シャカシャカと微かな音が聞こえる。すぐ隣でめーちゃんがヘッドホンで音楽を聞いているからだ。どれだけ小さな音で、音洩れを気をつけていても、無音の部屋では僅かに聞こえてしまう。…まぁ、外じゃないから音量を気にする必要もないし、それなりの音量なんだろうけど。
手に楽譜を持ってふんふんと音を確認しているめーちゃん。この間貰った新曲だろう。まだ聞かせてもらってないからどんな曲かは知らない。でもやけに難しそうな顔してたから、めーちゃんの苦手なジャンルなのかもしれない。
耳をすませて洩れてくる音を聞き取ろうとするけど、流石に曲の雰囲気まではわからなかった。一応、耳に自信はあるんだけどなぁ。
諦めて息をつく。俺はつい最近新曲を歌ったばかりで、今はお休み。せっかく滅多にない休みなのに、めーちゃんが仕事だなんて。
本当はめーちゃんの収録はもうちょっと先で、今日だって好きな事をしていいはずだ。でもめーちゃんは歌うことに誇りを持っているから、仕事に手抜きなんて出来ない。だからギリギリまでちゃんと練習している。今回みたいに苦手な曲なら尚更。
俺だって仕事は誇りだし、手なんか抜かない。練習もする。だけど……。
…退屈だなぁ。
めーちゃんは曲ばっかりで、全然俺の相手をしてくれない。仕事に一生懸命なめーちゃんが好きだけど、やっぱりつまらない。
仕事だからあんまり邪魔する気にもなれない。仕方ないと自分に言い聞かせながら、今の時間まで過ごしてきた。でもそろそろ限界も近い。すぐ傍にいるのにお喋りすら出来ないなんて。
「…めーちゃん」
隣にいるめーちゃんに呼びかける。予想はしてたけど、耳元で曲が流れてるからめーちゃんには聞こえていないようだ。一心不乱に楽譜を見つめてる。
…こっち見てよ、めーちゃん。
なんだか悔しくて、正面に回り込んでもう一度名前を呼んだ。流石に場所を移動したからめーちゃんは俺に気づいた。目線が合う。でもそれは一瞬の事で、すぐにめーちゃんは楽譜に視線を戻してしまった。
……悔しい。
今、鏡で自分の顔を見たらむすっとしているだろう。それがわかるぐらい悔しくて、つまらない。
相変わらずめーちゃんは音楽に意識を向けている。俺は眼中にないようだ。
「めーちゃん、あんまり相手してくんないと、襲っちゃうよ?」
言うも、返事はない。いつもなら「馬鹿」って一蹴されるのに、それすらもなかった。多分聞こえてないんだろうな。音楽に夢中だし。
…ほんとに襲っちゃうよ?
曲に意識が向いてるめーちゃんは、いつになく隙がある。押し倒すぐらいなら出来そうだ。
どうしようかな。冗談半分で自問する。
正面から見ためーちゃんは、ヘッドホンによっていつもは降りている髪が後ろに流れて、普段と違う雰囲気だった。綺麗な顔のラインがはっきり見える。
めーちゃんは髪が短いから結んだりしないし、ピンも似合わないからってつけない。だから些細な髪型の違いがやけに新鮮だ。正直、めっちゃ可愛い。
「……男は狼なんだよ、知ってる?」
聞こえないのを承知で呟く。
けれどもそういう時に限って何かを感じたのか、めーちゃんは俺を見た。そして。
笑った。
一瞬で理性が飛び、めーちゃんを押し倒す。体制を崩しためーちゃんは後少しで床につきそうなところで倒れるのを止めた。
身を乗り出すとめーちゃんと顔が近づいた。驚いた様子のめーちゃんが目の前にいる。
「めーちゃ…」
名前を呼ぼうとした時、唇に何かが触れた。思わず口を閉じる。
少し顔を引くとめーちゃんの細い腕が伸ばされているのが見えた。腕の伸びる先は俺の顔。唇に触れているのはめーちゃんの指だった。
黙っていろと言うことだろうか。
呆然としながら動かずにいるとめーちゃんはそのまま視線を落とした。
…このまま待機って酷くない!?ちょっと、めーちゃん!
まさかの事に俺の身体は硬直する。けど、楽譜を見つめるめーちゃんは気にせず鼻歌を歌っていた。
鼻歌と、微かな音洩れ。それ以外音の無い状況が数十秒続いた。
そろそろ体制的に限界が近づいてきて、背骨がピキピキ言い始める。でもめーちゃんをここまで押し倒すなんて滅多に出来ないし、勢いで倒しちゃった手前、引くに引けない。
と、不意にめーちゃんが俺を見る。音の止まっていないヘッドホンを外し、めーちゃんは口を開いた。床に置かれたヘッドホンから行き場の無くなった音が空気中に霧散する。
「………何?」
何って…。
「めーちゃんこの状況何とも思わないの!?襲われてんだよっ」
襲ってる俺が言うことじゃないけど、思わず口から出てしまった。
でも俺の言葉にめーちゃんはあっさりと返す。
「あんたにそんな度胸があるとは思えないけど」
素敵なぐらいいつもと同じ表情。曲を聞いてる時は真面目で真剣な顔だったけど、今はくだらない、と言っているような表情だ。さっきのとは別人みたいだ。…ヘッドホンで上がっていた髪が降りてるからかな。さっきのめーちゃん新鮮で可愛かったのに。
じゃなくて!
そういうこと言ってると、俺、ほんとに襲っちゃうよ?
思いながらめーちゃんを見つめる。しっかりと目が合っていて、反らせない。
意を決して、俺は口を開いた。
「………めーちゃん」
静かな声。俺だって本気を出せばこれぐらい出来る。
めーちゃんが何も言わなかったから、息を飲んで、距離を詰める。段々と近づく距離に、身体が密着していく。それでも視線は外さない。
めーちゃんとの差が埋まる。互いの鼻先が触れ、そして。
「………………っ」
そして俺の気力が尽きた。
重なりそうになった唇は、重なる事なく離れていく。
大きく息をついて、めーちゃんを抱きしめるように抱えてその肩に顔を埋めた。
「…KAITO?」
めーちゃんの小さな声が耳元で聞こえる。でも俺は顔を上げなかった。代わりに抱きしめる力を少し強くする。めーちゃんは抵抗しなかった。
「めーちゃん、少しだけ…このままがいい」
肌が触れ合い、めーちゃんの体温が直に伝わってくる。めーちゃんも同じことを感じてくれていると思うと、鼓動が速くなった。
すぐ傍でめーちゃんの呼吸の音。
それからゆっくりと言葉が紡がれた。
「…………うん」
ヘッドホンからはいつまでも曲が流れていた。
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