の前に用意されているガラス造りの机の上に丁寧に置いたミクは、僅かだけ疲れたようにそう言った。一体何事だろう、と怪訝に思いながらも、ハクは素直に頷くと調理室へと入室した。

 「明日、青の国のカイト王が来られるわ。」
 紅茶を淹れ終わり、ハクが私室の中央にある、白一色のテーブルクロスに覆われた広めの樫造りのテーブルに淹れたての紅茶を置くと、ソファーから立ちあがったミクがそう言った。そのまま、紅茶の目の前の椅子に着席する。その様子を確認してから、ハクはミクと向かい合う位置に自身の分の紅茶を置くと、ミクに続いて座り心地の良い椅子に腰を落とした。そして、ミクに向かってこう答える。
 「カイト王が?」
 「そう。お忍びで。」
 苦笑いしながらミクはそう言うと、ハクが淹れたばかりの紅茶を手に取り、紅茶の香りを楽しむかのように沸き立つ湯気を暫くの間、その形のいい顎に当てた。
 「お忍びですか。一体どのような用件なのでしょうか。」
 ハクはそう答えながら、自らも紅茶を手に取る。濃く透き通るお茶の色がハクの瞳に投影された。
 「おいしい。」
 ミクはハクの言葉に直接答えず、一口紅茶を含むとそう述べた。その言葉に安堵したハクは、つられる様に一口紅茶を含んだ。今日も良くできたわ。自身で淹れた紅茶に対して、ハクはその様な評価を下した。
 「ハク、私の話の前にこの手紙を読んでくれる?」
 一旦紅茶をテーブルに戻したミクはそう言って、先程から読んでいた手紙をハクに手渡した。右手を差し出してその手紙を受け取ったハクはそのまま流暢な筆記体が連なっている文章を読んだ。ハクが読んでいて頬を染める程度に恥ずかしくなる恋文であった。簡潔に要約すると、ミク女王にお会いしたく、吉日を選んで緑の国の王宮へお伺いする、ということである。手紙の最後には本文よりも少し格好付けたようなサインがあった。当然、カイト王のサインである。
 「ミクさまはカイト王と恋仲でいらっしゃるのですか?」
 手紙から目を離したハクはその様にミクに告げた。詳しいことは分からないが、青の国のカイト王は容姿端麗かつ優秀な人物であるという噂は聞いている。恋仲であるなら良いことであるという気がしたのである。しかし、そのハクの言葉に対してミクは苦笑しながらこう答えた。
 「残念だけど、そんな関係ではないの。」
 「違うのですか?」
 「そう。個人的には尊敬できるけれど、恋人となるとちょっと違うかな。」
 「はあ。」
 曖昧に、ハクはそう頷いた。男女の心の具合というものはハクにはどうにもよく分からない。今までまともな恋愛を経験していないせいかも知れなかった。
 その後、二人はカイト王の話題を終え、いつものようにハクが城下町の報告を行うことになった。滅多なことが無い限り王宮から外出できないミクの代わりに、城下町の様子を報告することもハクに与えられた役目の一つとなっている。今日も平穏無事な一日だったと最後を纏めると、ミクは安心したように頷いた。そしてハクが退出しようとした時、ミクがハクに向かって追加の指示を出した。
 「ネルと、グミを呼んで。執務室にいるわ。」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン⑬ 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第十三弾です!」
満「紅茶店の店主・・。テトって・・。」
みのり「完全にネタだよね。」
満「どうして敢えて登場させた?」
みのり「えっとね、レイジさんからコメントが来てます。『営業で外回りしている時に不意に思いついた。不可抗力。』」
満「・・。テトはこの後も登場するのか?」
みのり「今のところ登場予定はないかな。ただの一発ネタだし。」
満「余計なことを。ついでにもう一つ余計なことをしてるだろ。」
みのり「うん。気が付いた人いるのかな?実は第三章の章タイトルがさりげなく変わっています。」
満「第三章が本来『緑の国』というタイトルだったんだが、それが『千年樹』に代わっているんだよな。」
みのり「うん。で、今回から始まった第五章が『緑の国』というタイトルになっているの。」
満「どうしてまた。」
みのり「第五章の的確なタイトルが『緑の国』以外にどうしても思い浮かばなかったから。」
満「勢いだけで投稿するからこうなるんだ。」
みのり「そうだね。ということでお読みいただいている皆様にはご迷惑おかけしておりますが、是非次回投稿も宜しくお願い致します☆続きは今日中に投稿される予定です♪」

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投稿日:2010/03/07 10:26:35

文字数:4,439文字

カテゴリ:小説

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