22. 海辺にて 後編
いろいろなことがあったというのに、波は相変わらず穏やかに砂浜に打ち寄せている。
ゆっくりと沈んでいく太陽に、静かにやってくる夜の涼風。何も変わらない青の国の夏の夕暮れだが、月の形だけが変わっていた。
メイコ、ガク、そしてリンと杖をついたレンは、青の国から見る最後の夕焼けを見に、砂浜に下りた。
「……終わりましたね」
「……ええ。……本当に、いろいろなことがありましたね」
メイコの問いかけに、リンはうなずく。
「とくにレンはね!」
「おっ……王女様!」
レンが思わず情けない表情をしたのを見て、リンは声を立てて笑った。
「冗談よ、レン。おかげで、というのもおかしいけれども、得がたい経験を得ました」
それはリンの本心なのだが、レンにとっては切なく胸を刺す大人の言葉に聞こえる。
「申し訳、ありませんでした……晴れ姿のお手伝いも出来ず、勝手にご迷惑をおかけして」
「聞き飽きたわ! 一千回も言ったのではなくて? ちょっとお黙りなさい!」
リンが明るく高飛車に言い放った。レンは真剣に謝罪したのだが、リンの声の調子は笑っている。
「まったく……あたしが王位を継承して大正解よ! 本当はレンの方が賢いのに、レンはなぜか本番に弱いのよね、昔から」
ぎょっと目を丸くしたのはメイコだ。ガクと顔を見合わせる。砂浜を慌てて見回すが、幸いなことに誰も居ない。
「何、驚いているのよ、メイコ。ガクも、ホルスト卿から聞かされているのでしょう? ……内輪だけになれるのは、これで最後よ。明日は船の上。黄の国に着いたらいつでも人の耳がある。……こんなときだけは、素直でいさせてちょうだい」
思わず口を押さえたのはメイコだ。
「何、泣きそうな顔をしているのよ、メイコ」
「いえ、いえ……まるで……」
「王位継承権が決まる前のあたしみたい?」
そういえば、政務から解放され、宿に戻った後は、リンは自身を『あたし』と呼んでいる。メイコが声も無くうなずいた。
「そうよね。あたしは、レンとふたりで王になるものだと思っていた。……お互い違う伴侶を見つけても、二人で黄の国を支えるんだと思っていた」
ガクがちらりとリンに視線を飛ばす。ふらつきかけたレンを、ガクの手が肩を押さえて支えた。
「たった、4年前よね。あたしもレンも、10歳だった。そのころは父上も母上もすっかりご様子が良くなくて……そして、あたしだけが、王になれと言われた」
リンが、挑むように水平線を見つめた。この海のかなたに、彼女の国がある。
「メイコも驚いたわよね。ふたりで王になれと育てていたのに、いきなりあたしだけに継げなんて。話をきいても父上も母上も『そうせい』と言ったと、諸侯たちが言い張るばかり」
「理由は、今なら分かる」
リンが目をすがめて、水平線をにらみつけた。
「今、黄の国は、諸侯たちのものだわ」
リンが王家の女として、他の国に嫁げば、4年前に継承権を放棄したレンよりも、諸侯のだれかにその権利が移る。それはおそらく、対外貿易で栄える港を領地に持つ、ホルスト卿だろう。
「……正直、この状況で王として立つのは骨が折れるわ。でも、あたしは、黄の国をもっと強く、もっと豊かにしたい!」
リンが力強く宣言して、あっけに取られていた三人を振り返った。
「今回の旅で確信したわ! あたし、将来必ず強い王になる! 黄の国を、青の国に負けないくらい良い国にしてみせる! その手がかりを、あたし、今回掴んだと思うの!」
ガクが微笑んだ。
「薬草、か」
「うん!」
思わず素のままでうなずいてしまったリンに、レンの方が頬を紅潮させた。
「だから、メイコ、レン、……ガクは流れの医者だからまた旅に出てしまうかもしれないけれど……これからも、宜しくお願いいたします」
ふわりとスカートを持ち上げ、リンが深く礼をした。三人のほうが慌ててしまう。
「もちろんです、リンさま!」
「僕も、これからもずっとお側で支えていきます!」
「そうよレン! しっかり付いてきなさい! あ、時々あたしのかわりに女王やってもらうかもしれないわね!」
本番に弱いと称されたレンが青くなって首を振るのをみて、リンもメイコも、ガクさえも笑った。
「では、そんなおふたりには、息抜きと激励をこめて、これを贈ろう」
ガクがたもとから取り出したのは、コルクの蓋のついた小さなガラスの薬瓶だった。
「なあに、ガク。これ……」
レンの痛み止めの薬が入っていた瓶じゃない。そういいかけたリンに、ガクがそっとしゃがみこんで視線を合わせた。
「この港町には、言い伝えがあるそうだ。……この瓶に、願い事を書いた紙を入れて海に流すと、その願いは、何年かかっても必ずかなう」
リンの目が輝いた。ガクがそんなリンに向って微笑んだ。思いがけないガクの提案に、レンも、ついに興味に負けて瓶を手に取る。
「今回、おそらくリン殿は、結婚相手を手に入れる以上の成果をつかんだと私は思う。その、祝いのようなものだよ」
「ありがとう、ガク……」
青の皇子をものにするという本来の任務は失敗したのだ。ガクの気遣いがリンの心に温かく落ちた。
「ほら、紙なら薬を包む紙がある。水をはじく紙なのだ。われわれ医師が使うこのインクを使えば楽に書ける」
リンもレンも、一心に紙に向った。リンが書き終わり、レンにペンを渡す。リンはいろいろ迷ったようだが、レンはすぐに書き終えた。
「われわれも。さあ、メイコ殿」
「えぇ、私もですか? ガクせんせ?」
それでも苦笑しながら紙を受け取ったメイコは、少し悩んだのちさらりと書き終えた。ガクも最後にちゃっかりと書いている。
「では、皆。こうして、海に向って投げるのだそうだ。……それっ!」
ガクとメイコとリンがいっせいに投げた。ガクの瓶が一番遠くに放物線を描いて落ちた。メイコとリンはほぼ同じ距離に落ちた。
「成長したでしょ? あたし」
得意げに笑ったリンに、メイコは微笑んだ。
「……レンは?」
「……僕は……このまま持って帰ります」
リンが駆け寄った。
「投げる動きで、おなか、響くんでしょ」
と、リンの手がレンの手を取った。レンの手がわずかに震えた。
「いっしょに、投げてあげる」
「え、あ、そんな」
レンの後ろから重なるように、リンはレンの手を瓶ごと握った。リンの顔がレンの間近にある。見れば見るほどそっくりだなと、レンは思った。リンがレンの手をとり、ゆっくりとした動作で振りかぶる。
「それっ!」
レンの痛みを気遣って、ゆっくりとリンが腕を振った。それでも、上手く投げたのか、ふたりの手から離れた瓶は、夕焼けに光りながら弧を描いて海に落ちた。
とぷん、と音がし、ぷかりと瓶の首が浮いた。しばらく漂っていたけれども、やがて岸から離れ始める。
「リン殿。よく見ていたな」
「えへへ」
ガクに誉められ、リンが照れ笑う。
「レン殿。メイコ殿。ほら、レン殿の瓶が追いつく。……離岸流に乗ったのだ」
浜辺に打ち寄せる波が、わずかに弱いところがある。そこが、離岸流だ。岸から離れていく水の流れの束なのだ。
「あたしたちの願いが流れていく……」
リンはじっと目を見ひらいて見つめていた。隣でレンも、真剣に瓶の行く先を見つめていた。二人の横顔がこの日最後の太陽に照らされて輝いた。
やがて瓶の姿が見えなくなり、誰からともなくため息が漏れた。
「ねぇ……レンは、何を願ったの」
「内緒ですよ。リンさま」
少し間を空けた後、答えたレンが、ふわりと笑った。あ、とリンはわずかに驚いた顔をする。
「レンの本当の笑顔……ひさしぶり」
ガクとメイコが、そのやり取りを見守っている。
「ねぇガクせんせ。あなた、本当にあの狸親父のホルスト卿に雇われたの?」
「そうだが。……なにかおかしなことでもあるか? 元気のないものを元気にするのは、医者の役割であろう? そして、王女を元気な状態で国に帰すのは、護衛の役割であろう?」
メイコはおもわず笑ってしまう。
「ほんとうに、あんたが護衛でよかったわ!」
明日から、いよいよ船に乗り、黄の国への帰路につく。いまごろ、王女不在の黄の国は、どんな様子なのだろう。
見えない未来の不安を吹き飛ばすように、メイコは海に向って笑った。思い切り砂を蹴って笑った。
日も暮れ、建物に戻る一行に少し遅れてレンはついていく。
「言い伝えって、すごいな」
レンは、立ち止まり、そっと手の甲を撫でた。それは、瓶を投げるときにリンの手と重なった場所。まだ温かく感じるのはおそらく気のせいだろう。しかしそれでもそう感じるのは、きっとあったかい気持ちになっているためだとレンは思った。
「まだ海に流す前だったのに、僕の願い……叶っちゃったよ」
もしも、願うことができるならば。
リンを『子供』でいさせてください。ほんの一時でも。
「僕らは、14歳なんだ。まだ」
でも、彼女は王女。僕は召使い。子供でいることは許されない。
「もし、これから一生叶わない願いだとしたら、せめて生まれ変わった後でもいいから」
『もし生まれ変われるならば、そのときはまた、遊んでね』
少し躊躇したが、4年ぶりに、敬語を取り外した。誰も見ることのない思いを瓶に閉じ込めて海に流す。少し寂しい風習だなとレンは目を細めた。
「レン。一緒に投げてあげるよ」
リンの声が脳裏によみがえり、思わず立ち止まって息をつく。吐き出した息に、思いの全てを乗せた。
「リン。……僕の願いはきみの幸せだ。僕の夢はもう叶ったから」
灯りの燈る宿を見つめ、一度だけ潮騒を振り返った。
「……今度は迷わずに君の願いを、僕の願いとして応援する。青の国での思い出はすべて、今、青の海へ流したからね」
レンは杖をつき、皆の後を追いかけた。その青の瞳には、まっすぐに、リンの姿のみが映っていた。
続く。
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