壊れても直せるから壊れてもいいだなんて思える次元はとうに過ぎた。 一つ壊れるたび胸を痛めて、二つ壊れるたび悲しみが襲う。 人ではないとわかっている、理解している、納得している。その上で彼らを「壊れても直せるもの」とは思えなくなってしまったのだ。 この複雑な心中は誰にも理解してもらえないだろう。
人ではないものを、人のように愛し。
人のように愛して尚、人だとは思わず。
ならば私はきっと彼らの心を愛しているのだろう。機械の体に心など宿らないと言うならば、血肉の塊の中にだって心という部位は無いのだから。 もう私は彼らを「ボーカロイド」の一括りですませることなど出来ない。本気で守る気になってしまった。無慈悲な破壊者に、これ以上壊させるわけにはいかなくなってしまった。
* *
清水谷に紹介された女性の家は、彼の家よりは小さいものの洗練された外装で、どこか異国の雰囲気に包まれていた。白塗りの外壁。エンブレムを模った黒い柵の奥に見える青々とした大きな木と、可愛らしい花々に囲まれた広い庭。 普段ならその家を見て金持ちの贅沢な手の行き届いた屋敷だと思うが、今はどうも不気味にしか思えない。
チャイムは鳴らさずに柵をくぐり、木の影に隠れながら家の中の様子を探る。しんと静まり返った家の内部。争う物音も聞こえないし、ボーカロイドを破壊する荒々しい破壊音も聞こえない。窓ガラスだって割られていない。ため息をついて玄関へ戻り、まさかなと思いながらノブを掴んでひねる。
――― ぎい。
滑稽なほどあっさりと、押した扉は静まり返る家の中へと飲み込まれた。 体のバランスを崩して慌ててカイトの服を掴み、転んでしまわないよう持ちこたえる。 誰より何より大きな音をたてて来訪をアピールしてしまったどうしよう。咄嗟に周囲を見回したが、やはり人間がいそうな様子はなかった。体勢をたてなおし、今度こそ慎重にこっそりと家の中へと入る。
「…あのー、さきほど、お電話差し上げた者ですけどー…」
素足が踏んだ床板がぎしりと軋む。こんな豪奢な家でも床は軋むのかと意味のないことを考えながら、無意識のうちにカイトの服ではなく手を掴んでいたことに気がついた。 不安と緊張で汗ばんだ私の手とは違い、ボーカロイドの手はひんやりと冷たくやわらかい。 その冷ややかさが私の思考回路に冷静さを促した。
足先が踏むたび軋んだ音が響く。 その時、ぎし、と不意に、私達ではない別の場所から同じような床を踏む音がしてぎくりと体が強張る。
「…レン?」
過去、一度だけ受けた仕事で接したボーカロイドの片割れ。その時はただただ共に働く男と依頼者への苛立ちでボーカロイドに関して深く考える余裕などなかった。ただただ仕事を済ませてしまいたい、その一心で、彼らとそう接することもなかった。 だが今になってようやく思い出したのだ、リンとレンが楽しげに歌う様子を、交わす笑い声の無邪気さを。 沈黙はばらばらになったレンを想像させ、背筋が冷えた。
「レン、いるなら返事を―――」
「―――若草さん逃げて!」
高い声が沈黙を切り裂いた。咄嗟に声の方を見る。開かれた扉から見える切り取られた地獄絵図。磨き上げられたフローリングにはおよそ似合わない赤が鮮やかに広がり、白く細い腕がだらりとその赤の中に浮いている。その絵図の中央に配置されているのは輝く金髪を持つ小柄な少年。肩と腕の接合部が外れ、コードの束がだらりとむき出しになっている。澄んだ碧眼を零れ落ちそうなほど見開き、正面を―――私を映す。
地獄絵図は不意に黒に消えた。何度も映像で見た黒い「破壊者」―――「殺人犯」―――が、目の前に飛び出してきたのだ。黒い顔面マスクにサングラス、黒い服装、黒い手袋という滑稽なくらい完璧に肌を隠した姿で、赤色に濡れた銀のナイフを手に、して。 画面の向こう側の理解出来ない犯罪者が今まさに目の前にいるという現実が理解出来ずに凍りつく。逃亡までの経路を塞ぐ邪魔な女を排そうと、黒ずくめの男は腕を振り上げた。
割って入ったのは青だった。くるくると変わる視界の中の色。黒が青を跳ね飛ばし、青が白い壁に叩き付けられて、再び黒が銀色を振りかざし金色が悲鳴じみた声で私の名前を叫んで―――
「どうして、」
零れ落ちた声は掻き消され黒でも青でもなく鮮烈な赤がその場に花開く―――はずだった。 だが銀色のナイフは空中でぴたりと動きを止め、まるで誰かが時間を止める魔法でも使ったかのように、黒い男の動きは一瞬停止した。色の濃いサングラスに映り込む、青ざめた顔の私。 一瞬の隙をついて青は―――カイトは体勢を立て直し、黒い男に思い切りタックルを仕掛けた。
男は倒れこそしなかったが不意をうたれ白い壁に叩きつけられる。 ちッ、と明らかな舌打ちをして私とカイトに背を向け、玄関の方へと走り出す。 追おうと思いはしたのだが、一歩踏み出した途端に腰が抜けてそのまま廊下に座り込んでしまう。慌ててカイトが駆け寄り、怪我は無いかと目を走らせた。
「常磐、大丈夫、怪我はないから。 大丈夫だよ」
「………、早く、救急車…。彼女、まだ助かるかもしれない」
ちらと視線を向けた先の赤い水溜り。あれだけの出血量で助かるのかどうかはわからないが、死を認めてしまうよりはマシだ。 外れかかった腕をぶらさげながらレンがゆっくりとした足取りで近づいてきて、私の隣に座り込んだ。
「…守れなかった」
「………」
「電源、切ってたんだ。前の晩から。電源が入れられて、目の前のあの黒い男がいて、マスターは、…マスターは、もう、」
「…レン。あなたは悪くないよ」
もっと早くに、犯人はボーカロイドが欲しいのではなく、「破壊」することを目的にしていると気づいていればよかった。今日ではっきりした。彼は政治に不満を持っているわけではなく、単にボーカロイドを壊したかった、そしてそのための障害を排除しているに過ぎないのだ。
顔をうつむけた少年は今にも泣きそうに見えて、私はただ、悔しさに唇を噛締めながら彼の肩を抱くしか出来なかった。
To Be Next .
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ご意見・ご感想
雨鳴
その他
こんにちは、雨鳴です。
読んでいただいてありがとうございます!
ここ最近はシリアスが続いているので色々しんどいやもしれませんね…!
ヘルフィヨトルさんもドライアイでしんどそうですが(汗)
どうぞ無理のない程度にお付き合いくださいませ…!
2009/08/16 14:58:32
ヘルケロ
ご意見・ご感想
はぁはぁ
こっちがこの緊迫感に荒い息をあげてしまいました!
「ドアが開いた」時にようやく電話が切れた理由がわかってとたんに息をのみました
もうシリアスすぎて読むのが怖いです
でも、止まらないですw
ああ、ドライアイの目が痛い^^;
2009/08/15 12:27:49