14.双子の恋 後編・レン
「眠れなかった……」
レンは、ぼんやりと海をみながら思った。
「リン以外の人のことを考えてすごしたのは、初めてだ」
昨夜、リンが青の皇子の宴に出かけている間、散歩に出た町でハクと名乗る娘に出会った。染めた緑の髪に、燃えるような瞳。そしてなにより、勇気のある彼女の行動と、彼女の語った彼女自身の体験は衝撃だった。
「ハクさん、か。格好良かったな」
そして、その彼女は、驚いたことに、ミク女王の付き人であるようなのだ。レンは、青の国に到着した時、ミクの側にいたはずのハクの姿を何とか思い出そうとしたが、そのときはレンはリンばかり見ていた。
少しばかり残念に思い、慌ててその考えを振り払おうとする。
「僕が見守るべきはリンだろ!しっかりしなきゃ」
そのリンは、緑の女王ミクにあこがれている。ハクの語る様子では、ミクも、相当に格好良い女であるようだった。
「ミク女王に、あのハクさん、か。格好良いな」
レンの中で、ミクをリンに、ハクを自分に置き換えてみる。
「……だめだ。かなわないかも。僕がもっと、がんばらないと」
思わず苦笑してしまい、レンは慌てる。一晩中そんなことを考え、ハクの燃えるような瞳がまぶたをちらつき、ついに夜が明けるまで一睡もできなかったのだった。
何はともあれ、今日の行事は、召使としてリンについてゆかねばならない。昨夜の宴は青の側の招待であるが、今日の行事は青の皇子を招待客が祝う形なのだ。カイト皇子の成人を祝い、招待客がその繁栄を願って木の苗を植えるのだ。真昼に行われるので、暑さに負けぬ体力が必要だ。
とにかく朝食はとらなくてはと、レンは食堂へとやってきた。宿の中庭に面した食堂である。中庭には砂地に芝生が這い、朝撒かれた水を受けて涼やかな緑を光らせている。
「レン殿」
先に席についていたガクが、レンに向かって手を振った。
食事は、各自、用意された大なべや大皿の中から、好みの料理を好きなだけ客自身が盛る仕組みになっている。レンにとっては初めての経験で、戸惑いながらも新鮮な気持ちで青の国の風習を受け入れた。
「ガクさん。……失礼します」
席についたレンの皿にガクが目をとめた。
「それだけでよろしいのか?ここではどれだけ食べても値段は変わらぬ。遠慮は損だと思うが」
「ええ。まず、これくらいで」
レンの皿にはパンと少々の燻製肉と野菜、そして卵がひとつ。ガクの皿には、実にレンの倍の料理が乗っていた。炒め物におかゆまで、種類も倍である。そしてすでに皿を一度取り替えたようで、二枚目に突入していた。
「仕事は体力を使う。補給は大事である」
ガクの口に次々と料理が吸い込まれていくのを見ながら、レンは野菜に手をつける。
しかし、その手は口に届く前に、皿に戻されてしまう。
「……どう、なされた?」
「いえ。……申し訳ありません。少し、ばててしまったのかもしれません。よかったら、これもどうぞ。午後の植樹祭までには立て直します」
レンがガクに取ってきたばかりの料理を押しやって、席を立とうとする。
「いや、待たれよ。……戻るなら私も付き合おう」
ガクがさらに速度を上げて食物を消費していく。レンの持ってきた料理が高速で噛み砕かれ飲み下される合間に、ガクは食後のデザートまで注文した。
なんともあきれ果てる食欲にレンが呆然とガクを見つめていると、レンの手に届けられたデザートの椀が渡された。
「乳と果物を寒天で固めたものだ。……これなら、食べられるか」
てっきりガク自身が食べるものと思っていただけに、さらにぽかんとレンはガクを見上げる。
「さあ。行こう」
席を立ったガクに促されるまま、レンは背を押されて部屋へ向かった。
* *
レンは自室に戻ろうとしたのだが、ガクは自分の部屋に呼んだ。
「こちらの部屋のほうが朝の風がよく通る。レン殿の部屋よりも少し広いゆえ、ゆっくり休めるだろう」
レンは、ガクが日ごろリンを邪険に扱っているホルスト卿に雇われた者であることに警戒心を抱いていたのだが、船旅からこちら、様子を見ていると、どうやら悪意のある様子は見受けられないことに気を許し始めている。
ガクの部屋は確かに、レンの部屋より広く、レンの部屋にはない籐椅子と小卓がしつらえてあった。
「寝台でも椅子でも、好きなものを使ってかまわない。……私は医者であるから、体調の悪いものを保護するのは仕事だ。遠慮は無用」
すみません、と籐椅子に座ったレンに、ことりとガクは水差しから水を注いで卓に置いた。
乳と果物の甘い味が、レンの喉を心地よく滑り落ちてゆく。水を口に含むと、かすかに柑橘の味がした。
「うまいであろう?」
レンはうなずいた。あれほど食べ物を拒否していた体に、冷たい甘味がするりと落ちていった。
ガクが、レンと卓の角を挟んで座る。自身も水差しから水を注ぎ、口にする。
「レン殿を、私はすごいと思う」
ふいに、ガクが窓の外を見ながら話しかけてきた。
「王女に気を遣い、黄の国に気を遣い……王女を、本当に大事に思っておられる」
思いがけないガクの言葉に、レンは思わずその表情を伺った。ガクの視線は、海を向いていた。この海の先に、遠く離れた黄の国がある。
「昨夜は町に出られたのであろう? この町は夏になるといつも祭りのようににぎやかだが、息抜きにはならなんだ?」
ガクの問いに、レンは椅子に沈み込みながら答えた。
「いえ。……とても、素敵な町でした。人は明るくて、見たことのない星が見えて」
「それはよかった。ついでに素敵な出会いはござらんか?」
ぶ、と思わずレンは噎せる。
「ガクさん!なぜそれを」
思わず立ち上がったレンは、にこりと笑って見つめるガクの視線にぶつかった。しまったとレンが気づいたときには遅く、ガクは声を含めて笑い出していた。
「はは。まぁレン殿。異国の旅には出会いがつきものである。一時の出会いにするのもよし、これを期に親交を深めるも良し」
「ガクさん!」
見事にガクの言葉の罠に引っかかってしまったことが悔しくて、レンはうつむく。ため息をつきながら、水の残りを飲み干した。
「ガクさんが、まさかそんな話題を振るなんて」
その意外性に気を抜いていたことが、さらに悔しい。ガクは海を見ながら大いに笑った。
「私は大人だからな。このような話は造作もないのだ。……レン殿は、まだ子供だな」
レンの表情がすとんと抜けた。
昨夜も、同じことを言われた気がする。町で出会った、緑の国のハクという可憐な女性に。
「子供、か」
日差しが高くなる。眩しく光る外に、すぅっと暗くなる部屋の中。レンの声が、低く響いた。
「子供じゃ、いけませんかね。ガクさん」
は、とガクが笑い顔のままレンに向き直る。
「……せめて、リンの前以外では、子供でいては、いけませんか」
「レン殿」
ガクが笑い収めてレンに向かう。その瞬間、レンの感情が爆発した。
「だってあまりにも酷いでしょう!
僕らは、いったい何なんですか!外で大人であることを求められる割には、黄の国では僕らは半人前扱いだ!一生懸命大人でいようとしているリンの痛々しさに、あなたも気づかれたでしょう?まるで狂ったように『黄の国のために』黄の国のために!
……リンは、本当はあんな子じゃなかった。
僕と一緒にわがままを言って、困った奴だとしかられて、無邪気に笑って、くだらないことではしゃぎまわって! 今だって、僕は……リンと一緒に遊びたい!
普通に話して普通に遊びたいですよ!」
レンの拳が白く握り締められた。
「それを、大人たちの勝手な都合で、リンは大人にされ、僕はリンを守るためには大人でいなくちゃならない! 王と王妃が病気に倒れている今、黄の国の王女を守るには、子供では守れないんです!
……僕だって、子供でいられるのなら、子供でいたかったですよ! ガクさん!」
卓上で握り締められたレンの手の甲に、ぽつり、ぽつり、とレンの目から涙のしずくが落ちていく。
「ちくしょう……ちくしょう! なんで、なんで……僕達は……!」
ガクの手が、そっと動いた。レンの器に、そっと水が注ぎ足された。
レンがそれを手にとり、涙ごと飲み込むようにぐっと飲み干す。ガクがさらに水を継ぎ足す。器を握り締めたレンの心情を映すように、水面が揺れた。
「護衛の任務を受けるにあたって、私もホルスト殿から、リン殿とレン殿の大体の事情は聞いている。
……大人たちの勝手な都合、か。正しいことを正しいと主張できるのは、子供の特権である」
ガクの声が、その水面を支えるように、深く静かに響いた。
「レン殿が、人として正しい。私は、そう思う」
レンが、大きくすすり上げた。礼の言葉が小さくかすれた。
こぶしでぐいと目をぬぐい、レンは立ち上がろうとした。その体が、ふらりと傾いだ。
ガクが慌てて手を差し伸べ、支える。
「……すみません、午後までには」
「よい」
ガクが、レンの背を支える。そのまま、ひょいと持ち上げて、広い寝台に運び、寝かせた。レンは力なく目を閉じている。
「泣いたおかげで頭痛も来ているのであろう。体はともかく、心の疲れも溜め込みすぎだ」
レンは歯を食いしばってうなずいた。
「でも、午後までには」
「……午後は、休むことだ」
それは出来ない、と首を振ったレンに、ひやりと、額に冷たく絞った布が載せられた。目まで覆われ、静かにレンの意識が落ち着きを取り戻す。
「不用意にからかって、本当に申し訳なかった。レン殿。お詫びに、本日の王女は、私が責任を持って守ろう。レン殿ほど上手くやれるかどうかは、いささか不安ではあるが」
ガクの静かな声が、レンの耳を深く満たした。ガクの手が、冷たい布の上からそっとレンのまぶたを押さえた。
えもいわれぬ懐かしい感覚に、レンの心は静かに眠りに落ちていった。
高い角度から差す太陽は、もう部屋の中へは届かない。
陰となった室内に、海からの風が、すぅっと吹き込んで、レンの頬を撫でていった。
つづく!
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