46.革命の萌芽 ~後編~
「……おい! 」
押し込んだ男の一人ががなる。
「なんのつもりだ、てめぇ!」
「酒なんて飲んでやがって、てめえ」
男たちがぐっとメイコに向かったそのとき、彼女はその目の前で鮮やかに薬草酒をあおった。そして、その杯を音高く彼らの足元めがけて叩きつけた。
男たちの動きが一瞬止まる。たかが女に派手な行動をとられ、彼らの怒りが膨れ上がった気配がしたその時、メイコの声が発せられた。
「英雄ね。一般市民ね。善良……ね。なら、押し込む先が、ちょっと違うんじゃない?」
「なんだとこの女!」
男たちがいきりたち、拳を構えたその時、メイコが素早く男の懐に飛び込んだ。
「!」
男の動きが止まった。その拳を、メイコの手のひらがとらえている。男の口がぽかんとひらき、その身がメイコからゆっくり離された。
「お、おい、どうした……」
他の仲間が驚きの表情の彼を見ると、彼はみずからの拳をじっと見つめていた。
そして、ゆっくりと開いた。
そこには、先代の黄の王の横顔が刻まれた金貨が一枚、握られていた。
「こ、こ……」
金貨を握らされた男は、メイコを驚きの表情で見上げる。
「脅しに負けたわけじゃない。解かるわよね?」
金貨を握った男はこくこくとうなずき、仲間が彼の表情を驚きながら見やる。
「その金貨が短剣だったら、あなたは死んでいる。……でも私は、そうしなかった」
兵士の格好をした男たちが、ただひとりの女を前に、動きを止めていた。
「黄の国の危機に応じた英雄だというのなら。……黄の国の、あなたたちへの対応が不当だというのなら、もっとしかるべき場所に意見をねじ込みなさい」
メイコの瞳が細く光った。
「どこへ……」
茫然とつぶやいた男たちに、メイコはまるで生徒に対する教師のように、静かに笑みを浮かべて指差した。
「王宮広場よ」
その言葉に、その場にいたすべての人間が思わず城の方角を見た。
「……あなたたちに、この国のリン女王が害を為したというのなら、文句を言う先はあそこでしょう。ここのおかみは、あなたたちに何も悪いことはしていないわよ?」
その言葉に、明らかに男たちは戸惑った。
「なんだ……俺たちのいうことを、王族が聞くとでも思うか!」
「なら聞かせてやればいい」
どん、とメイコが床をならして踏み込んだ。
「その金貨は、ただであげたのではないわ。その金貨をもらうならば、仲間を集めなさい。なるべく大勢の人間で、大きな声を上げるのよ」
ルカは、背筋にぞくりと鳥肌がたつのを感じた。メイコの声が、まるで各人の心臓を狙うように響いたのだ。
「あの子……こんな声を出せるんだ」
ルカが見回すと、店にいた客も、おかみさんも、メイコに釘づけである。
「仲間をあつめ、言いたいことを言う。数は、手っ取り早い力になるわ。
知っている人も多いかもしれないけれど、私は十年前、水を売る商売に失敗した。次に拾われた先は王宮で、王女だったリンの教育係として働いていた。
そこでは、いつも感じていたわ。リンには、味方が私しかいなかった。リンをいいように使おうとする連中は大勢いた。そして、リンは未来に希望を見出すことのないまま、将来を得ようとあがき続けた。良い女王になろうともがき続けた。
その結果が、これよ。どう? 彼女は、良い女王になれたかしら? 」
メイコの眉根がぐっと寄せられ、つかのまうつむいた。しかしその顔は再び炎の瞳を宿して燃え上がる。
「いい。数は、力になる。よく気の付く、優秀な王女ですら、たったひとりでは、望みは叶わなかった。
緑と戦ったあなたたちなら、わかるでしょう? 豊かで技術の高い緑の国が、この夏の干ばつで困窮した黄の軍に一日で負けた。
……これが、数の力よ。
それが、運命の女神を引き寄せる、圧倒的な力なのよ」
誰もがメイコの演説に聞き入っていた。店の壊れた扉の外にも、騒ぎを聞きつけた人々が集まっていた。その人々にも、メイコの声は、力をもって響いた。
「たしかに、私たちは王族ではない。いままで、王や領主たちの声に従うしかなかった。
……でも、今回の戦争で、皆、知ったはず。
私たち黄の国は、勝った。たしかに、水も食糧も期待していたほどの金も手に入りはしなかった。
けれども、確かに、あの聡明なミク女王率いる緑の国に、勝ったのよ。
そして、知ったはず。……数と素早い行動は、力になると!」
おおお、と、周囲が息をのむ音がした。何かの勢いが鎌首をもたげるにつれて、メイコの背筋は伸び、声はますます精度と張りを増していく。
「今回、リン女王がしかけた戦で得たものは、それよ!
数と行動は力となる!
いい、にわか兵士のあなたたちが、高い技の力を誇る緑の国に勝ったのよ!
国ひとつ倒すほどの力が、今やホルストやシャグナなどの有力諸侯の力を失った黄の国の王宮ごときに、届かないはずがないわ!」
周囲はついに声を上げ始め、ルカは逆に声を押し殺す。
メイコが、ついに芽吹いた。ルカは心の中でつぶやく。
「これが、時代の息吹……?」
世界に情報を伝えて回る『巡り音』として、その瞬間に立ち会えることは、何と恐ろしいことなのだろうと、ルカは震えた。
「数は力! あなたたちの言いたいことを言って御覧なさい!」
メイコは叫ぶ。群衆は応える。
「飢えて死にそうだ!」
「水に税をかけるな!」
「勝手に戦など始めるな!」
メイコは口々に叫び始めた群衆を、見まわして叫んだ。
「シャグナとホルストを知っている? 緑の国と戦う際に、かれらの領地の小麦と野菜の産地の館から、一切合財を運び出した王宮の馬車を見た人はいる?! 」
見た、見たぞとあちこちから声が上がった。メイコはその声に大きくうなずき、腹の底から声を張った。
「……地域の富はどこに消えた! 王宮に消えたパンをよこせ!」
「パンを寄こせ!」
「パンを寄こせー!」
夜も深まるはずの黄の王都の、小さな宿屋の街角は、あっというまにパンを寄こせの大合唱に包まれた。
「いい、決行は来月秋の一の月の一日。王宮広場に、夜明けとともに集合!」
「おおおお!」
群衆となった人の群れが、一斉に声を上げた。
秋の月の一日目まで、あと十日であった。
「いい」
その群衆の叫びのなかで、メイコは最初に宿に押し込んできた男たちに告げた。
「黄の国の中で不満を持っているのは、王都だけではないはず。
もし地方に仲間がいるのなら、その人たちも、動かして。どのみち黄の国がまともに機能するようにならないと、その金貨は使えない」
男たちはうなずくと、それぞれ、手近な人々に、メイコの指示を伝え始めた。
やがてひとり、またひとりとその場から駆け足で去り始める。
軽快な足音が、黄の王都に広がっていくのに耳をすませるかのように、メイコは澄んだ眼で店の外をじっと見つめていた。
* *
「ルカ」
やがて静かになった店内に、メイコの声が響いた。
「ルカ。世界を巡る情報屋であるあなたに、すべてを話すわ。私と、リンの間に起きたことを。彼女に出会った発端から、すべて」
おかみさんが今度はふたりに熱いお茶を淹れてくれた。
そして、メイコは語った。
リンとレンは、ふたりとも王となるように育てられていたこと。王夫妻が病気で倒れたのち、リンだけが王の候補となったこと。
リンは良き王になろうと痛ましいほどの努力を重ねたこと。本気で青の国に好感を抱き、緑の国のミクに憧れを抱いていたこと。ふたりの良いところを学び、よき女王になろうとしたこと。
そして。
緑のミクが青のカイトと婚約すると知り、裏切られた彼女が選んだものは、
「リンは、きっと、今度こそ、ミク様にもカイト皇子にも私にも頼らず、自分の力で未来を勝ち取ろうとしたのよ。
手始めに、自分をやっかいばらいとして青の国へと送り出したシャグナ卿とホルスト卿を、みずからの手で剣を手に取り、殺し、権力を手にした。……おそらく、王と王妃も、彼女が」
ルカが目を見開いた。これまで、各国の情勢に通じ、さまざまな状況を見、ある程度想像を巡らせていたルカでさえ、女王を知る者から直接語られた真実に息を飲む。
「私は、リンがホルスト様を殺すのを、目の前で見た」
メイコの声がかすれ、素早くそれだけを吐きだした。心労で乾いたメイコの唇が、かさかさとひび割れるようにつぐまれた。
何よりも、メイコの憔悴ぶりが、その情報が真実だということを、ルカにありありと物語っていた。
「それは……」
ルカが手を伸ばし、メイコの手にそっと触れた。そして、しっかりと握った。
「ずっと育ててきた子が、そんなことを」
それだけで、メイコにとっては十分な慰めだった。メイコがはっと顔を上げてルカを見た。大きく見開かれた目には、先ほどの演説で見せたような荒々しい光は無かった。
見開かれ、揺れ動くメイコの瞳に、だんだんと涙の潮が満ちてくる。ルカは、メイコのやせ細った手のひらを、両手でそっと包んだ。しっとりとしたルカの手がメイコの手を包んだ瞬間、メイコの涙腺が決壊した。
「ルカ……ルカ。私は、どうすればいい」
ルカの手に、今度はメイコ自身が手を重ねて強く握り返した。
ルカは、これまで巡り音として働いてきた人生を思い返した。
今、自分のひとことで、歴史が、動く。
ぞくぞくと泡立ち続ける肌を押さえ、ルカは思いのすべてを乗せてメイコに向かって口を開いた。
「メイコ。貴女が、一番納得する道を。」
その瞬間、ルカは思わず顔をしかめた。ルカの手を、メイコが潰さんばかりに握りしめたのだ。
「ルカ……私、私は……!」
そして、これまでの籠るような涙ではない、すべてを振り払うような泣き声が、夜の食堂に響いた。
「私は、……たとえ思うことがあろうにせよ、次々と人を手にかける、今のあの子を許せない……!」
メイコが吐き出した苦しい声に、ルカの表情も痛みに歪む。それでも、ルカは、巡り音として、言葉を紡いだ。
「多くの物を見、多くの立場を知った貴女が言うのなら、きっとそれは真実なのだわ。
……貴女は、辺境の紅い砂の大地に生まれ、商人の娘として旅をして育ったと聞いたわ。黄の民、青の国、そして何より、黄の女王をずっと見てきた」
メイコの唇が何かを言おうとわななく。ルカは、しずかに肯いた。
「だから……他の誰でもない、メイコ、貴女が一番、納得する道を行って。
それがおそらく、最良の道よ」
メイコの内側から、これまで押し込めてきた膨大な涙と声がこぼれおちていく。ルカは黙ってそれを受け止めた。握りしめられ、爪を立てられながら、その痛みと響く声を、じっと感じて受けとめていた。
つづく。
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